バブル経済が崩壊し、リーマンショックなどの影響を受け、長期に渡って景気が低迷する中で、業績がよい企業や経営体質を改革して伸びて行く会社がある一方で、長いあいだ低迷を続けている企業が多くあります。そんな低迷を続ける企業の中には、歴史や伝統、技術や実績といった大きなアドバンテージを持っていながら、時代の流れについて行けないとの理由で、今なお低迷を続けている企業も少なくありません。
そうした企業が目指すところは、従来の体質を打ち破ってその企業を改革して行こうとするところですが、実際にはほとんどの企業がそれを実行できていないのが現実です。
会社員を長年続けてきた私は、様々な企業と関わりながら色々な姿を見てきましたが、そうした低迷を続ける企業には、改革をすることができないという共通点を発見しました。そんな企業の典型的な姿を、改革という視点でまとめてみました。
改革なき企業は低迷する
日本がまだバブル経済の時代には、それなりの分野にそれなりの投資をして行けば、経営が傾くことは無く、ある意味、ほっといても企業の業績は伸びて行きました。
しかし、バブル経済は崩壊し、その後の景気低迷が長期間に渡って続く昨今の状況下では、その当時の経営方法は全く通用しなくなりました。そんな中、西洋経済は停滞するなか後進国が発展し、隣国である中国が台頭し、グローバル化はますます進みました。また、IT技術は大きく進歩してネットワーク社会が大規模となり、そのー方で、日本は少子高齢化が進むなど、どの一面を見ても、かつての時代とは大きく変わって来ました。
そんな日々大きく変わる情勢がある以上、企業としてもその変化に合わせて変わる必要があるのは自明で、そこに求められるのが改革です。換言すれば、時代の大きな流れに応じて改革を実行できた企業は生き残り、できなかった企業は取り残されて景気低迷の波にのまれたまま混迷を続けています。
低迷する企業の特徴
改革を成せないような企業は低迷を繰り返し、不況下で生き残ることは困難なのです。言い方を変えれば、低迷を繰り返す企業の特徴はまさに、改革を成せない点に現れていて、具体的には以下のような特徴があります。
形から入る
企業の経営者となる人であれば、「従来の形にとらわれない、革命的な変革が必要」との認識だけは、誰しもが持つところです。しかし、例えその認識を持っていたとしても、実行できるかどうかは全く別な話です。そして、とても多くあるパターンとしては、「形から入る」ということです。
事業部体制を変えようとして組織体制を変える、会社の体勢を変えるために分社化や合併をする、主要拠点のひとつを移転して新体制にする、などなどは組織体勢を変える典型的な姿です。もちろん、これら体勢を変えることは、経営の合理化、作業の効率化など、改善する上で必要なことや重要なことが多いのは事実です。
しかし、ここで問題なのは、こうした体勢の変更が「改革による」のではなく「形から入っている」企業がとても多いことです。名前は事業改革等の名のもとで行われるものなのですが、実態が形から入っているために、たとえ改善はできても改革というほどの内容が伴わないのです。
「形から入る」ということは、物事を変えようとする場合などに有効な手段の一つであり、それが重要となることが多々あるのも事実です。しかし、改革と名が付くほどの大きな変革を遂げようとする場合、形から入るのでは成し遂げられはしません。こんな簡単なことすら、多くの企業経営者は分からない、或いは分かっていてもできないのです。
過去の日本を見ても、革命と呼ばれるほどの変革がなされた歴史で、形から入ったような事例はひとつもありません。革命児とも呼ばれ、戦国時代に終止符を打った織田信長にしても、全国統一を成すに当っては、形から入ったわけではありません。成しとげようという強い信念の上に起こす行動そのものが改革を成し遂げたわけで、単に形を作ってできた訳ではないのです。
また、日本の歴史を大きく変えた明治維新も、幕末の藩士たちが将来の日本を真に憂えて行動する中にこそ成し遂げられた偉業で、何かの形を整えて行ったというようなものではありません。
このように、単に形から入るような生易しい姿勢では、改革と呼べるような大事は成せるはずはありません。企業経営者の中には「改革を成す!」と威勢のいいことを叫ぶ人も多いと思いますが、その実態はステークホルダーに対するパフォーマンスのために行う形作りというのが現実です。パフォーマンスを幾ら繰り返しても、結局のところ企業体質は変わるわけはなく、改革などはできずに低迷を繰り返すのは論を待たないところです。
周りのまねをする
企業経営において、他社が取り入れて画期的な制度を導入したり、世間で評価されているシステムを取り入れたりすることも多いと思います。こうした取り組みは、企業を改善して発展させてゆくためには重要なことでもあり、必要なことでもあります。
しかし、このような取り組みにおいて、常に周りの真似をしているのであれば、それは単に出遅れていることを意味しているだけです。
言い方を変えれば、他社が見習うような新しい制度や仕組みを、先駆けて導入できない企業体質がそこにあり、そうした一面に、改革ができない姿が現れているのです。何かを変えようとして、コンサルタント会社に相談するとか、依頼するといった話はよく耳にするところです。もちろん、今までになしたことがないことを促進しようとすれば、その分野の専門家の力を借りることは決して悪いことではありませんし、とても有効な手段のひとつです。
しかし、自分の会社のことを成そうとしているのにもかかわらず、こういった行動をとるところに、何か人任せにする面が隠れているものです。換言すれば、自分の会社ではやらずに人任せなところが、改革などできないひとつの姿の現れなのです。世間でも、人に頼んで改革をやるなどの話は聞いたことがありません。
時代の変化を先読みして、他社に先駆けて新たな制度や仕組みを導入していける企業こそが、真に改革を成しうるような組織であり、逆に、常に後手を引いて後追いするような企業が低迷するのも、ある意味当たり前のことです。
古いことを止められない
古いことをなかなか止められないのは、低迷する企業の大きな特徴の1つです。何か新しいことをしようとした場合、従来までの古い仕組みや方法にとらわれていたのでは、その範囲内でしか改善は遂げられないものです。従って、改革と呼べるような大きな変革を遂げようとした場合、そうした古いことを止められない体質が邪魔をします。
我々を取り巻く環境は、日々めざましく変化していて、それに順応して行こうとすれば、それ相応の変化が求められるのは当然ですが、古いことにとらわれる体質を持つ企業は、そういった対応ができないため、時代の変化について行けず低迷を繰り返すのです。
古いことにとらわれずに新しい変化を求めて行くことは、何も古い体制を否定したり、古い仕組みを悪い目で見たりすることとは全く違います。
古いやり方や新しいやり方はそれぞれが長短を持ち合わせているものなので、それらの良し悪しを論ずることは意味を持ちません。どちらが良いかという相対的な視点や物差しよりも、その時代の状況に合うやり方は何かという、絶対的な視点に立つことが大事なのです。
プログラマーなら理解しやすいと思いますが、あるソフトウェアに改良を加える場合は、元のソフトウェアを変更するのが一般的だと思います。しかし、そのソフトの機能を大幅に改良しようとした場合、ソフトウェアの変更では対応できず、新たなソフトウェアを作成するべき状況になるものです。
企業の改革などもこれに似ていて、ソフトウェアの変更をちょろちょろと変えている程度であれば、大幅な改善などはできるわけがありません。企業経営者の中にも、古いことにしがみつくような体質を持った人も多く、特に高年齢の人ほどその傾向が強く顕著です。
そういう人の中には、新しいことを始めることへの不安や、失敗を恐れる姿勢が目立つものですが、経営者側のそういう体質や姿勢は、組織下層部に多くいる若い社員へも自然と伝わり、結果として社員の革新に対する気迫までそいでしまっているのが現状です。しかしながら、経営者自身が経営の改善を自ら妨げていることを自覚する人は少ないのが実態でしょう。
経営者が自ら身を削らない
改革を成し遂げようとした場合、穏やかな道のりを進むようなことはできません。少なからず険しい道はあるもので、時としていばらの道を歩むことも求められます。つまり、改革と名の付く以上は、少なからず苦難や犠牲などは発生するもので、それを避けていたのでは、大きな変革などはとうてい成し遂げられません。
しかしここで問題なのが、経営者自らが身を削る姿勢であるかどうかです。経営者が自ら矢面に立って改革を進める中にこそ、従業員はそれに付いてくるもので、口先だけで改革を叫んで、自らは身の安泰をはかるような姿勢であれば、誰もついてくるものではありません。
織田信長が全国統一を図る際には、常に自らが矢面に立つような姿勢で臨んでいたといいますし、明治維新を成した幕末の藩士たちは、腐敗しきった幕末の体制を横目に、「明日の日本」を見つめて、それぞれの立場で身を削っていたとのことです。
経営者側に自ら身を削る姿勢がない企業は、改革などはできるものではありませんから、低迷するのも当たり前です。
まとめ
以上のように、低迷を続ける企業には色々な特徴があることが分かります。その特徴を見ると、行きつくところは、改善はできても改革と呼べるような革命的な改善ができない姿があり、また、それができないような企業体質が根底にあります。
見せかけの改善を繰り返して、本来なすべき改革がなせない姿は、対処療法ばかりして根本療法をしない姿に似ています。これでは、いずれはジリ貧となって立ち行かなくなるのは目に見えているところです。
例えば、乱れた食生活を続けてその都度、胃腸薬を飲み続けて対処していれば、やがてそれは病気という大きな苦しみをもたらします。しかし、食生活の改善を測って病気に強い体を作って行けば、病を招くことはないでしょう。
低迷する企業はまさに、胃腸薬を飲み続けて対処している姿に似ています。低迷する企業の経営に携わる者こそ、真に改革を進めて盤石な企業に成長させ、その責務を果たすべきでしょう。