職場の上司、学校の教師、部活のコーチなどからいつも同じことを言われる場合があります。
あまりにも繰り返し言われていると、
「分かっているから、いい加減にして欲しい!」
などと思うかも知れません。
しかし、そのように思う人は、繰り返し言われていることの内容を理解していたとしても、繰り返し言われる理由を理解していません。
繰返し言われると
職場でも学校でも部活でも、指導者から同じことを繰り返し言われる場合があります。
いつも同じことを耳にしていると、
「またその話か、聞き飽きた」
「その事なら、分かってるからもう止めて」
「何度も言うなよ、いい加減にして欲しい」
などの思いが湧いてくることでしょう。
相手は指導者で、面と向かって文句も言えませんから、そんな時は適当に聞き流す人もいるハズ。
だれでも、同じことを繰り返し言われると、気持ちのいいものではありません。
また、時にはうるさく感じることもあります。
場合によっては、嫌気すら覚えることもあるかも知れません。
同じことを繰り返し言われることは、決して心地よいことではなく、むしろ不快な思いを抱くものです。
繰返し言われる理由がある
だからこそ、なおさら「また同じことを言っている…」のように感じるのですが、果たして指導する側は、意味もなく繰り返し言うのでしょうか。
決してそうではありません。同じことを繰返し言うのには、必ず理由があります。
聞く側が単に、繰り返し言われる理由を理解していないだけなのです。
聞く側が「また同じことを言っている」と感じる場合、その裏には、
「その件なら、しっかりと理解している」
「その話なら、きちんと分かっている」
「それについては、充分できている」
などといった感覚を、必ず併せ持っています。
つまり、どこかで「自分には関係ない」と言う意識が働いているのです。
つもりになっている
これを端的に言えば、
「出来ているつもり」
「理解しているつもり」
「分かっているつもり」
の類です。要は「つもり」になっているのです。
「つもり」になっていると、指導者の声が耳に入って来ても、
- 反発する心
- 不真面目な気持ち
- 軽く考える姿勢
などが出てきて、「また同じことを言っている」になってしまうのです。
従って、もし「また同じことを言っている」と感じたなら、自分に向かって
「私は『つもり』になってしまっているんだ」
と、先ず言い聞かせるべきです。
そして、
「繰り返し言われる理由・原因は何だろう?」
と模索することが大切と言えます。
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目指すレベルの差
さて、「できている」「理解している」「分かっている」という「つもり」になってしまう一番の要因は、目指すべきレベル、即ち求められているレベルが異なることによります。
例えば、上司としては
「ここまでの結果を出して欲しい」
と願っていても、部下が
「これだけ多くの成果を出しているから出来ている」
などと、低いレベルに終始してしまっている場合。
教師が生徒に求めているレベルに対して、生徒が低いレベルに満足してしまっている場合も同じです。
また、選手がコーチの求めるスキルに到っていなくても、選手が勝手にスキルを磨けていると思い込んでいるケースなどもあります。
いずれのケースでも、指導者が「まだまだ出来ていない」と、より高いレベルを求めているのに対して、言われる側が、「ここまで出来ている」と、低いレベルに終始してしまうのです。
つまり、指導者が求めているレベルに対して、勝手に低いレベルを自分で定めて満足してしまうのですね。
「また同じことを言っている」と感じたら、まず、
「求められているレベルに達しているのか?」
という視点で見つめ直してみることが大切です。
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ズレが起きている
では、指導者の求めているレベルに達していれば、「また同じことを言われる」ことは無くなるでしょうか。答えはノーです。
それは、もう一つ「つもり」になってしまうパターンがあるからです。それは、話し手と聞き手の間に生じるズレです。
端的に言えば、指導者側が意図する点と、聞く側が認識する点との間にギャップがある場合です。
指導する立場にある側は、話をする内容については見識も高く熟知しているものですが、指導を受ける側は見識も低く未熟であるものです。
従って、指導を受ける側が安易な聞き方をしたり、軽率な受け止め方をしたりすれば、指導者側の意図をつかめず、両者に相違が生まれてしまいます。
また、物事の見識の高低や熟知の度合いなどとは別に、人間である以上、思考は異なり、考え方も違い、価値観も同じではありませんから、受け止め方の違いや、解釈上の相違なども生まれます。
そして、そういう相違は、指導者側の視点では大きな差、指導を受ける側の視点では小さな差、のように見える傾向にあります。
聞く側にとっては
「大差は無いから、ほぼ同じ」
と考えることでも、指導者から見れば
「その差はとても大きい」
ということはけっこうあります。
「繰り返し言われている」と感じたら、求められるレベルと同様、指導者の意図する点と自身が認識している点との間に相違がないかを見極めることも大切です。
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至らぬ点があると
以上のように、指導者が、繰り返し同じことを言う場合、その要因は、
- 目指すレベルや求められるレベルに達していない
- 指導者の意図する点と受け取る側が認識している点とに相違がある
の2つに集約されます。
しかし、レベルの差や、意図する点だけを見つめただけでは、繰り返し言われる理由が分かりにくい場合が非常に多くあります。
「目指すレベルには達しているし、指導者の意図する点もきちんと汲んでいる」
たとえそのように自覚を持ち、自負していたとしても、繰り返し言われる理由がある場合があるのです。
具体的に言えば、下記の様な場合です。
- 持続できていない
- たまに出来ない時がある
- 完成度がまだ低い
- 慢心する傾向がある
- より上を目指す向上心が弱い
- 取り組む姿勢が崩れる場合がある
- 心の中に重視していない面が見受けられる
- どこかに甘さが感じられる
これらはいずれも、指導者と言う立場の目線から見えること、目に付くことが多く、話しを聞く側からはとても分かりにくいものです。
指導者から見ても、「確かに言ったことはある程度理解して、一応は出来ている」のです。
しかし、その中にも、至らぬ点がどこかに存在するからこそ、繰り返し言うのです。
また、
「言われたことを理解している」
↓
「言われたことができている」
↓
「言われたことが身に付いている」
というレベルアップの流れという視点で見ても、まだまだだという場合もあります。
いずれにしても、指導者からの目線でみた場合に、まだまだ繰り返して言わなくてはいけない至らない点が必ずあるものなのです。
話を聞く側は、指導者がなぜ繰り返し話しをするのかその理由をしっかりと把握して前進して行きたいものです。