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横断歩道を渡った小学生が運転席の私にお辞儀を。学校教育の影響の大きさと素朴な行動で生まれる大事なことを再認識。

ある朝、自動車で通勤途中のこと、信号機の無い停止標識のある横断歩道の手前で、私は自動車を一時停止して、小学生の登校班が横断歩道を渡り終わるのを待っていました。

十数人の小学生が全員渡り終わると、最後尾にいた登校班の責任者の一人と思われる高学年の女の子が、運転席に座る私の方にわざわざ振り向いて、頭をしっかりさげてお辞儀をしたのでした。

その姿を見て、とても、すがすがしい気持ちになると同時に、しっかり教育されていて、お礼や挨拶がきちんとできる立派な子だなぁと思い、その子の親はさぞや礼儀作法を丁寧に教えているのだろうと感じたのでした。

私自身は、停止標識があったので停止したという、当たり前のことをしただけなのに、頭を下げられて礼を取られると、何か恐縮するというか、却って運転の姿勢を正されるような気持ちになりました。

そんな姿が脳裏に焼き付いていた、ある日のこと、家族で出かけていた時に、横断歩道で停止した車の運転手の方に向かって、私の息子が同じように、頭を下げてお礼をしている姿に気づいたのです。「あれっ?私も妻も、こんなこと教えたことがなかったのに、どうしてうちの子はお辞儀をしたのだろう?」とその時、素朴な疑問が湧いてきたのでした。

これは、きっと学校における教育によるのだと直感で分かったのですが、その後、改めて気を付けて見ていると、同じような場面に出くわす小学生は、けっこうお辞儀をする子が多いことが分かりました。

ここに思ったことは、学校教育で受ける影響が非常に大きいことで、知らないうちに子供達は色々なことを吸収していて、親が知らないところで、子供は日々大きく成長しているのだと実感しました。

そして、何ごとに対しても素直に吸収して行く子供たちの姿を見て、時々考えさせられることがあり、大人が学ぶべき点もけっこうあったりするのですが、今回のことでも改めて再認識させられたことが1つありました。

それは、ある意味、当たり前といえば当たり前なのですが、頭を下げるという行為の中に、大事なコミュニケーションの意味が含まれるとのことです。

その小学生にとっては、停止してくれてありがたいと感じたから頭を下げ、私としては停止標識に従って停車した、つまり交通法規をただ守っただけという、ごく普通の行為なのですが、実際に頭を下げられたことで、私の中に生まれてきたことが、すがすがしいという気持ちと、運転の姿勢を正そうという思いでした。

素朴な小学生の行動に、また何か大切なものを教えられた気がしました。

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