頻繁に車を運転していた頃、週に1回か2回の頻度で満タンの給油をしていました。
そんな運転慣れ、給油慣れしているはずの私でも、過去に二回、ガス欠の苦い経験をしています。
その理由は簡単で、自分が乗っている車を知り尽くしていると過信していたからです。
ギリギリの給油が常態化
毎日運転していると、どの程度ガソリンを消費するのか、今どれくらいガソリンが残っているのか、残りのガソリンでどこまで走れるのか等、体に染みついて分かるようになります。
そして、ガソリンを満タン入れると、何リットル入るのかが、給油する前に事前に分かるようにまでなります。
また、どこのガソリンスタンドが安いのかはもちろんのこと、ガソリン原油価格の変動がどのタイミングで販売価格に反映されるかまで分かるようになり、更に、目的地のルート上にどのようなガソリンスタンドがあるかが自然と頭に浮かび、どこで給油するのが一番良いかまで判断できるようになりました。
そんなこともあって、
「給油頻度を少しでも減らそう」
「燃費向上のために車両が少しでも軽い状態で、できる限り長く走ろうと」
などと考えて、ガス欠の一歩手前で給油することが常態化するようになっていました。
ガス欠を経験
そんなある日、現地集合で落ち合った友達数人を乗せて、100キロほどの道のりを、埼玉方面へ戻ることになりました。
ガソリンの残量を考え、走行距離、渋滞情報を確認して計算した結果、ギリギリだけど、給油慣れした地元のガソリンスタンドまで行けると判断して帰路に着いたのでした。
結果としては目的地の手前、五キロほどの地点でガス欠してしまったのです。
既に深夜になっていて、ロードサービスが到着するのにも時間がかかり、翌日が仕事であった私は、眠さをこらえながら、こんな思いはもうしたくないと思ったのでした。
しかし、何で計算が狂ったのだろうと、腑に落ちない思いがあり、色々と原因を考えていて、ひとつ見落としていた事に気付きました。
普段は一人で乗ることが圧倒的に多かった私は、搭乗人数の増加に伴う燃費の低下を考慮するのを、すっかり忘れていたのでした。
これを考慮してきちんと計算していれば、決して間違ってはいなかったんだとの結論に達して、この慢心が二度目のガス欠を招く事になったのでした。
懲りずにまたガス欠
二度目のガス欠は、それから数年後のこと、帰路についていたルート上、自宅の手前、数キロのところで起きました。
その時は、行きつけの地元のガソリンスタンドで給油したいあまり、今回もきっと大丈夫だろうと、冷静な計算よりも期待感が先走ってしまったのでした。
通常なら、計算誤差を考えて余裕を持っていたのですが、その時は、
「いつも給油時には1~2リットルくらいの残量があるから、大丈夫だろう」
と安易に考えて、給油をしないでいたのです。
帰路を急いでいた矢先のこと、もう懲り懲りという感じでした。
それ以来、給油ランプが着いたら、余計な計算をせずに、早めに給油するようになりました。
ガス欠は注意してさえいれば、絶対に防げることですが、ロードサービスの統計では、比較的上位にある理由です。
ひとたびガス欠すれば、そのあとの処理が非常に煩わしいものです。
給油ランプがついたら余計なことを考えず、直ぐに給油を心掛けたいものです。