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形骸化したメーデーの活動。常に活性化しない組織は腐敗して行くのを実感。

今年の5月1日、第89回長野県中央メーデーが開催されましたが、どんなことをやっているのかと興味を持って、ちょっとのぞいてみました。

メーデーの活動には全く興味がなかったのですが、長野に引っ越してから、長野には何かと感心を持っていたので、何か首都圏とは違うものを発見できるかもしれないと思ったのです。

形骸化した集会

いざ見てみると、労働者が、労働条件の改善を求めて経営者と力強く交渉するために団結するとの、本来のメーデーとしての活動はうすれ、形だけの集会という様子でした。

集会では、県知事、市長、民進党や社民党の党員の挨拶がありましたが、どの人の挨拶でも「本日は、メーデー開催、おめでとうございます」との言葉が発せられていて、「何がめでたいのか?」という感じがしました。

そして、話の内容を聞いていても、県知事、市長は立場上の責務を果たすためのスピーチ、各党員は支持を得たいとの意向をも感じる、安倍内閣を批判する話でした。

一方、そこに参加している多くの労働組合員も、本来の目的意識を持ってきている人はほとんど見られず、聞いたところによると、組合費から動員費用なるものが支給されている団体も多く、それが目的で来ている人もいるようでした。

現政策への不満もむなしい

会場の演壇には、いくつかのノボリが立てかけられていたのですが、現状の政策に対する抗議の意を表す、次のような内容のノボリがありました。

・仕事、きちんと報われていますか?
・暮らし、苦しくなっていませんか?
・老後や子育て、不安はありませんか?
・いまの政策、働く人が主役ですか?

どの内容を見ても、多くの人が賛同するようなありきたりな内容でした。景気が低迷する昨今、そして少子高齢化が進む今日においては、これらのことはある意味、全て当たり前です。

このような不満を掲げるものの、結局のところ、解決策は何も示されていないところに、現在のペテン内閣と交替できない悲しさを感じました。

常に活性化しない組織は腐敗する

さて、集会ですが、その後、「メーデー宣言」なるものが提案されて採択された後、メーデーの歌といわれる「晴れた五月」を合唱し、シュプレヒコールの練習をしたのち、デモ行進を行っていました。

そこには、経営者と力強く交渉しようといった気概は全く感じられず、形骸化したメーデーの姿を実感したものでした。ただ1つ意義があると感じたことは、団体という力は強いということで、何か本当に問題が起きた時には、組織力をもって実力行使ができる点にはメリットはあると認識できました。

今回、どのようなものかという興味本位で、長野県中央メーデーをのぞいてみましたが、所詮こんな物かというのが正直な感想です。淀(よど)んだ水にはボーフラがわくように、組織というものは、常に活性化していないと、腐敗・衰退して行くものだと強く感じたものです。

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