日本に住んでいると、日本人が取る行動が当たり前だと思ってしまうものですが、そんな行動も、外国人から見れば奇怪に思えることが多々あります。そんな行動の1つに、「まあまあ」というような、あやふやな表現をすることがあります。
「あのお店の料理は美味しかった?」との問いに、「そうですね。まあまあですね。」と答えると、日本人同士なら、普通の会話という感じですが、外国人から見れば、「いったい、美味しいのか、美味しくないのか、どっちなのか!」とイライラしたりするものです。
私は学生時代に数か月間、海外に滞在していた経験や、就職後もプライベートで海外に十数回行った経緯から、国際交流の場があると興味を持って積極的に参加したりするのですが、日本人の曖昧さに対して、外国人が怪訝な顔をする場面に、出くわすことがけっこうあります。
先日も、日本に滞在するある外国人が、近くにある美容院の評判が知りたくて、2人の日本人女性に聞いてみたところ、「悪くはないけど、良くもない」、「まあまあだね」というような言い方をされ、それを聞いたその外国人は「いったいどっちなの?」と少し呆れていた感じでした。
外国人から見れば、
「悪くない」=「良い」
「良くない」=「悪い」
という感覚があるので、「悪くない」けど「良くない」とはいったいどういうこと?となるわけですね。同様に、
YESの反対はNO
NOの反対はYES
ですが、これが日本人になると、「YESではないけどNOでもない」という表現があったりするわけで、外国人から見れば、まさに奇怪です。
こういった感覚の違いは、アンケートの表現なんかに表れています。例えば、アンケートの選択回答欄にある選択肢には、
良い 悪い ふつう
或いは
低い 高い どちらでもない
といった中間的な表現(ふつう、どちらでもない)が当たり前のようにあります。海外だとこれは、
良い 悪い わからない
というようになるでしょう。
さて、そもそも、まあまあという言葉の意味はなんでしょう。辞書を調べてみると「十分ではないが、一応 満足できる」というかんじで載ってました。
では、このような表現の言葉は外国語にはないのかというと、そうではなくて、たいていの言語でもあります。例えば英語だと「so-so」なんて表現がそれに当たりますね。しかし、言葉としては存在しても、実際の日常会話ではあまり使われないようです。
「まあまあ」とか「どっちでもいい」といったあいまいな表現をするのは、日本人特有の傾向で恐らくそれは、和を重んじたり、相手をいたわったり、おもてなしの心を持ったりする、日本人の優しさから来ているのではないかと思います。
つまり、物事は白黒結論づける必要はない訳ですし、いたずらに反発を買うような意見を言うよりも、相手と歩調を合わせて行った方が良い、という姿勢から来ているのではないでしょうか。
あいまいな表現は、日本人にしてみれば、ごくごく普通で当たり前の言葉だったりしますが、ともすれば、外国人にとっては、単に、主張や意見、信念、信条がなく中身のない人、優柔不断な人だと映るかも知れません。
海外の人と接する時は、「まあまあ」や「どっちでもいい」というあいまいな表現は控え、自分の意見や主張をはっきりと伝えて、誤解のないコミュニケーションを取って行きたいですね。