教育現場では常にイジメの問題がつきまとうため、その対策には非常に力を注いでいます。
その甲斐もあって、一部の成果としてイジメが抑制されています。
しかし、どこかでイジメは発生していて、決してなくなることはありません。
それは、いくら対策を行っていても、本質的な原因が別なところにあるため、根本的な解決にはならないからです。
教育現場では
ニュースではイジメを苦に自殺したという報道がありますが、イジメに対する取り組みが行われていない訳ではありません。
最もイジメが深刻だと言われている教育現場では、特にその対策に余念が無く、学校と教育委員会などが一体となった取り組みがされています。
実際、最前線の学校では、「イジメはいけないことである」との道徳教育が行われているのは勿論のこと、児童、先生、保護者などを含んだ総合的なアンケート調査などが定期的に繰り返されるなど、徹底したイジメ防止対策が行われています。
その対策は、学校によって内容の違いや力の入れ方に差はあっても、取り組みとして重視していないところはありません。
そして、イジメが起きる前の段階、すなわち「イジメの芽」を早期発見しようとする予防策にも力が込められています。
そうしたイジメ対策が功を奏しているのでしょう。以前はもっと多く報道されていたイジメなどのニュースは、比較的減少傾向にあると感じます。
しかし、どんなに教育現場の最前線でイジメ対策を行っていても、完全にイジメがなくなることはありません。
その理由は、イジメの原因の本質が教育現場にある訳ではないからです。
大人がやっていることが本質
では、その原因はどこにあるのでしょうか。
結論を先に述べれば、「イジメは悪いことなのだ」と子供に教育している大人自身がイジメをしていることがその原因で、そこにイジメの本質があります。
子供は大人の姿を見て育ちます。また、大人が口で何を指導・教育したとしても、実際の大人の行動を通して、その姿の中に多くのものを学び、吸収して行きます。
理屈ではなく、肌身を通して身に付けてゆくのです。
このように言えば、「大人がイジメをしている姿を子供が直接見る機会などないのでは?」との疑問が湧く人もいると思います。
確かにそれはそれで事実でしょう。
しかし、子供は直接目に見えるものだけを吸収する訳ではありません。
住む社会にイジメの空気が存在していれば、そこに自ずとイジメは生まれます。その社会で育つこともは、自然とイジメることを吸収してしまうのです。
「朱に交われば赤くなる」という諺がありますが、大人が人をイジメる社会を作っていれば、そこで育つ子供は自ずとイジメる傾向を持つということです。
このように、大人がやっていることにこそイジメの原因の本質があるのです。
身近にある社会のイジメ
さて、ここで「大人のイジメなんか、そうそう無いんじゃない?」という疑問を持つ人もいるかと思います。
確かに、周りの身近な人を見ていて、イジメているような人は、殆どいないように見えます。仮にいてもごくわずか、ほんの一部の人だけのようみ見えることでしょう。
しかし、よくよく世の中の実態を見てみると、強い者が弱い者をイジメる構図は至る所にあります。見た目はイジメではなくても、その構図がイジメになっていることも多くあります。
例えば、誰もが普通に仕事をしているような勤務先の会社をイメージして下さい。
権力を持っている経営者、或いは自分より優位な地位にある上司などが、立場を利用した圧力などを掛けたりしていないでしょうか。
業務上、必要な範囲を超えた、いわゆるパワハラと呼ばれるような行為はどこにでもありますが、これは形を変えたイジメと言えます。
また、子供の同級生の保護者などの間で派閥のような組織が生じ、そこから生まれた繋がりで、自然と弱者をのけ者にするような働きが生まれることも珍しくないと思いますが、これも一種のイジメと言えます。
更に、政治家などの権力者が、己の立場を利用して都合のいい政策を行い、結果として立場の弱い一般国民が不利益を被るような姿も、ある種のイジメの構図になっています。
以上、ここで挙げた3つの例はあくまでほんの一例ですが、社会の至る所で大人がイジメをしていることが分かると思います。
こうした様々なイジメが横たわる社会があるからこそ、道徳教育だけではどうしても治まらず、その結果、学校でのイジメも無くならないのです。
まさしく、イジメを行っている大人が作り出す社会に身を置くからこそ、子供が通う学校においてもイジメが無くならないのです。これこそがイジメがなくならない原因の本質なのです。
長に集約される
そして、イジメが生まれる社会の空気と言うのは、その長が作り出す環境に集約されます。
これについて身近な例をあげて説明しましょう。
- 社長が交替して社風が変わった
- キャプテンが交替してチームが活気づいた
- 上司が異動して職場の雰囲気が様変わりした
上記にあげたような例は、我々の身近なところで、誰もが体験しているようなことだと思います。
組織長というものは、その組織の雰囲気やカラーを作り出す一番のキーマンです。
たった一人の長が変わっただけで、その組織は大きく変わります。
つまり、日本国内でイジメが無くならない原因の多くは、日本の組織の長にあるという見方ができます。
これを理解するために一番分かりやすい例は、総理大臣・首相の姿を見ることです。
今の首相は、権力におごり高ぶり、国民を見下し、弱者を軽んじる姿勢がありますが、これは強い者が弱い者を苦しめているひとつのイジメの姿です。
まさに、日本の首相がイジメを生む社会を作っていると言っても過言ではありません。
こんな姿にも表れる
そして、このような構図は、他の色々な点にも表れます。
例えば、先日、山梨に帰省した20代女性が、新型コロナウィルス検査で陽性となったにもかかわらず、そのまま東京に戻ったということが大きな話題になりました。
一般の人から見れば、何という身勝手で非常識な行動なのか、と映ったことでしょうが、実際にそのような人はこの女性だけではありません。これはあくまで氷山の一角であり、日本のいたるところに、このような人はとても多くいます。
そして、こういった人間の行動を生むのはこの社会にも原因があり、その社会を形成する組織長に起因する面が大きいと言えます。
その20代の女性の行動を考えてみて下さい。その人の軽率な行動は、ともすれば多くの人の命を奪う結果になっていたかも知れません。
感染者は被害者であって罪は無いと同情する人もいますが、このケースでは、本人は感染の可能性を自覚し、他人に大きな迷惑を及ぼし兼ねないことを知っていながら取った行動で、加害者としての一面も持っています。(同様のケースで、海外では犯罪となる国すらあります)
多くの日本人は、非常事態宣言のもとあらゆる面で自粛し我慢していました。
仕事をしたくてもできない、学校に行きたくても行けない、仕事が無くなり日々の生活が成り立たない、医療現場が崩壊して生きた心地がしない、など非常に多くの人が苦しみを味わうなか、それでも「終息させるためには我慢しなければ」と必死でいたのです。
「人の命がかかったこと、たとえ苦しくても我慢しなければ…。」そんな思いを抱きつつ、多くの人が我慢に我慢を重ねていたのです。
にも拘らず、その女性は遊行のために帰省して保健所の指示を無視して戻ってきたと言う。
まさに、「人の痛みが分からない」と言うか、「あまりにも自分勝手」と言うか、そんな憤りを覚えた人も多かったハズです。
でも、ここで何か思い浮かばないでしょうか。ちょっと言葉を変えてみましょう。
人の痛みが分からない → 国民の痛みが分からない
あまりにも自分勝手 → 党利党略ばかりが優先
そうです。
国の長と言える立場にあるものが取る行動が、そのまま自然と国民が取る行動に繋がって行くのですね。
そして、この20代の女性。家族と口裏合わせて嘘をついていた、虚偽の報告をしていたといいます。
ここでもまた思い浮かびます。
嘘をつく、虚偽の報告をする。頭に浮かんでくる人は日本国の長・総理大臣ですね。
そしてこの長は、強い物や支持者には取り入って、弱者や不支持者はのけものにしているのです。まさにイジメそのものですね。
このように社会に起きる問題の本質は、社会の構造、とりわけその社会の組織長がつくる空気・環境に大きく依存します。
まさしく、イジメが無くならない本質は、国・社会が弱い者をイジメる空気を持っているからに他ならないのです。
そして、その本質がそのままである以上、いかに優れたイジメ対策を採ってもそこには自ずと限界があり、根本的な解決にならないことは理の当然です。