カタカナの「モ」の由来は漢字の「毛」であるように、カタカナ文字の由来が漢字であることは誰でも知っているところです。
しかし、カタカナの「ラ」の由来が漢字の「良」だと言われても、「どうして?」、「なんで?」などと、あまりピンとこない人も多いのではないでしょうか。
ここでは、カタカナの由来の漢字だけではなく、どうしてその漢字なのかが分かるように、成り立ちや変化についてきちんとまとめました。
字源の異なる諸説も含め、詳細を解説します。
目次
漢字が由来
カタカナは、日本固有の文字で、ひらがなと同様に、漢字に由来します。つまり、同じような音を表す漢字を用いて、別な文字としてのカタカナが作られました。
例えば、カタカナの「ニ」は、同じ「に」の音を持つ漢数字「ニ」をもとに作られました。同じように、カタカナの「ミ」は漢数字の「三」、カタカナの「ハ」は漢数字の「八」、また、カタカナの「モ」は漢字の「毛」に由来しています。
これらは、もとの漢字とその漢字から作られたカタカナの文字が、とても似ているので直ぐに理解できます。
しかし、冒頭にあげたように、カタカナの「ラ」の由来が漢字の「良」だと言われても、なぜなのかは、直ぐに理解しにくいところです。
この場合は、「良」の字を、書き順に従って書いてみればすぐに分かります。
良という漢字は7画ですが、最初の2画だけを書いてみて下さい。「ラ」の文字に近い形になったのが分かると思います。つまり、この場合は、「良」の最初の2画をもとに作られたのです。
由来のパタン
このように、カタカナがどのように作られたのか、その成り立ちは様々あります。
本来、「片仮名」(カタカナ)の「片」には、片言(かたこと)や片手間(かたてま)といった言葉が表わすように、「不完全」の意味があります。
つまり、カタカナは”不完全な漢字”のことを指し、”漢字の一部を用いた文字”を表わしています。
従って、基本的に漢字の一部に由来しますが、そこにはいくつかの基本パターンがあります。以下、これらの基本パターンを説明します。
画の一部
これは最も多いパターンです。漢字はいくつかの画で構成されますが、全体の画のうちの幾つかの画に由来するパターンです。
中でも最初の何画、あるいは最後の何画を元にしているカタカナが一番多くを占めます。
中には途中の一部の画に由来するもの、画の一部が省略されているものもあります。
漢字の構成部位
カタカナの中には、由来する漢字の偏(へん)や旁(つくり)、冠(かんむり)など、漢字の構成部位(部首)のいずれかを元に作られたものがあります。
ウ冠(うかんむり)が最も分かりやすい例ですが、カタカナの「ウ」は漢字の「宇」の冠をもとにしています。
また、カタカナの「カ」は漢字の「加」の偏をもとにしています。
その他
上記にあげた2種が主な基本パターンですが、それ以外にも例外的なカタカナがあります。
それらには、書体から変化したもの、画の一部が変化したものなど、上記の基本パターンなどから変化したものや転じたものがあります。
また、由来については諸説があり、ハッキリしないものも存在します。
文字ごとの由来
ではカタカナの由来の漢字について、ひとつひとつ示します。ネット上によくある情報には、不明な情報や、いい加減なものが多くあります。
例えば、カタカナ「ユ」の由来の漢字は「由」ですが、由の中にあるユの形に似た部分を取っているように解釈(下図左)しているものがあります。
しかし、「ユ」は本来、漢字「由」の最後の二画に由来する文字ですから、下図右のようになります。
つまり、上図下方に示したように、最後の二画を筆で描くようにすると、カタカナの「ユ」のような形状になることが良く分かるかと思います。(ただし、これはあくまで一応の解釈で、厳密には更に奥が深いです。詳しくは後述します)
このように、由来を無視して似ている形だけを真似て表現したものが多くあります。
ここでは、由来に基づいて自然な形になるように図を付けて表現しました。特に、草体(草書体ともいい、簡略化したくずした漢字)などからの変化の場合は、無理に形にとらわれないように表現しています。
諸説があるものは複数示しましたが、細かい説は多々あるようですので、一般的なもののみを掲載しました。
更に、カタカナ1つずつの成り立ちの詳細について、後半に説明しています。
図中のカタカナをクリックするとリンク先の詳細説明へ飛びます。
カ
ナ |
漢
字 |
説 明 |
ア | 阿の偏 | |
イ | 伊の偏 | |
ウ | 宇の冠 | |
エ | 江の旁 | |
オ | 於の偏 | |
カ | 加の偏 | |
キ | 幾の草体の楷書化から変化 | |
起の最初の3画 | ||
ク | 久の最初の2画 | |
ケ | 介の画の省略 | |
个の変形 | ||
コ | 己の最初の2画 | |
サ | 散の最初の3画 | |
薩の冠 | ||
シ | 之の草体の変化 | |
ス | 須の最後の3画 | |
セ | 世の行書体からの変化 | |
ソ | 曽の最初の2画 | |
タ | 多の最初の3画 | |
チ | 千の全画 | |
ツ | 川の全画 | |
州の草体から変化 | ||
津の一部から変化 | ||
門の草体から変化 | ||
爪の一部の変化 | ||
テ | 天の最初の3画 | |
ト | 止の最初の2画 | |
外の旁 | ||
ナ | 奈の最初の2画 | |
南の最初の2画 | ||
ニ | 二の全画 | |
仁の旁 | ||
ヌ | 奴の旁 | |
ネ | 祢の偏 | |
ノ | 乃の最初の1画 | |
ハ | 八の全画 | |
ヒ | 比の旁 | |
フ | 不の最初の2画 | |
ヘ | 部の旁の草体 | |
ホ | 保の最後の4画 | |
マ | 末の最初の2画 | |
万の省画 | ||
ミ | 三の全画 | |
ム | 牟の最書の2画 | |
メ | 女の最初の2画 | |
モ | 毛の最後の3画 | |
ヤ | 也の草体から変化 | |
ユ | 由の最後の2画の変形 | |
弓の最初の2画 | ||
ヨ | 与の最後の2画から変化 | |
ラ | 良の最初の2画 | |
リ | 利の旁 | |
ル | 流の最後の2画 | |
レ | 礼の最後の1画 | |
ロ | 呂の最初の3画 | |
ワ | 和の旁の草体 | |
輪の記号〇の二筆 | ||
ヰ | 井の全画(草体)から変化 | |
ヱ | 恵の草書体の終画 | |
慧の草体の一部 | ||
ヲ | 乎の最初の3画 | |
ン | 尓の最初の2画 | |
无の草書体の簡略化 | ||
撥ねる音の記号Vから変化 |
一文字ずつの詳細解説
以下、カタカナの由来について、文字ごとに詳細を説明します。
ア行
「阿」→「ア」
カタカナの”ア”は、漢字の”阿”の偏(阝:こざとへん)から生まれました。
つまり、”阿”のこざとへんが簡略化されたのですが、その語源としては行書体の”阿”がもとになっています。
当時、書かれていた行書体の”阿”では、こざとへんが「阝」のような字体ではなくて「卩」に近い字体になっていました。
この、「卩」の2画目(縦画)が「ノ」のように曲がることで、カタカナの”ア”になりました。
カタカナ”へ”が、漢字の”部”のおおざと「阝」から変化した過程の筆跡や、カタカナ”マ”の筆跡と区別するために「ノ」のように曲げられたと考えられています。
”阿”は、阿諛(あゆ)、阿吽(あうん)などの他、阿部などの固有名詞にも使われ「あ」と読みますが、この音がそのままカタカナ”ア”の音になっています。
カタカナの”イ”は、漢字の”伊”の偏(にんべん)から生まれました。
”伊”は、伊豆、伊賀など固有名詞で多く使われ「い」と読みますが、この音がそのままカタカナ”イ”の音になっています。
ちなみに、カタカナの”イ”は、平安時代の中ごろまでは、漢字”伊”の旁(つくり)である「尹」が「イ」の代わりに用いられたこともありました。
カタカナの”ウ”は、漢字の”宇”の冠(うかんむり「宀」)から生まれました。
うかんむりは「宀」のように3画で書きますが、最後の画を長く伸ばしたことから、カタカナの”ウ”になりました。
”宇”は、堂宇、宇宙などのように「う」と読みますが、この音がそのままカタカナ”ウ”の音になりました。
なお、ひらがなの”う”も、漢字の”宇”から生まれましたが、ひらがなの場合は”宇”の草体から変化してできました。
カタカナの”エ”は、漢字の”江”の旁(つくり)である「工」から生まれました。
”江”は、入江(いりえ)、江戸などのように「え」と読みますが、これは訓読みです。(”江”の音読みは「こう」という音です)
仮名のほとんどは音読みに由来しますが、カタカナ”エ”の場合は、漢字”江”の訓読み「え」に由来する珍しいケースです。
カタカナの”オ”は、漢字の”於”の偏(かたへん「方」)から生まれました。(「方」は、ほうへんとも言う)
漢字の”於”の偏は「方」のように書きますが、古来はこれを「オ」のように書いていました。
「方」は、「丶」を書いてから「万」を書くのが正しい書き順で、4画になります。
しかし、古来は二画目の横画「一」を最初に書いて(一画目)から、本来の一画目の「丶」と三画目を続けて一つの画(二画目)として書き、最後に本来は四画目である「ノ」を書き(三画目)、結果として「オ」のような形状の3画の字体として筆記していました。
従って、”於”のかたへんも「方」ではなく「オ」と書かれていて、これがカタカナ”オ”になりました。
下記の記事における、ひらがな「お」の由来も参考になります。
”於”は、訓読みとして「~に於(お)いて」のように「お」と読みますが、これがカタカナ”オ”の音になった訳ではありません。
漢字の”於”は、音読みの「お」を使う述語などは馴染みがありませんが、音読みでも「お」の音を持っています。
カタカナ”オ”の音は、あくまで”於”の音読みである「お」の音に由来します。
ちなみに、ひらがなの”お”も漢字の”於”に由来しますが、この場合は、”於”の草書体が変化してできました。
カ行
カタカナの”カ”は、漢字の”加”の偏(へん)である「力」から生まれました。
”加”は、加算などのように「か」と読みますが、この音がそのままカタカナ”カ”の音になっています。
ちなみに、ひらがなの”か”も漢字の”加”に由来しますが、この場合は、”加”の草書体が変化してできました。
カタカナの”キ”は、漢字の”幾”の草書体(草体)から変化して生まれました。つまり、草書体を崩して書いた字体を、改めてきちんと書きなおした(楷書化)ことで、”キ”になりました。
カタカナの”キ”は、ひらがなの”き”が生まれた由来と同じ流れで、ひらがなの”き”の最後の画が省略されて、カタカナの”キ”ができたと言われています。
従って、ひらがなの”き”もカタカナの”キ”も同じ漢字に由来すると言えますし、ひらがなの”き”からカタカナの”キ”が生まれたと言う解釈もできます。
由来が分かりやすいように、漢字の”幾”からひらがなの”き”が生まれた字体の変化の流れを下記に示します。
”幾”の草体は、本来の漢字と少し違うようですが、当時の草書体は上図のように書かれていました。
詳細を知りたい方は、ひらがなの由来に関する下記の記事のひらがな”き”に関する説明に記載していますので参考にして下さい。
”幾”は、幾何などのように「き」と読みますが、この音がそのままカタカナ”キ”の音になっています。
なお、幾を旁に持つ「機」が元の漢字だとする説もありますが、現在では違うとされています。
「起」→「キ」
また、カタカナの”キ”については、漢字の”起”の最初の3画から生まれたと言う説もあります。
この場合、”起”の最初の3画である「土」の部分が変化して”キ”になったということです。
”起”は、起床、起業、奮起などのように「き」と読みますが、この音がそのまま”キ”の音になっています。
カタカナの”ク”は、漢字の”久”の最初の2画から生まれました。
”久”は三画で、「ノ」+「フ」+「\」の順に書きますが、最初の2画である「ノ」+「フ」から”ク”となりました。
”久”は、通常「きゅう」と読みますが、「く」という音読みもあり、その音がカタカナ”ク”の音になっています。仏教用語である「久遠(くおん)」や固有名詞の「久留米」などが「く」と読む一例です。
なお、ひらがなの”く”も漢字の”久”から生まれましたが、ひらがなの場合は”久”の草書体から変化してできました。
カタカナの”ケ”は、漢字の”介”の画の省略(省画)から生まれました。
”ケ”の字体を見ると、”介”の最初の3画から生まれたように見えますが、そうではありません。
”介”の画数は4画ですが、3画目の「ノ」の部分が略されて「个」のような字体になり、3画で書く「个」の2画目を横棒のように書き(横画)、3画目の縦棒(縦画)を「ノ」の形状に筆記することで”ケ”となりました。
”介”は、介護などのように「かい」と読み、「け」という読み方にはなじみがありません。しかし、”介”には「け」という呉音(音読みの種類のひとつ)としての読み方があり、この音読みの音が、”ケ”の音になっています。
「个」→「ケ」
また、カタカナの”ケ”については、漢字の”个”が変形して生まれたと言う説もあります。
”个”がどのように変形したかについては”介”の場合と同様で、2画目が横画に、3画目の縦画が「ノ」の形状に変化して”ケ”となりました。
漢字の”个”は、個(箇が本字)に相当する中国語(簡体字)ですが、実は”个”という字体は、箇の略字として漢の時代頃から既に使われていました。
この略字は、個の本字に相当する箇の冠(かんむり)である「竹」の片側を描いたところから生まれました。
ところが、この”个”は、”介”と字形が似ていたため、一个(一個)を一介と誤写・誤用してそれが慣用になった場合があります。四字熟語である一介之士(いっかいのし)などは、本来は一个之士と書くべきところを誤用してそれが定着したひとつの例です。
つまり、”个”と”介”とは字形が似ていて混同された背景があり、本来「け」と読む”介”からではなく、誤用された”个”から”ケ”が生まれたとも考えられているのです。
カタカナの”コ”は、漢字の”己”の最初の2画から生まれました。
”己”は、自己(じこ)などのように「こ」と読みますから、これがそのままカタカナ”コ”の音になっています。
なお、ひらがなの”こ”も、カタカナと同じで漢字の”己”からできましたが、ひらがなの場合は”己”の草体から変化してできました。
サ行
カタカナの”サ”は、漢字の”散”の最初の3画から生まれました。
”散”は、散策、散歩など「さん」と読みますが、このうちの一音目の「さ」の音が、カタカナ”サ”の音になっています。
「薩」→「サ」
また、カタカナの”サ”は、漢字の”薩”の草冠(くさかんむり)からできたとする説もあります。
これは、菩薩(ぼさつ)を略して「ササ」のように、草冠を2つ続けるような省文が、よく学僧などの間では使われていましたが、この流れから、カタカナの”サ”が生まれたとするものです。
”薩”は、薩摩など「さつ」と読みますが、このうちの一音目の「さ」の音が、カタカナ”サ”の音になっています。
カタカナの”シ”は、漢字の”之”の草体から変化して生まれました。
”之”の草体の筆記において、最後の画を右上方向に跳ね上げることで”シ”の字体となりました。
”之”には、音読みで「し」という読み方があり、この音がそのまま”シ”の音になっています。
なお、ひらがなの”し”も漢字”之”の草体から変化して生まれましたが、変化の仕方が少し異なることで”し”と”シ”のように全く字体の異なる仮名となりました。
とは言え、”シ”を一筆書きのように書くと”し”の字体に近い形状になることから、字源の漢字が同じ”之”であることが感じ取れます。
カタカナの”ス”は、漢字の”須”の最後の3画から生まれました。
厳密に言えば、当時の”須”は行書体では「彡」の代わりにさんずいを用いて筆記していましたが、さんずいを用いた行書体の筆記における最後の2画(楷書体では3画に相当)から”ス”ができました。
”須”は、急須、必須など「す」と読みますが、この音がそのまま”ス”の音になっています。
カタカナの”セ”は、漢字の”世”の行書体が変化して生まれました。
ひらがなの”せ”も、漢字の”世”の行書体が変化して生まれていますが、そのひらがな”せ”が更に変化してカタカナ”セ”になったと言われています。(ひらがな”せ”の1画目と2画目を続けて書くことで、カタカナ”セ”になった)
実際に、現在のカタカナ”セ”のように書かれるようになったのは、室町時代以降と言われていて、それまでは、カタカナでも”せ”のように筆記していました。
”世”は、世間のように「せ」と読みますが、この音がそのままカタカナ”セ”の音になっています。
ひらがな”せ”もカタカナ”セ”も、共に漢字”世”の草書体が変化したとする説もあります。これは、”世”の草書体と行書体がとても似ている書体であることによります。
また、漢字の”世”が元から”せ”のような字体だったとする説もあります。詳細は、下記の関連記事に記載しています。
カタカナの”ソ”は、漢字の”曽”の最初の2画から生まれました。
”曽”は、木曽のように「そ」と読みますが、これがそのままカタカナ”ソ”の音になっています。
なお、ひらがなの”そ”も、漢字の”曽”からできましたが、ひらがなの場合は”曽”の草書体から変化しました。
タ行
カタカナの”タ”は、漢字の”多”の最初の3画(上部の「夕」)から生まれました。
上下の形状が同じなので、最後の3画(下部の「夕」)からできたとする説もあります。
”多”は、多数のように「た」と読みますが、この音がカタカナ”タ”の音になっています。
なお、漢字の”夕”(夕方の夕)の字形は、カタカナの”タ”に似てはいますが、これが字源ではありません。あくまで、漢字の”多”が字源です。
カタカナの”チ”は、漢字の”千”の全画から生まれました。
最後の画を、「ノ」のように左方向に曲げているのは、漢字の”千”と区別するためのようです。
”千”は音読みでは「せん」と読み、千歳、千代のように「ち」と読むのは訓読みで、訓読みに由来する珍しいケースのひとつです。
カタカナ”ツ”の由来には諸説があります。
「川」→「ツ」
カタカナの”ツ”は、漢字の”川”の全画から生まれたとする説が有力です。この説では、”川”を続けずに筆記して”ツ”の字体に変化したとされています。
”川”には、河川などのように「せん」と読みますが、「つ」という読みはありません。
これは、”川”には古音(こおん・呉音が日本に伝わる以前に伝来していた漢字の音)として「つん」の音があり、この一音目の「つ」の音がカタカナの”ツ”の音になったと言われています。
なお、ひらがなの”つ”の由来にも諸説がありますが、カタカナと同様に、漢字の”川”から生まれたとする説が有力です。
「州」→「ツ」
また、カタカナの”ツ”は、漢字の”州”の草体から変化したとする説も有力です。
”州”を草書体で書くと、”川”を続けて書いたような筆記になりますが、これを続けずに筆記して”ツ”の字体になったと言われています。
”州”も、「しゅう」とは読みますが、「つ」という読みはありません。
これも、”川”と同じく古音に由来すると言われています。”州”の古音に、「つ」に近い音があることが分かっています。
なお、ひらがなの”つ”の由来にはいくつかの説がありますが、漢字の”州”から生まれたとする説もそのひとつです。
「津」→「ツ」
更に、カタカナの”ツ”は、漢字の”津”の一部から変化して生まれたと言う説もあります。
津の字体だけを見ると、さんずいの部分が”ツ”に似ている感じがありますので、さんずいがもとになっていると考えてしまうかも知れませんがそうではありません。
もし、さんずいの筆記が語源だとすれば、”ツ”の筆順は今と逆になっていなければ不自然なのです。
実は、”津”を語源とする根拠は、”津”の字体に直接表れる部分ではなく、その本字(ある漢字のもととなった漢字)の一部である「彡」から変化したと考えるべきです。
”津”の旁である「聿」は、もとは「聿」そのものと「彡」が合わさってできた会意文字と言われています。(会意文字とは、複数の漢字を合成して別な文字とするもの)
従って、もとの漢字である本字は、下記の図のような字体になっていて、この字体の中の「彡」がカタカナの”ツ”に変化したと考えられています。
”津”は、興味津々などのように「シン」という音読みしかありませんが、津波などのように「つ」と読む訓読みがあります。
この説では、この訓読みの「つ」の音がカタカナの”ツ”の音になったと考えられています。
「門」→「ツ」
そして、カタカナの”ツ”には、更に別な説があり、漢字の”門”の草体から変化して生まれたと言う解釈もされています。
門を草書体で筆記すると、上記に示したような字体になりますが、この字体が変化して”ツ”になったと考えられています。
実際の草書体は、図に示したよりも、かなり”ツ”に近い字体をしていて、これがこの説の大きな根拠になっています。
しかし問題は、”門”には本来「もん」や「ぼん」という音読みや、「かど」などの訓読みはあっても、「つ」という読みがないことです。
敢えてあげれば、訓読みに「と」という特殊な読み方があって、門叶(とが、とがない、とがのう)や門崎(とざき)というように使われますから、恐らくこの「と」の音が「つ」の音に代わって使われたことによるのでしょう。
例えば、栂という漢字は「つが」と読みますが、「とが」のような読み方もあります。
このように「つ」と「と」を近い音のように扱っている例があることを見れば、これも理解しやすいところです。
「爪」→「ツ」
また、カタカナの”ツ”は、漢字の”爪”の一部の変化で生まれたと言う説もあります。
”爪”は4画ですが、初画を省いた最後の3画が変化したものと考えると、字体が似ているため理解しやすいと思います。
しかし、”爪”を草書体で筆記すると筆記が続くことで省画されますが、草書体の字体は初画に相当する上部の「ノ」を省略すると、あたかも”ツ”のような字体になることから、草書体の一部が変化したとも考えられます。
ここでは、あえて「終わりの3画」や「草書体から変化」と言う表現を用いずに、「一部の変化」と記述したのは、両方の解釈が成り立つからです。
なお、この説では、”爪”が爪切りなどのように「つめ」と読むことから、この一音目の「つ」がカタカナの”ツ”の音になったとしています。
カタカナの”テ”は、漢字の”天”の最初の3画から生まれました。
つまり、最後の画を取り除いてできたのが”テ”ですが、その際、カタカナ”チ”と区別するために、”テ”の三画目の「ノ」を上に突き出さないようにしたようです。
”天”は、天井や天気などのように「てん」と読みますが、その一音目の「て」が、カタカナ”テ”の音になっています。
なお、ひらがなの”て”も漢字の”天”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”天”の草書体から変化しました。
カタカナの”ト”は、漢字の”止”の最初の2画から生まれました。
”止”は、止(と)まると言うように「と」と読みますが、これは訓読みで、カタカナ”ト”の音の由来ではありません。
ひらがなの由来の記事における、ひらがな”と”の説明にも書きましたが、”止”には古音(こおん・呉音が日本に伝わる以前に伝来していた漢字の音)として「と」の音があり、これに由来します。
なお、ひらがなの”と”も漢字の”止”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”止”の草書体から変化しました。
「外」→「ト」
また、カタカナ”ト”は、漢字”外”の旁(又は、最後の2画)から生まれたとする説もあります。
”外”は、外野、内外などのように「がい」と読んだり、外科などのように「げ」と読みますが、音読みにも訓読みにも「と」と言う音はありません。
これは、古音(こおん・呉音が日本に伝わる以前に伝来していた漢字の音)として「と」の音があり、この音がカタカナの”ト”の音になったと考えられています。
外花を「とばな」、外行を「となめ」、外山を「とやま」のように特殊な読み方をすることがありますが、恐らくこれらは古音に関係があるのでしょう。
ナ行
カタカナの”ナ”は、漢字の”奈”の最初の2画から生まれました。
カタカナの”ナ”が、「ナ」の字体に定着する以前の平安時代には、”ナ”の代わりに、”奈”の一部の画から生まれた他の字体も使われていました。
具体的には、”奈”の最初の3画である「大」のような字体や、”奈”の最後の3画である「小」のような字体、”奈”の最後の5画である「示」のような字体などです。
その後、時代を経るにつれて「ナ」の字体に統一・定着して行きました。
”奈”は、奈良のように「な」と読みますが、この音がカタカナ”ナ”の音になっています。
なお、ひらがなの”な”も漢字の”奈”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”奈”の草書体から変化しました。
「南」→「ナ」
また、カタカナの”ナ”は、漢字の”南”の最初の2画から生まれたとする説もあります。
実際、奈良時代の万葉仮名としての用例が残っていますし、字体も似ています。
この説では、”南”の最初の2画である「十」は、漢字の”十”と似ていることから、「ナ」のように左に曲げたのではないかと考えられています。
”南”は、南北などのように「なん」と読みますが、南無(なむ)などのように「な」(呉音)とも読みます。この呉音である「な」の音が、カタカナ”ナ”の音になったとされています。
但し、この説は江戸時代に有力視されていましたが、今日では”奈”を語源とする説が一般的です。
その理由は、”奈”の画の一部である、「大」、「小」、「示」などもカタカナ”ナ”の代わりに使われていた経緯から、”奈”を語源とする方が自然だと考えられるようになったからです。
カタカナの”ニ”は、漢字の”二”の全画から生まれました。
全角から生まれたカタカナには”ニ”の他にも、「ミ」(三)、「ツ」(川)、「ハ」(八)、「チ」(千)などがありますが、”ニ”は、語源の漢字と字体がほぼ同じ珍しい例です。
”二”は、二回、二度などと「に」と読みます(呉音)が、この音がそのままカタカナ”ニ”の音になっています。
「仁」→「ニ」
また、カタカナの”ニ”には、漢字の”仁”の旁(最後の2画)から生まれたと言う説があります。
”仁”は、仁義のように「じん」と読みますが、呉音では仁王のように「に」と読みます。この説では、”仁”の呉音における「に」の音が、カタカナ”ニ”の音になったとしています。
”仁”を語源だとする説は、江戸時代には有力視されていましたが、現在では漢字の”二”を語源とする説が一般的です。
それは、江戸時代にはカタカナは漢字の偏や旁などの一部から生まれたとする考え方が強くあったからです。
しかし、上記の「ミ」、「ツ」、「ハ」、「チ」のように全角から生まれたカタカナがいくつもあることから、その説が不自然と考えられるようになって行きました。
なお、ひらがなの”に”は、漢字の”仁”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”仁”の草体が変化してできました。
カタカナの”ヌ”は、漢字の”奴”の旁(最後の2画)から生まれました。
”奴”の最後の画は右に払いますが、カタカナ”ヌ”の最後の画は止めて書きます。
これは、カタカナの”ヌ”と漢字の”又”を区別するためだったのではないかと考えられています。
”奴”は、奴隷のように「ど」と読みますが、奴婢(ぬひ)、奴僕(ぬぼく)のように「ぬ」とも読み(呉音)ます。この呉音の読み方の音が、カタカナ”ヌ”の音になりました。
なお、ひらがなの”ぬ”も漢字の”奴”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”奴”の草体が変化してできました。
カタカナの”ネ”は、漢字の”祢”の偏から生まれました。
”祢”は、禰宜(ねぎ)のように呉音で「ね」と読みます(禰は祢の異体字)が、この呉音の「ね」の音が、カタカナ”ネ”の音になりました。
なお、ひらがなの”ね”も漢字の”祢”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”祢”の草体が変化してできました。
カタカナの”ノ”は、漢字の”乃”の最初の1画から生まれました。
”乃”は、乃木坂のように「の」と読みますが、この音がそのままカタカナ”ノ”の音になりました。
なお、ひらがなの”の”も漢字の”乃”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”乃”の草体が変化してできました。
ハ行
カタカナの”ハ”は、漢字の”八”の全画から生まれました。
どちらの字体もとても似ていますが、漢字の”八”の二画目は右へ払い、カタカナ”ハ”の二画目は筆を止める点で異なります。
”八”は、八個のように「はち」又は「はつ」と読みますが、このうちの一音目の「は」の音が、カタカナ”ハ”の音になりました。
カタカナの”ヒ”は、漢字の”比”の旁(最後の2画)から生まれました。
”比”という漢字の右側の「ヒ」の一画目は「ノ」のように右から左に筆を執りますが、古来は右から左に書いていました。
従って”比”の左側からではなく、”比”の右側(旁)がそのままカタカナの”ヒ”になったと解釈するのが自然です。
”比”の左側の最後は右上に撥ねているのに対して、”比”の右側は上に撥ねていない(当時は撥ねないで筆記していた)ところも、”比”の旁(右側)がカタカナ”ヒ”の由来であることの表れです。
”比”は、比較、比率などのように「ひ」と読みますが、この読み方の音がそのままカタカナの”ヒ”の音になりました。
なお、ひらがなの”ひ”も漢字の”比”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”比”の草体が変化してできました。
カタカナの”フ”は、漢字の”不”の最初の2画から生まれました。
”不”は4画ですが、行書体の一画目と二画目を続けて筆記することで、”フ”となりました。
”不”は、不可、不能のように「ふ」と読みますが、この読みの音がそのまま、カタカナ”フ”の音になっています。
なお、ひらがなの”ふ”も漢字の”不”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”不”の草体が変化してできました。
”不”の草体の場合は、筆順が一画目が横画で次の2画目は縦画という通常とは異なる順番で、この筆順が崩れてひらかなの”ふ”になっています。
ひらがなの”ふ”については、下記の関連記事を参考にして下さい。
カタカナの”へ”は、漢字の”部”の旁(つくり・おおざと)から生まれました。
”部”は、部屋のように「へ」と読みますが、この音がカタカナ”へ”の音になりました。
ひらがなの”へ”も、漢字の”部”から生まれましたが、ひらがなとカタカナの字体が似ていることや、結果として旁(おおざと)から生まれていることから、同一の成り立ちと考えがちです。
実際は、少し趣が異なり、あくまで、ひらがなは当時”部”の代わりに慣用的に用いられていた「阝」(おおざと)の草体の変化から、カタカナは”部”の旁の変化から、生まれたと考えるのが適切です。
なお、19世紀くらいまでは漢字の”邊”や”皿”がカタカナ”へ”や、ひらがな”へ”の語源だとする説がありましたが、今日ではいずれも間違った説だとされています。
カタカナの”ホ”は、漢字の”保”の最後の4画にあたる「木」の部分から生まれました。
漢字の中には、”条”など「木」が含まれる文字が多くありますが、これらの字は「木」の字体の代わりに「ホ」のような字体で書くのが、当時は通例でした。
漢字の”保”もこれらの漢字の例外ではなく、「木」の3、4画目を離して筆記する書き方から自然と「ホ」になりました。
”保”は、保管、保存などのように「ほ」と読みますが、この音がそのままカタカナ”ホ”の音になっています。
なお、ひらがなの”ほ”も漢字の”保”からできましたが、ひらがなの場合は”保”の草体からできました。
マ行
カタカナの”マ”は、漢字の”末”の最初の2画から生まれたと言われています。
江戸時代までは、カタカナの”マ”は、”末”の最初の二画のような字体(「ニ」の下の横棒が短い)や、横画「一」の下に「丶」を打つような字体を用いていました。
その後、続けて筆記するようになって”マ”という字体に変化しました。
”末”は、期末のように「まつ」と読みますが、このうち一音目の「ま」が”マ”の音になりました。
ひらがなの”ま”も漢字の”末”から生まれましたが、ひらがなの場合は”末”の草書から生まれました。
「万」→「マ」
また、カタカナの”マ”は、漢字の”万”の2画目の省略(1画目と3画目)によって生まれたとする説もあります。
3画目を左に払わずに留めて書き、1画目と続けて筆記することで”マ”になったという説です。
”万”は、万力のように「まん」と読みますが、このうち一音目の「ま」がカタカナ”マ”の音になったと考えられています。
更に、漢字の”万”の最初の2画から生まれたとする説もありますし、漢字の”末”と”万”のそれぞれの1、2画目の混合によって生まれたとする説もあります。
いずれの説も、江戸時代まで書かれていた字体を経て”マ”になったと考えられているようです。
諸説はあるものの、漢字の”末”の最初の2画から生まれたとする説がもっとも有力な説だと言われています。
カタカナの”ミ”は、漢字の”三”の全画から生まれました。
カタカナ”ミ”は三本の横棒をやや右下がりに筆記しているのは、漢字との見分けをしやすいようにとの配慮があったと思われます。
”三”は音読みでは「み」とは読まず、訓読みで「み」と読みます。これも、訓読みに由来する珍しいケースです
カタカナの”ム”は、漢字の”牟”の最初の2画から生まれました。
”ム”は最も初期に書かれるようになったカタカナのひとつで、カタカナが使われるようになったと言われる平安初期よりも前の筆記が残っています。
”牟”は、釈迦牟尼仏や大牟田などように「む」と読みます。これは呉音ですが、この音がカタカナ”ム”の音になっています。
カタカナの”メ”は、漢字の”女”の最初の2画から生まれました。
”女”は、「く」「ノ」「一」の順番に書きますが、当時の筆記では、よく「く」の部分をなめらかな曲線のように書いていました。そのような筆記において、最後の画を省略(最初の2画のみ)してできたのがカタカナの”メ”です。
従って、カタカナの”メ”は、当初「く」「ノ」の順に従った筆順でしたが、平安時代末期頃にいつしか「ノ」を最初に書く筆順に変わったと言われています。
”女”は、女神や女々しいのように「め」と読みますが、この音がカタカナ”メ”の音になっています。
カタカナの”モ”は、漢字の”毛”の最後の3画から生まれました。
”モ”の縦画が上に突き出ていないのは、ひらがなの”も”と区別するためだったと言われています。
また、カタカナの”モ”には、漢字の”毛”の省画(2画目或いは3画目の略)から生まれたという別な説もあります。
実際、平安時代中ほどまでは、”毛”の2画あるいは3画目を省画して、「乇」のように書いたていた筆記が残っていますが、この初画の「ノ」を左に払うのではなく、「一」のように左から右に筆を走らせる筆記によって”モ”になったという考えです。
これら、「最後の3画から」という説と「省画から」という説は、どちらが正しいというよりも、両方の書き方から自然と”モ”という字体に落ち着いたという見方もされています。
”毛”は、毛布など「もう」と読みますが、この一音目の「も」が、カタカナ”モ”の音になっています。
なお、ひらがなの”も”も、漢字の”毛”から生まれましたが、ひらがなの場合は草書から変化しました。
ヤ行
カタカナの”ヤ”は、漢字の”也”の草体から変化して生まれました。
ひらがなの”や”も、漢字の”也”の草体から変化して生まれましたが、ひらがなの”や”の二画目を省いてできたのがカタカナの”ヤ”です。
草体を続けて筆記したことで生まれたのが、ひらがなの”や”ですが、その草体を丁寧に書きなおした字体、即ち楷書化して変化した字体がカタカナの”ヤ”という解釈もあります。
このように、ひらがなの”や”の二画目の省略と、漢字の”也”の草体の楷書化とは別だと考える説もあるようですが、変化の過程が微妙に異なるだけで、”也”の草体から生まれたという点では同じです。
漢字の”也”の草体の簡略化と説明する説もありますが、表現が異なるだけで字が生まれた流れとしては同じです。
なお、カタカナの”ヤ”が、漢字”也”の楷書の省画から生まれたとする説は、字体から考えて不自然と考えるべきです。
漢字”也”は、「なり」と読むのが一般ですが、達也など人名などで「や」と読み(音読み)、この音がカタカナ”ヤ”の音になっています。
カタカナの”ユ”は、漢字の”由”の最後の2画が変形して生まれました。
”由”の最後の2画は下方の横画2つである「ニ」ですが、これを続けて筆記することで”ユ”のような字体になります。
しかし、これは現代の筆順に基いて解釈したひとつの説で、実際の生まれはこれとは違うと言われています。
”由”の筆順には、上記のように「冂」を書いた後に、縦棒「|」をかいてから残りの横線2本を書く筆順があります。(下図A)
しかし、昔は、「冂」を書いた後に、中の横棒「―」を書いてから縦棒「|」を書き、最後に一番下の横棒「―」を書く筆順がありました。(同図B)
また、先に「日」を書いてから「|」という書き方(同図C)もあり、全部で3通りの筆順があったのです。
これら3通りの筆順のうち、最後の2画として縦画を書いてから横画を書く「丄」の字体(図中B)から変化してカタカナの”ユ”ができたとするのが正確な由来です。
「丄」の縦画を書き始めるときに、筆を打つようにしたことから少し縦画の上部に角度がついて、そこから徐々に最初の横画が長くなって”ユ”の上部の形に近くなり、最終的に今日の”ユ”の字体になったと言われています。
”ユ”が、「丄」から変化したというのには根拠があり、カタカナが使われ始めた当初は、”ユ”を「丄」のように筆記していた経緯があるからです。
”由”は、由来などのように「ゆ」と読みますが、この読みの音がそのままカタカナ”ユ”の音になっています。
「弓」→「ユ」
また、カタカナの”ユ”は、漢字の”弓”の最初の2画から生まれたとする説もあります。
これは、”弓”の字体を考えると非常に分かりやすいのですが、”弓”は万葉仮名として常用されてはいなかったことや、当初は「丄」のように筆記していたことの説明がつかないことから、この説を否定的に見る人もいます。
これに対して”弓”を起源とする説では、「丄」は使われてはいたが、”弓”を「ゆ」と読むことから最初の2画がこれに置き換わって行った、或いは、「丄」が”ユ”の字体に変化して行く過程で、”弓”の最初の2画の字体の影響を受けたとしています。
”弓”は、通常「ゆみ」と読みます(訓読み)が、「ゆ」としての読み方(訓読み)もあり、この音がカタカナ”ユ”の音に相当しています。
カタカナの”ヨ”は、漢字の”与”の最後の2画から変化して生まれました。(字体がイメージしやすいように、上図では2画目の途中から緑色で示しています)
当時の”与”は、終画(横画)を右に突き出ない字体の「与」でしたが、この字体の最後の2画を用いているため、当初のカタカナは「ヲ」に近い字体でした。
その後、平安時代中期から下方に横画が加わるようになって、現在の”ヨ”のような字体になりました。
”与”は、給与のように「よ」と読みますが、この音がカタカナの”ヨ”の音になっています。
また、カタカナの”ヨ”は、下図のように漢字の”與”の画の一部から生まれたとする説がありますが、これは適切ではありません。
確かに、画の一部(”與”の右側)は”ヨ”の字体に似てはいますが、形状が似ていることから、後から当てはめただけです。この説では、平安中期まで書かれていた「ヲ」に近い字体の説明がつきません。
”與”は”与”の旧字で、”与”は”與”の略体ですから、本来は同一の漢字です。従って、由来する漢字としては”與”であると言っても間違いではありません。
しかし、あくまで”與”の略体である”与”の最後の2画から変化したもので、”與”の画の一部から生まれたものではありません。
ラ行
カタカナの”ラ”は、漢字の”良”の最初の2画から生まれました。
当初の”ラ”は、漢字”良”の最初の2画の字体に近く、”ラ”の初画は点(ヽ)を打ち、終画も留めて書いていました。
その後、初画を横画に書き、終画を左へ払う筆記になって、今日の”ラ”の字体になりました。
問題は、”ラ”の読み方です。奈良などは「ら」と読みますが、本来は”良”という漢字には、漢音にも呉音にも「ら」という音はありません。
これについては諸説がありますが、呉音の「ろう」を古い仮名遣いで「らう」と読んでいた説や、漢字が朝鮮を経て伝来した際に、朝鮮での読み「ら」が伝わったとする説が有力です。
なお、ひらがなの”ら”も、漢字の”良”から生まれましたが、ひらがなの場合は”良”の草書体から変化しました。
カタカナの”リ”は、漢字の”利”の旁(つくり)である「りっとう」から生まれました。
”利”は、利用などのように「り」と読みますが、この音がそのままカタカナ”リ”の音になっています。
なお、ひらがなの”り”も、漢字の”利”から生まれましたが、ひらがなの場合は”利”の草書体から生まれました。
カタカナの”リ”と、ひらがなの”り”とでは字体が似ていますが、その生まれた経緯が全く違います。
詳細は下記のひらがなに関する関連記事中の「り」の部分を参考にして下さい。
カタカナの”ル”は、漢字の”流”の最後の2画から生まれました。
当初のカタカナ”ル”は、最終画が「儿」のように、垂直に下ろした筆記が直角に右方向になる字体でしたが、その後、現在のように右上に跳ね上げる字体に変化しました。
漢字の”流”の最後の2画から生まれたのが定説ですが、”ル”の形状から考えて、”流”の最後から1画目と3画目から生まれたとする説もあります。
また、「最後の2画からの筆記」と、「最後から1画目と3画目の筆記」とが併存する中で自然と”ル”の字体に落ち着いたとする説もあります。
”流”は、流布や流転などのように「る」と読み(呉音)ますが、この音がカタカナ”ル”の音になっています。
カタカナの”レ”は、漢字の”礼”の旁から生まれました。
当初のカタカナ”レ”は、”礼”の旁に似た「乚」のような字体をしていましたが、その後、右上に跳ね上げて今日の”レ”の字体になりました。ひらがなの”し”と区別する意図があったのかもしれません。
”礼”は、儀礼や典礼などのように「れい」と読みますが、この一音目の「れ」が、カタカナ”レ”の音になっています。
なお、ひらがなの”れ”も、漢字の”礼”から生まれましたが、ひらがなの場合は”礼”の草体からできました。
カタカナの”ロ”は、漢字の”呂”の最初の3画から生まれました。
当時の”呂”は、4画目の「ノ」を書かない字体「吕」(口を縦に2つ書く字体)でしたし、上下の「ロ」の形状は似ているので、”呂”の最後の3画から生まれたとする説もあります。
”呂”は、風呂などのように「ろ」と読みますが、この音がカタカナ”ロ”の音になっています。
なお、ひらがなの”ろ”も、漢字の”呂”から生まれましたが、ひらがなの場合は”呂”の草体からできました。
ワ行
カタカナの”ワ”は、漢字の”和”の旁の草体から生まれました。
”和”の旁である「口」は3画ですが、草書体の場合、1画目の縦画の筆を戻す形で2画目を続けて書き、その後、3画目は右から左へ払うような筆記になります。この筆記を崩すことで”ワ”の字体になりました。
和は、和平や調和のように「わ」と読みますが、この音がカタカナ”ワ”の音になっています。
ひらがなの”わ”も、漢字の”和”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”和”の草体から変化してできました。
ところで、”和”の旁である「口」は、隷書(古い書体のひとつで略した筆記をする)の場合は、一画目と三画目をつなげて書いていました。
つまり、「口」を記述する場合に、「└」と「┐」の2画で筆記していましたが、同じ”和”からできたとしながらも、この隷書から”ワ”になったとする説もあります。
「○」→「ワ」
また、カタカナの”ワ”は、「わ」と読む漢字”輪”を記号であらわした「○」から変化したとする説があります。
輪は文字通り「輪っか」、即ち「丸」を意味しますが、この丸を図形的な記号として「〇」で表し、その筆記の仕方から変化して”ワ”になったというわけです。
但し、カタカナ”ワ”は、当初、”和”の偏である「禾」(のぎへん)を用いていた経緯があることから、語源はあくまで”和”であるとするのが定説となっています。
「禾」を用いていたのは、カタカナの成立過程の時期ですが、カタカナ”イ”には当初、語源である”伊”の旁(つくり)「尹」も用いられていたことと同種です。
カタカナの”ヰ”は、漢字の”井”の全画から生まれました。
実際に、江戸時代までは、カタカナの”ヰ”としては、「井」の字体がそのまま用いられていました。
明治時代になって、漢字の”井”とカタカナの”井”の区別がつかないことから、”ヰ”の字体になりました。
違、偉、緯など、「韋」を含んで「い」と読める字がいくつもありますが、「韋」の中にある「ヰ」の部分が影響して、”ヰ”の字体に収まったようです。
”井”は、井戸のように「い」と読みますが、この音がカタカナ”ヰ”の音になっています。(現在では「ヰ」と「イ」は同じ音とされています)
カタカナの”ヱ”は、漢字の”恵”の草体の終画(下部)から生まれました。
”恵”を草体で書くと、字体の下方が「ヱ」のような筆記になりますが、これがもとで”ヱ”となりました。
”ヱ”は、知恵のように「え」と読みますが、この音がカタカナ”ヱ”の音になっています。(現在では「ヱ」と「エ」は同じ音とされています)
なお、ひらがなの”ゑ”も、漢字の”恵”から生まれましたが、ひらがなの場合は、”恵”の草体からできました。
「慧」→「ヱ」
また、カタカナの”ヱ”は、漢字の”慧”の草体の一部(下部)から生まれたという説もあります。
これは、”恵”の場合と似ていますが、”慧”を草体で書くと、”恵”と同様、字体の下方が「ヱ」のような筆記になり、これがもとになります。
知恵のことを智慧とも書くように、”慧”は「え」と読みますが、この音がカタカナ”ヱ”の音になったとしています。
カタカナの”ヲ”は、漢字の”乎”の最初の3画から生まれました。
最初の3画を続けて筆記する中に、最初の2画がいずれも左から右に筆記する横画に変化して”ヲ”の字体になりました。
”ヲ”の筆順は、”フ”を先に書くのでは無く、横画二本を先に書きますが、この筆順に語源である”乎”の由来が残っています。
”乎”は、漢文の読み下しにおいて「を」と読み(呉音)ますが、この音がカタカナ”ヲ”の音になっています。
【ン】
カタカナの”ン”の由来を理解するためには、まず撥音便について知っておく必要があります。
カタカナが生まれた時代の当初は、”ン”という字は存在していませんでしたし、「ん」という音の概念もはっきりしていませんでした。
撥音などの音便は、発音しやすくするために読み方が変化して生まれたもので、「読みて」を「読んで」のように言うようになったのがその一例です。
この”ン”を用いる撥音は、11世紀になってから広まったため、それ以前は文字として”ン”が必要なかったのです。
しかし、上記の様に、「読んで」のように発音する以上、それに相当する文字が必要になったことから、後から追加されました。
ひらがなの場合は、「ん」の発音に比較的近いとされる「む」の音を持つ、漢字”无”の草書体が変化して”ん”となりました。
カタカナの場合も基本的には同じですが、由来については少し異なり、また諸説があります。
「尓」→「ン」
さて、まずカタカナの”ン”については、漢字の”尓”の最初の2画から生まれたという説があります。
”尓”の最初の2画を続けて書くと”ン”を続けて筆記するような字体になることが分かると思いますが、続けて書いていた最初の2画を別々に筆記することで”ン”となったと考えられています。
”尓”は、漢音で「じ」、呉音で「に」と読みますが、呉音の「に」が「ん」の発音に近かったころからこの字が用いられたと考えられているようです。
撥音では、「死にて」などは「死んで」に変化(「に」→「ん」)していますし、「なにぬねの」はいずれも舌を口内上部に当てて発音しますから、「ん」に近い音であることが分かると思います。
「无」→「ン」
また、カタカナの”ン”は、漢字の”无”の草書体の簡略化によって生まれたという説があります。
”无”の草書体を書き崩して生まれたのがひらがなの”ん”ですが、同じ草書体を簡略化して書くようにして、”无”の終画を上に撥ねる形で筆を走らせると”ン”のようになることが分かります。
”无”は、「ん」の音に近い「む」の読みを持ちますから、ひらがなと同様にこの漢字が用いられたと考えられています。
「V」→「ン」
最後に、カタカナの”ン”は、撥音を意味する記号”V”から変化して生まれたという説があります。
この説の場合、漢字に由来するわけではないことになりますが、現在では最も有力な説になっています。
この説では、撥音を表す記号として「V」や「レ」のような記号が用いられるようになって、この記号が変化して”ン”になったとしています。
いずれの説においても、「レ」のような字体が変化して”ン”になったという点では共通しているようです。