以前、孝養心について記事を書きました。今日はその続きを書きたいと思います。
母親が子供にそそぐ慈愛は、妊娠時期から既に始まります。
女性は妊娠するとホルモンのバランスが変わる事もあり、体に変化が出てきます。
これが体調の変化となり、つわりを招いたりする訳ですが、私の妻も例外では無く、何度も吐いていました。
吐くだけのことはあって、体の不調そのものも、とてもつらいものがあるようで、だるさや精神的な不安も相当でした。
苦しそうにしている妻は、ベッドに横たわって休むこともしばしばで、私はそんな姿を見ていて、頭の下がるような何とも言えない気持ちなりました。
かつて、私の姉や妹もとても苦しんでいる姿を見てきましたが、本当に女性は大変だなぁと思うと同時に、わが子のために母親は父親とは比べ物にならないくらい身を削っているのだなとつくづく思いました。
そして、妊娠時には体に悪いものは食べないように気を付けたり、悪影響のあるものを少しでも避けようとしたり、色々と気を使うことも大変なことだと思います。
妻は口にする食べ物1つ1つに、これは安全かと神経を使い、「妊婦に良い食品がある」と聞けば、どんなものかと必死に調べたりもしていました。
また、液晶タイプのモニターにすら近づこうとしませんでしたし、電子レンジを使う時はスタートボタンを押したら直ぐに離れた場所に待機していました。
それ位、わが子の為には何でもしようとする姿は、まさに妻の姿から母親の姿へ変わろうとしているように見えました。
そして、栄養分がどんどんとられるので、ともすると母親が栄養不足に陥りがちになります。
摂取するカルシウムは胎児が多く吸収し、それが晩年の骨粗しょう症につながったりもする訳ですね。
安定期に入ると、体の不調はあまり気にならなくなるものの、だんだん体が重たくなって来て体を動かす日常生活自体がたいへんになって来ました。
以前、さいたま市の子育て支援プログラムの一環で、男性が出産の大変さを理解するための「妊婦体験」というのがあって参加したことがありました。
そこでは、出産間近の妊婦が如何にに身重で大変であるかを10kgほどある専用の服を着て疑似体験することが出来る物があり、私も試してみました。
10kgほどの重さがおなかに掛かるだけでなく、おなかの大きさで身動きが思うように取れず、日常生活そのものがとても大変だと実感できました。
そして、出産近くになると、それこそ寝返りを打つのも大変な状態で、その頃には妻は「早く生みたい」と毎日言っていました。
そして出産に当たる苦労はとても大きなものです。
出産に当たって産婦人科で説明を受けた際に、万が一の時には緊急手術となり母子共に危険な場合は母体を優先させる旨の話があったのです。
私の妻は特に出産に際して異常があった訳でもなく、普通分娩でしたが、それでも出産とは危険と隣り合わせた、まさに命がけなのだとこの時痛感しました。
妻は陣痛が始まってから出産に至るまでの時間が非常に長く、半日に及びました。
立会い出産を希望していたので、ずーっと付き添っていたのですが、陣痛の痛みは言葉で表すことのできない痛みで出産までの長い時間、苦しみぬく妻の姿は痛々しいものがありました。
痛みを堪えるために、わざと自分の腕を強く噛んで紛らわそうとしている姿はとても生々しく、身を割かれるような思いでした。
その時、噛んだ歯の跡は産後数日間も残っていたのを見て、さぞ痛かったことかと改めて思ったものでした。
出産の痛みは、子が狭い産道を通り抜けて行くことで生じるものと言われていますが、その激痛は女性だからこそむしろ耐えられると聞いたことがあります。
どこかで耳にしたことがあるのですが、これが仮に「25歳の男性であれば失神」する、「30歳の男性であれば気絶」する、とのことです。
そして、我が身にこれほどの苦痛を与えた子であれば、本来憎みに憎んでもおかしくないところが、全く逆に、我が子を大事に大事に抱きかかえる。
親が子を思う慈しみとはどれほど深いものなのか改めて痛感するところです。
我が子の出産を通して感じたことは、自分の親も同じような思いをして私を生み、そして育ててくれたのだなぁという感謝の念です。
この大きな恩は人として絶対に忘れてはならないこと、そして、人として最も大事なことはこの恩に報いる孝養でありましょう。