ブログを始めようと考えたときに、多くの人に伝えたいことの1つに孝養心がありました。
孝養心については、一人でも多くの人に読んで欲しい、特に教育関係の仕事に従事される方々、子を育てる多くの父母にこそ伝えたいです。
日々、ニュースを見ていても色々な事件や犯罪が絶えませんが、中でも聞くに耐えない、見るに耐えない事件は親殺し、子殺しです。
本来、「親は慈愛を持って子供を産み育て、子供はその恩を知って孝養の心を抱く」
これって、まさに最も大切な人倫の根本だと思います。
こんな大事なことが失われているような事件が起こると、胸が張り裂けるような思いを抱きます。
私自身、小学校時代の教師が道徳や倫理を重んじる方だったので、幼少から孝養についてはとても大事だという認識は強くありました。
23歳のとき、ある講演で孝養心についての話があったとき、非常に感銘を受け、私の生き方の柱にもなって来ました。
そんな私ですが、実は、本当の意味で孝養が実感を持って分かったのが、自分が子を持つ立場になってからでした。
両親は私のために、日々身を削って様々な苦労をしていたのだなぁとつくずく実感を持てるようになったのです。
「親に対する恩を自覚し、その恩に報いようとするかどうか」
が、人としてどれだけ立派であるかの尺度にもなるかと思います。
だいぶ前に耳にしたニュースですが、ある大学教授が自分の親を蹴り倒した、なんていう報道がありました。
世間的には出世して教授にまでなった人でしょうが、人として最も大事なことを知らないのでは意味がないとすら感じます。
以前、職場にいたK先輩が
「親が老いてから世話をするのは嫌だなぁ」
と愚痴り嘆いていた時に、私は嫌悪感を抱きましたが、その場に居合わせた別なW先輩がすかさず、
「K君、それは違うだろう!」
と強く諭していたことが印象的で、今も忘れられません。
K先輩は社会人としては実力もあり、相応の評価を得ていた方ですが、少し幻滅しました。
逆に、W先輩は普通の温厚な方ですが、立派な方だな、と見直しました。
そもそも、人は生まれてから、全てのことを自分ひとりでやり、他の誰の世話にもならず成長・生活してきたのなら恩など無くても当たり前だと思います。
しかし、生まれたばかりの赤ん坊は、ひとりでは何もできないし、ひとりで生きて行くことも当然できません。
皆、親の慈しみがあって、親に見守られ、親に世話になってこそ育ってきています。
そして、子は世話になった恩を感じて、恩を知って、親に対して孝養心を抱くものです。
世間には、様々な道徳や倫理が説かれていますが、孝養心こそ、まさに人が最初に学ぶべきことであり、最も大事に思わなければいけないことだと思います。
この孝養については、私がブログで伝えたい大きなテーマの1つでもあります。
また、次の機会に続きを書いて行きます。