我が家にも小学生の子供がいますが、日々成長する姿には目を見張るものがあります。就学前はどちらかと言えば、身の回りの世話を中心に子育てを考えていれば良かったのですが、小学生くらいになると自我が芽生えて来て、接し方もそれに応じて対応して行かなければならないと感じます。
最近、我が子を見ていて、特に大事だと感じる点をもとに、小学生くらいの年代に対する接し方について、どうあるべきかをまとめました。
子供に考えさせる
子供は主役
まず、大事なことは何をやるにしても、子供を主役と見て、子供自身に考えさせて、自らがひと通り実行するようにしてあげることです。何かあると直ぐに横から口をだしてしまったり、手を差し伸べてしまったりすることがあるものですが、可能な限り子供に任せることが重要です。
何か失敗しそうなことがあると、親は失敗しないように教えるものですが、失敗から学ぶことはとても多く、いたずらに手を差し伸べるべきではありません。まして、手伝い過ぎるようなことがあれば、却って成長の妨げにもなり兼ねません。
また、子供にとって興味のあることは、子供にきちんとやらせてあげることが大切です。子供が興味があっても、親にとってどうでもいいことなどであると、とかく否定してしまいがちですが、親が邪魔することは決してすべきではありません。
要は、子供が興味を持って取り組むことは、興味の対象となる物を通して大きく成長する機会なので、妨げないでやらせてあげることが重要です。
親はわき役
そして、親はあくまでわき役という立場で、辛抱強く、しっかりと見守ってあげることが大切です。
特に、子供がやったことを頭ごなしに否定することや、親の意見を押し付けるようなことは避けるべきで、最低でも直接的な言い方はやめるべきです。
親から見て、結論が見えていることや、やっても無駄になることなどはどうしても口出しをしたくなるものですが、結論を出すのは子供自身ですし、無駄だと思っているのは親であって、子供ではないのです。
親にとっては無駄でも、子供にとっては、無駄であることを実体験を通して知ることができる、決して無駄にはならない、貴重な機会なのです。
もし仮に、どうしても介入したい場合は、聞き役という立場で何かを促すような言い方、つまり、子供自身に答えを導き出させるように誘導する表現がよいでしょう。
しっかり褒める
良いところをみる
そして、もう一つ大事なことはしっかり褒(ほ)めることでしょう。褒めてあげることで、子供は「こうすれば褒められるのだ」と感じて、自然と次に向かってのやる気が膨らみます。
逆にいえば、必要以上に叱ってしまうことは控えるべきです。いたずらに叱ってしまうと、単にやる気を削いでしまうだけではなく、物事に対して尻込みするようになってしまうこともあります。
褒めるということは子供にとっては魔法のようなものですから、常々「褒めて伸ばす」を心掛けたいものです。そして、褒めるためには短所を見ずに、しっかりと長所を見てあげることが重要です。
親の視点からだと、とかく悪いところや至らないところに、どうしても目が行ってしまうものですが、「必ず良いところがあるハズだ」と心得て、良いところを見つけてあげることが大切です。
そして褒める時でも、他の人と比較した言い方は望ましくありません。また、うまい褒め言葉が見つからないのであれば、子供に対して関心を持っているのだ、ということ示すだけのささやかな言葉だけでもいいのです。子供から見れば、親が関心を持ってくれていることは、どこかで評価してくれていると感じるものです。
結果だけを見ない
さて、子供を評価する時に、結果だけを見るのでは無くて、過程を重要視して、結果よりもむしろ過程の方を褒めてあげる方がいいでしょう。
良い結果を出せているのであれば結果を褒めてあげることも悪くはありませんが、それでも「これだけ頑張ったから、入賞できたんだよ」のように、過程の方をしっかり評価してあげることが大切です。
そして、至らないところをどうしても伝えたいのであれば、単に出来ていないところを指摘するのではなく、「ここのところは良く頑張って出来ているのだから、あそこの部分も同じように頑張ったら、今よりずっと上手になるよ」のように、出来ている点を褒めながら、至らないところを励めるように、勇気づけてあげる言い方がよいでしょう。
相手は子供ですから、失敗をするのはごくごく当たり前のことです。それを咎(とが)めるのは誰でも出来る訳ですから、そうではなく、失敗から多くを学べるよう、失敗に到った過程を改善できるように背中を押してあげることが大切です。
まとめ
以上、日々の子育てで感じるところを元に、小学生にどう接すべきかをまとめました。
これらは、私自身が、何度も何度も失敗を重ねてきたことによる、一種の教訓みたいなものでもあります。親であっても一人の人間ですから、ここに書いたような接し方が常に出来る訳ではありません。
それは、実際にこの記事を書いた私自身にも言えることで、判断に迷う時もあれば、ついつい感情が先走ることもあります。だからこそ、「このように接するべき」との指針を、常日頃から自分自身に言い聞かせ続けることが大切だと思います。日々、意識して心得ようとする中にこそ、より理想的な接し方ができるようになるハズです。