長野に引っ越してから、もう何年も経ちますが、都内で車の運転をしてきた私にとっては、長野での運転に、未だ違和感を覚えることがあります。
それはちょうど、地方へ自動車で赴いた時に感じるような「運転に対する姿勢や感覚の違い」のようなものに似ていて、「運転に対する姿勢や感覚は地域によって差があるものだなぁ」とつくづく感じます。
目次
都内の運転に慣れた私が以前から感じてた地域差
東京で生まれ、東京で育った私は、都内の運転にはとても慣れていました。
埼玉に引っ越してからも都内への通勤は自動車でしたので、東京を中心とした地域は、あたかも庭のような感覚すらありました。
そして東京や埼玉に住んでいた頃から、遠方に何度も何度も車を走らせていたので、その地域、地域におけるドライバーの運転に対する姿勢や感覚の違いは、以前から割と頻繁に感じていました。
もちろん、ドライバーによっても違いますから、その地域の全ての車両に当てはまる訳ではありませんが、地域ごとにそうした傾向があるのです。
例えば、一般に言われているところでもありますが、大阪などでは青信号は走行、黄信号も走行、赤信号も変更直後なら走行です。
もちろん道路交通法では、青信号は走行可、黄信号は停止(条件により走行可)、赤信号は停止の意味ですが、大阪では赤信号への変わり際直後までが走行可という傾向があり、実際に、少なからずのドライバーが、赤信号に変わった直後でも走行している姿を見かけます。
従って、黄信号になったから停止しようとブレーキを踏むと、後続車両からはバッシングをされたり、クラクションを鳴らされたりして「なに停止してやがんだ!」とばかりに、走行するように煽られることがあります。
ともすると、停止しようとする私を、まるで犯罪者を見るかのような視線で睨(にら)みつけるようなことすらあります。
都内の運転に慣れた私にとっては、とても違和感があるのですが、大阪などではこれは普通にあることなのです。
また、関西を走っていると、基本的にウィンカーを出さないのが当たり前です。
関東ではウインカーは出すのが当たり前なので、東京なんかでウィンカーを出さない車両があると、「マナーの悪いドライバーだ」と思うのが普通です。
しかし、 関西でウィンカーを出したりすると、「こいつウィンカーなんて出しやがって、田舎者!」と、まるで馬鹿な奴を見るような目つきで見られます。
更に、片側二車線の道路などで、隣の車線に変更しようとする場合、関西などではなかなか車線変更をさせてくれません。
都内では車線変更しようとしてウィンカーを出すと、後方の車両はわざわざ入りやすいように車間を確保してくれるものですが、関酉では変更しようとしてウィンカーを出そうものなら、逆に車間を詰めて来て、入れないようにされてしまいます。
長野の運転手を見て感じること
運転が自転車感覚
さて、実際に今住んでいる長野ではどうでしょうか。長野で運転していて一番感じることは何かと言えば、自転車感覚で運転するドライバーが多いということです。
自転車の場合は、自動車と比べて小回りが利くことと、交通法規上は自動車よりも厳密さが要求されないことの理由から、運転もあまり厳密でなく、操作もルーズな面があります。
例えば、停止の道路標識がある優先道路への入り口に差し掛かる場合、自転車は完全には停止しないまま優先道路に進入するケースが多いと思います。
これは、一旦停止すると、再び自転車をこぎ出すのには体力を使うことと、小回りが利くので危ないと気付いた段階で回避すれば、現実的には問題が起こらないことによります。
しかし、このような自転車感覚で自動車を運転するドライバーが、長野では非常に多いのです。
実際に、優先道路を走行中に、まともに安全確認もしないで脇道から平気で進入してくるような車両が多く、接触しそうになる場面に遭遇することが頻繁にあります。
恐らく、自動車が唯一の交通手段というような環境にあるために、高齢の人でも、自動車にあまり馴染めないような人でも、それこそどんな人でも運転をせざるを得ない状況にあることが影響しているのでしょう。
合図に不慣れ
更に、長野の運転手は、パッシングやハザード、クラクションなどの合図をあまり使わない、或いは使うことに不慣れだなぁと感じます。
パッシングして相手に道を譲るような姿も、パッシングして煽るような車両もほとんど見たことがありません。
道を譲った後に、お礼の意味を込めてハザードランプを点灯する姿もほとんど見かけません。
また、クラクションは危険が生じた時などにはもちろん誰しもが使うところですが、それ以外の用途では使い慣れていない感じがします。
例えば、都内では、道を譲ってくれた相手に、お礼の意味で軽くクラクションを鳴らすことがありますが、長野では一度も見たことがありません。
また、青信号に変わったことに気付かない前方車両のドライバーに、信号が青になったことを知らせるためにクラクションを使うことがあるかと思います。
このような場合、都内だと知らせるのが目的なのでクラクションの音を小さく抑えて鳴らすのが一般的ですが、長野ではこのような場合、多くのドライバーが大きな音でクラクションを鳴らす姿が目立ちます。
恐らく、首都圏だと車両も多く、交通量も激しいので、車両と車両との間で、自然と合図を用いたコミュニケーションを取るようになって行くのに対して、長野ではそんな合図を使う必要性も低く、周りを走る車両もそのような合図をあまり用いないため、自然と用いる習慣がつかないのでしょう。
横断歩道で停止
これは、別の記事にも書きましたが、長野では歩行者が横断歩道を渡ろうとする姿をドライバが見かけた場合は、ほとんどの車両は歩行者が渡れるように、まず間違いなく停止します。
都内ではむしろ停止しない車両の方が多いくらいなので、横断歩道に対する姿勢は正反対です。
道路法規上は、停止することになっているので、ある意味当たり前ではありますが、都内を走る車両の場合は、現実に停止しないことが多く、そういう意味では、首都圏のドライバーが悪いといえるでしょう。
しかしながら、別な記事にも書いた通り、都内でそういう傾向が出てしまうのには、事実上走行が困難になってしまうほど、人が多いという理由があるのも事実です。
道路幅を考えない
また、長野では道路幅を意識しない運転手が多いと感じます。
片側一車線を走行中の車両が右折をする時は、車線の右側に寄って右折の動作に入るものですが、対向車がいる場合は右に寄った状態のまま、対向車両が通過するのを待たなければなりません。
そんな時、都内を走行する車両の場合は、充分に右側に寄せて待つため、後続の車両はその車両の左側を通過して直進できるのですが、長野の車両の場合は、きちんと右側に寄せない車両が多く、後続の車両が走行できずに待たされてしまうケースが目につきます。
首都圏では、平均的な道路の幅は地方の道路よりも狭く、また、交通量そのものも多いため、常に道路が狭いことを念頭に走行しないと円滑な交通の妨げになってしまいます。
従って、首都圏を走行するドライバーは、割とそういった意識が高く、右折時に充分右に寄らずに後続車に迷惑を掛けるようなことは少ないのです。
しかし、長野ではドライバーのそういった意識が低いためでしょう、右折時に充分右側に寄らないで、後続車が通れなくなるケースが多いのです。
そこには、交通量そのものが比較的少ないことも影響しているようで、片側二車線のような大通りでも、やたらと気にせず右折するような車両も多いと感じます。
逆に言えば、首都圏では円滑な交通を妨げるような右折は、たとえ合法であっても控える傾向が強いように思えます。
また、道路幅に関する感覚が鈍感なためか、比較的幅が狭い道路で対向車両とすれ違う場合、普通に走行すれば充分すれ違える道路にも関わらず、退避場所のような場所にわざわざ入って待機するような車両をよく見かけます。
狭い道路ですれ違うことに慣れていない姿が目につくのです。
慣れない地域での運転は
以上、運転に対する姿勢や感覚が、地域によって差がある点をいくつかあげてみました。ここにあげた例は、あくまで、地域、地域によってそういう傾向があることを述べただけですから、必ずしも全てのドライバーがそうである訳ではありません。
しかしながら、それなりにそういった傾向はあるでしょうから、皆さんも普段の生活圏から離れて車を運転する場合に、違和感や驚きなどを覚えることもあるのではないでしょうか。
これら地域差は、その地域の環境などを要因として生まれてきたものが多いと思いますので、ある意味、仕方がないところはあるのでしょうが…。
そんな違和感や馴染めない空気を感じた場合、やはりある程度は「郷に入れば郷に従え」ということも大切だとは思いますが、あくまで交通法規を遵守することは弁えるべきですね。
いずれにしても、慣れない土地で運転する場合は、普段以上に防衛運転の意識をもって運転することが大切ですね。