「あいつは、やってはいけないと知っていながら故意にやっている。まさに確信犯だ!」
なんて会話を耳にして、違和感を覚える人はどれくらいいるでしょうか。
恐らく、たいていの人は
「誰しもが普通に使っている言い方で、何も間違っていないし、違和感なんかない」
と感じると思います。
しかし、ここで使われる「確信犯」という言葉は、本来このような使い方をする意味は持っていないのです。
本来の意味
さて、私が最初に「確信犯」の意味について違和感を覚えたのは、既に二十年近くも前になります。
それは、当時よく一緒に行動を共にしていた友達が
「あの野郎、悪いと知っていながらあのようなことをするなんて、確信犯だ!」
というような言い方を、けっこう頻繁にしていたのですが、「確信犯」という言葉はどうして「確信」という単語を使うのかと不思議に思って、辞書で正確な意味を調べたことがありました。
すると辞書には、政治犯などをいう意味としてしか掲載されていなくて、その友達が使うような意味としては一切掲載されていませんでした。
しかし、実際に日常で広く使われている「確信犯」という言葉は、
「悪いこと、或いはやってはいけないことを知っていながらもその行為を行うこと、またその人物」
のような意味として使われている現実があります。
また、当時は私もそのような意味と認識していましたから、
「実際に使われている意味と、辞書に解説してある意味とで違うのは、いったいどういうことなのだろうか」
とずっーと疑問に思い、違和感として心の片隅に残っていたのです。
ちなみに、「確信犯」の本来の意味を改めて確認するために、デジタル大辞泉を引いたところ
道徳的、宗教的または政治的信念に基づき本人が正当な行為と確信してなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。
となっています。
実際に「確信犯」という言葉は、そもそも法律用語として使われる学術用語のひとつで、上記が本来の本当の意味なのです。
ある調査では大多数が誤用
さて今回、機会があって十余年前に行われた世論調査結果の内容を知ることになりました。
それによると「確信犯」という言葉を、本来の正しい意味として認識している人は、わずか十数パーセント足らずでした。
これに対して、実際に広く使われている「悪いと知りながらも行う行為や人物」という意味のように、本来とは違う意味として認識している人は、六割弱いたそうです。(言葉の意味が不明な人は三分の一ほどいた)
つまり、本来の正しい意味を認識している人はごくわずかであるのに対して、大多数の人が違う意味として認識しているということです。
この調査結果を見て、一般に「確信犯」を
「悪いこと、或いはやってはいけないことを知っていながらもその行為を行うこと、またその人物」
のような意味として使われている現実が、良く理解できました。
なぜ誤用されてしまうのか
では、なぜ誤用されてしまうのでしょうか。
この理由を考えるために、言葉の意味から見て行きましょう。
確信犯は、「確信」と「犯」の2つの言葉から成り立っています。
このうち「確信」を辞書で引くと(デジタル大辞泉)
固く信じて疑わないこと。また、固い信念。
とあります。
一方、「犯」は常習犯などと言うように、法を犯す罪や法を破る者を指す表現です。
以上から、確信犯を元の言葉をもとに解釈すると、
”固い信念のもとに行われる、法のわくを破る犯罪。また、破る人。”
と言えます。
これは、先に辞書(デジタル大辞泉)を引用した、
道徳的、宗教的または政治的信念に基づき本人が正当な行為と確信してなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。
そのものです。
思想犯・政治犯・国事犯などは、思想的、宗教的、政治的など何らかの固い信念を持っていますから、これらを指して確信犯と呼称することは自然なこととも言えます。
そして、思想犯・政治犯・国事犯などは、法を破ることを知っていながら実行することが殆どですから、自ずと”知りながら犯行に及ぶ”と言う意味合いをあわせ持つことになります。
換言すれば、通常、”知りながら犯行に及ぶ”意味を含んでいることから、本来の意味よりも、こちらの意味が強く意識されて誤用が広まったと言えます。
違和感をどう捉えるか
さて、ここに、本来の意味とは違う意味で広く使われている現実があるわけですが、これについてどう捉えるべきでしょうか。
もし「確信犯」を本来の意味として使おうとした場合、却って違和感が生じてしまうという大きな問題があります。
「確信犯」は、本来の意味からするとテロリズムとか、テロリストといった言葉に近いので、確信犯をテロリストなどに置き換えると、意味は分かりやすくなりますね。(下例)
(例) あいつは確信犯だ → あいつはテロリストだ
どんな人でも、「あいつはテロリストなんだ」と、直ぐに理解できます。
しかし、これとは反対にテロリストを指して確信犯という言い方をするとどうでしょうか。
(例) テロリストの犯行だ → 確信犯の犯行だ
たいていの人は、違和感を持ち、却って不自然に感じるのではないでしょうか。
多くの人は、「故意に行われた犯行だと言えばいいのに…」と思うことでしょう。
つまり確信犯は、本来の意味とは違う意味で使った方が自然と言えます。
実際に確信犯の意味を色々な辞書で調べてみると、
「悪いと知りながら行う行為の意味は誤用である」
旨を記した辞書がある一方で、これとは対照的に
「俗にトラブルを招くと知って行う行為の意である」
旨を記述した辞書もあります。
つまり、本来の意味からすれば誤用であるにも関わらず、実際に多くの人が使うような現実があることから、「俗に」という表現を用いつつも、誤用としての意味を許容している辞書もあるのです。
このように確信犯は、本来は「犯罪」の意味として使われた用語ですが、だんだんと一般的な悪い行為にも使われるようになり、その用法の方がむしろ自然になり、定着しつつあるといえます。
そして今後は、ますます本来の意味と違う意味で使われるようになって行くかも知れません。
結論としていえることは、本来の意味は意味としてきちんと認識し、転じて使われるようになった表現も許容して行くのが現実的なところといえるでしょう。
もし、間違いを回避したいのであれば、確信犯の本来の意味である思想犯や政治犯、国事犯或いはテロリストなどの別な言い方で呼ぶ方が良いでしょう。
これらは類語でありながら、より端的な表現だからです。
また、誤用を避けるために別な表現をしたいのであれば、故意犯(過失犯の対義語、反対語)を使う、場合によっては”未必の故意”という表現を使うのがいいかも知れません。
しかし、故意犯は法律用語ですから、日常の会話で使うのであれば、「あいつは故意にやった」などの言い方のほうがむしろ自然ですね。