子を持って知る親のありがたさは、子を持つ親であれば、誰でも実感するところだと思います。
このブログで伝えて行きたいことのひとつに、孝養心がありますが、それは現代人が絶対に忘れてはいけない、最も重要な人倫の根本だと感じるからです。
そんな孝養心に関連して、今日は、子育てを通して日々感じる親の恩について書きたいと思います。
子供が咳を
今春、幼稚園児である次男が、朝起きた時、少し咳をしていて、ちょっと心配していたら、続いて起きてきた小学生の長男も咳をしていて、親として気がかりになりました。
どうも、季節の変わり目ということもあって、朝晩の気温差の影響で、寝冷えをしたようでした。
幸い二人とも、熱はなく、元気も良かったので、様子をみることにし、結果としては何事もなく、自然と咳も収まって行ったのでした。
こんな、日常どこにでもあるようなできごとでも、親としては「大丈夫だろうか」「熱があがらないだろうか」等と、頭の中は心配事として残るものですが、そんな思いを抱くたびに、我が子と幼き頃の自分、今の自分と若いころの父母、それぞれがオーバーラップしては、我が親の恩を強く感じるものです。
当時の両親が、私たちを育てるのに、どれほどの思いを持っていたのか、どれほど心を砕いてくれていたのかを思うと、涙が出てくるような思いが湧いてきます。
次男が迷子に
さて先日、ショッピングモールへ買い物へ行ったときのことですが、次男が迷子になったのです。
いつも、ちょろちょろ動き回っている次男でも、ふだんは、はぐれた場所で待っていれば元の場所に戻って来るのですが、その日に限っては、いくら待っても戻って来ず、近くを探しても見当たりませんでした。
普段とは違う状況に、さすがにその時は「もしかして何かあったのでは」と、少し青ざめて、慌ててインフォメーションセンターに赴いて、迷子になった旨を伝えて、探してもらうことにしたのでした。
迷子の手続きを終え、私自身もショッピングモール内をかけずり回って探し始めると、一分ほど経過した後、「パパ」と呼びかけてくる、聞きなれた声が聞こえて来たのでした。
辺りを見回すと、ちょっと離れた場所に次男が立っていて、全く泣くことも無く、何ごとも無かったかのようにケロッとした顔をしていて、こっちを嬉しそうに見ていて、直ぐに走って駆け寄り、思いっきり抱きしめたのでした。
とても心配したこと、パパやママから離れたらいけないこと、を改めて強く言っても、無邪気にニコニコしているだけの次男を見ては、「こちらがどれだけ心配したのか分かってんのか」と心の中で、強く叫んでいました。
そんなことがあったので、以前、私が小さい時に迷子になった話を思い出しては、当時の親の心境を想像して、よく育ててくれたとの感謝の思いが湧き、親の恩を改めてかみしめたのでした。
老いる親を見て涙
今年のゴールデンウィークに、実家に泊まりに行った際、すっかり痩せた父親が「最近は、夜中にトイレに行くのに2~3回は目を覚ます」と、老いている様子を語る姿に接し、また、昼食のご飯を半人前も食べられない、食の細くなった母親の姿を見ては、胸が締め付けられる思いを抱きました。
改めて、親の恩の重さと、孝養心の大事を強く感じては、このブログの続く限り、これを叫び続けて行きたいとの思いを新たにしました。