父母がわが身を育ててくれた苦労が骨身にしみる。

以前から、孝養心がいかに大事かについて書いていますが、今日はまた続きを書きたいと思います。

前回は、出産がいかに大変かについて書きましたが、今回は出産後の苦労について書きたいと思います。

出産を終えるとその直後から、親の育児は絶え間なく続きます。

産後の育児はたいへん

お腹がへれば母乳やミルクをやりますし、おむつが汚れれば取り替えますし、日々お風呂にも入れてあげます。

生まれてしばらくは、食事やおむつ交換の間隔も短いので、ほどんど付き切りに近い状態が続きます。

夜中に起きることもしばしばありますし、特に用事がなくても泣き出せば、親が寝ていようが、忙しかろうが、手がふさがっていようが、全く関係ありません。まさに、赤ちゃんに生活リズムを合わせねばならず、親の生活リズムが崩れることもちょくちょくで、その疲労や苦労は大変なものです。

まして、赤ん坊が熱を出したり具合悪くなったりすれば、そばに付き添って見守ったり、寄り添って寝たり、抱っこしてあやしたり、と身を削って世話をします。夜泣きでもしようものなら、親は一睡もできないことがあるかも知れません。

そして、赤ん坊にあげる母乳やミルクも大変な量にもなりますし、おむつやベビーグッズだってけっこうお金が掛かるものです。

成長しても苦労は絶えない

さらに成長して行っても、日々の食事や世話はもちろんのこと、小学校・中学校・高校あるいは大学と、身を削って学費を作り、学校に通わせてあげるわけです。

今、私自身がこれら子供を育てる苦労を日々実感しては、かつて私の親が、私を苦労して育ててくれた苦労が本当に身を通して良く分かります

さて、そんな親の苦労もよそに、子供からすれば「自分の子だから当り前」なんて思ったりして、好き勝手なことをしたりもする訳ですね。

多くの子供を授かって全ての子供を養い育てたとしても、それとは逆に、それらの子供は誰一人として父母を養おうとはしない姿も良く見かけるところです。

本来あるべき姿

現代は本来あるべき姿が崩れてしまって、「親は育てる義務があるから当然」と思ったり、「親がどうであれ、自分には自分の人生があるから関係ない」と権利ばかり主張したりする姿が目立ちます。しかし、こんな権利と義務のような姿は、悲しいことだと思うのです。

生み育ててくれたその恩は計り知れず、人として、絶対にその恩を忘れてはいけない、強い孝養心を持たなければいけないと思うんです。

親は慈愛を込めて理屈抜きに子を養い育てる、そして子はその恩を知って孝養の心を抱いて親に報いようとする、これが本来あるべき姿です。

何かおかしくなってしまった現代だからこそ「父母の恩を知って、孝養の心を抱くこと」の大切さを、常に訴え続けて行きたいと強く思うものです。

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