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「平成」から「令和」に元号が変わって強く感じた3つのこと

本年、元号(年号)が平成から令和へと変わり、新たな時代を迎えました。

新元号が発表されて、退位、即位の儀も終わり、一段落した感じがありますが、この改元に伴って強く感じたことが3つありました。

新しい時代「令和」を迎えた

新たな時代への移り変わり

まず感じたことは、何よりも「平成というひとつの時代が終わり、令和という新しい時代が始まったのだ」という、新たな時代への移り変わりという感覚でした。

元号は天皇の即位によって改元されますから、人が一生のうちに改元という機会にあうのは限られた回数だけです。

私に関していえば、「昭和」から「平成」に改元された瞬間を若いうちに一度経験していましたから、今回が2度目ですが、当時も、大きな時代の移り変わりを強く感じたのをよく覚えています。

それからあっという間に31年という歳月が流れた感じですが、振り返ると平成は災害がとても多い時代だったと感じます。

これについては、昭和の後半を知っている私だから感じる感覚ですが、平成という時代のみしか知らない人にとっては、平成という時代はどうも平穏な時代であったという感覚があるようです。もちろん個人差はあるでしょうが…。

私が小学校の頃、江戸時代生まれの人がまだ生きていたと記憶しています。そして、生年月日を記入する書類などには、S・T・M と言った元号のイニシャルが当たり前のように印字されていたのが強く記憶に残っています。

そして、昭和から平成に変わった時、そこから生まれて来る子供達は皆、平成生まれとなり(当たり前ですが)、どこか昭和生まれは古い時代の人間という感覚が生まれました。

それから年月が経過するほどに平成生まれの人はどんどんと多くなり、むしろそれが当たり前という時代になったのです。

生年月日を記入する書類などは、自然とH・S・T・Mと言った元号のイニシャルが使われるようになりました。

現在、10代, 20代の平成しか知らない人にとってはそんな時代の移り変わりのような感覚はあまり実感を持てないところもあるでしょうが、昭和を知る私は、そのような時代の移り変わりを強く感じていたのです。

今回、時代は平成から令和に代わり、また「新たな時代を迎えた」と言う感じです。当たり前ですが、これから生まれて来る子供は全て令和生まれになります。そして、平成生まれの人は、古い時代に生まれた人という感じになって行きます

これから、昭和生まれや、平成生まれの人は、減ることはあっても決して増えるととはありません。これと反対に、これから日々、令和生まれの人がどんどん増えて行きます。

そんな当たり前のことではありますが、その流れの中に新たな時代への移り変わりを強く感じるのです。

便乗商品が多い

さて、次に感じたことですが、元号の変更に便乗して商売を展開する姿がとても目に付きました。

新元号が発表される日時は予め公開されていましたが、新元号が「令和」と発表されるや否や、瞬く間に「令和」にちなんだ商品が市場に溢れ出しました。

ことにネットショッピングなどでは、予め準備していた如く、令和の文字の入った各種商品がその日のうちに無数連なり、その対応の早さを見ては、商売のチャンス逸さないとの意気込みのようなものまで伝わって来ました。

そして、商店街を歩きながらショッピングなどをすれば、店舗という店舗には、何かしら令和をうたった商品が並んでいました。

店によっては、大々的に陳列しているようなところもあり、どこの業界も、歴史の節目を商売るに利用しようとしていることが強く印象に残りました。

ケーキ屋に入れば「祝 令和」の文字を飾ったショートケーキがあり、アパレル業界では「令和」の文字が入ったシャツなどが陳列されていて、とにかくどんな商品でも「令和」の文字を入れるだけで、「特別なもの」としての商品を生み出しているのです。

なんかさすがにここまで来ると、新元号を厳かに祝うムードが払拭されて、軽薄過ぎないかという感じがしてなりませんでした。

政治家との雲泥の差

更に感じたことは、皇室の姿と政治家の姿を対比した時の大きな差でした。

私は右でもなければ左でもありませんので、現在の天皇制について特に主張することはありません。

しかし、日本の皇室の特質や、世界に類を見ない継続を見る時、正直、何か凄い物を感じます。

特に、戦国時代の革命児と呼ばれた織田信長の頃や、米国マッカーサの統治下におかれた敗戦直後には、皇室の存在そのものが亡くなっても何ら不思議ではないところ、それらを乗り越えて、ここまで長い時代に渡って続いている事実は驚嘆すら覚えます。

そこに何か不可思議な威厳のようなものを感じるのですが、今回、退位と即位の儀式に接して、改めてある種の徳のようなものを感じました。

それは、日本国民のことを心の底から大切に思い、その幸せを強く願っている姿から伝わって来たのです。

そして、その姿を今の政治屋などと比較した時に、あまりにもその差がありすぎて、何という違いなのかとの思いを抱きました。

今の政治家は、たとえどのような言葉を発していても、心の裏を見抜いた時、所詮は党利党略・私利私欲まみれの汚らしい姿しかなく、本当に反吐が出る思いを抱きます。

皇室と比べた時、まさに「月とスッポン」そのものです。

現職総理などは、日本国益が損なわれようが、日本国民が苦しもうが、眉ひとつも動かさないような冷酷非道の最たる人物ですから、まさに「雲泥の差」ですね。

表面だけ国民を思うふりをして中身は非道な政権を掌握する政治屋と、国民を心底思いながらも実権を持たない象徴たる皇室と、両者を比較した時の大差を見ては、何かが違うとの思いを強く抱かざるを得ませんでした。

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