子供の参観日に、道徳の授業。大人も学べる点が多くあることに気付く。

子供の授業参観があったので行ってきました。長男の勉強の姿が見られると思っての参加でしたが、授業の内容は道徳でした。

とはいえ、道徳ってどんな授業なのか、どんな内容なのか、ある意味とても興味深いものでした。

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暖かい言葉

その日の道徳のテーマは、「ふわふわ言葉」と題するもので、どのような言葉だと人から言われて心が暖かくなるか、気持ちがいいか、という内容でした。

人から言われて心が暖かくなる言葉をあげて」との先生の指示に、ありのままに答える児童達が印象的でした。そこで出た言葉をありのまま列挙すると

「きっとできるよ」
「頑張ってね」
「あきらめないで一緒に頑張ろう」
「大丈夫?」
「遊ぼうよ」
「すごい!」
「大好きだよ」
「優しいね」
「頑張ったね」
「ありがとう」
「明るいね」
「君、力持ちだね」
「どうしたの?」
「あと、もう少し」
「あめでとう」
「手伝うよ」
「次もできるよ」

です。

無邪気な子供達が出した意見、大人が何か学べるものがある筈、との視点に立って思索してみると、暖かいと感じる言葉は大人も子供も関係ないんだと気付きました。

全ての言葉の共通点

では、どんな言葉が暖かく感じるのだろうと考えたところ、励まし、気遣い、感謝、誉め言葉等々いろいろな言葉があっても、全てに共通する点を発見しました。

それは話し手が相手に関心を抱いていると言うことです。これだけ色々な言葉が有っても、この点については本当に全ての言葉に当てはまるんですね。

相手に関心を持つ、相手を気にかける、これが源なんですね。なんか自分自身が勉強になったと感じました。

大人と子供の違い

そして、これらの言葉を子供が話す場合と大人が話す場合とで、何が違うのだろうと考えた時、1つ大きな違いがありました。

それは、子供の場合は、心がそのまま言葉になるのに対して、大人の場合は、必ずしも心がそのまま言葉になるとは限らないという事です。

お世辞だったり、挨拶代わりだったり、言葉を飾ったり、時には心にもない事を口することもあるかも知れません。そんなことを考えると、純粋なままの子供達が、ある意味とても羨ましく思えたりもしました。

大人は暖かい言葉が何であるかを知っている筈なのに、ともすれば、傷つける言葉を使ってしまったり、不愉快になる言動をしてしまったりすることもあります。

そういう意味では、道徳って、なにも小学生だけが学ぶことではなく、大人こそ、このことを常に考え、自分自身を振り返って見つめ直すことが大事だと、改めて気づかされた思いでした。

道徳って人の永遠のテーマなのかも知れませんね。

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