平凡な日々を楽しむには何かに打ち込むこと。でも慣れの排除こそ最も大切。

どこかのリゾート地に足を運んだり、観光地を訪れたり、アミューズメント施設に行ったりすれば、誰しも思い切り楽しむことができます。

しかし、日常の平凡な生活に於いては、ただ同じことの繰り返しや、何ら刺激が無い単調な毎日が多く、あまり楽しめない人も多いでしょう。

単調な毎日

とは言え、我々の生活は、単調な毎日の繰り返しが大半を占めるのが現実ですから、平凡な日々を如何に充実させるか、どのように楽しむかがとても重要になるハズです。(毎日、遊んで暮らせる、これに当てはまらない人がうらやましいですが…)

日々の生活は単調であることが多い

同じような生活が続いていると「何か面白いことはないものか」と考えて、普段とは違った何かを求めがちですが、同じように見える日々の生活の中にも、楽しめることは十分あります。

何か面白いことはないものか」などと思って退屈だと感じている人ほど、あまり楽しめていない理由を、生活環境や周りの条件などに求めているのです。

確かに、旅行に行けば楽しいですし、行楽地へ足を運べば充実します。これは、旅行や行楽地という楽しみを与えてくれる要素があるからですが、単調な生活の中から、楽しめる要素を見出して行くことこそ大切といえます。

楽しめる人は何が違う?

実際に色々な人を見ると、日々の生活を楽しめている人は、何か特別なことがない単調な日常を充実して過ごしています。

もちろん、そういう人でも旅行に行くなどすれば、普段よりも楽しんでいるのは事実ですが、そういったイベント性の無い生活においても十分楽しんでいます。

そんな楽しめている人がどういう人かと言えば、自分自身で環境を作っていける人、換言すれば、環境を変えて行ける人で、これを端的にいえば、日々の生活が受け身ではなく、何ごとにも能動的に取り組む人です。

つまらなそうにしている人に限って、自分から積極的に行動しないで、何か良いことが起きるのを待っているんですね。でも、待っていても何も起きません。起きたとしても、それは悪いこと、せいぜい地震くらいです。これではダメです。

そして、日々の生活を楽しめている人は、一生懸命打ち込めるものを何かしら、1つや2つは持っています。また、自ずとそこに目標や強い目的意識を持ち、それらに向かって励んでいます。

何かに一生懸命に励むことや、1つのことに打ち込むことは、自然と充実感を生むんですね。そういう人は、傍から見ても輝いて見えますし、魅力的です。オーラが見えます。

このように、同じような日々を過ごしていても、つまらなそうな生活をしている人と、楽しそうに過ごしている人とでは、打ち込むものがあるかどうか、そしてそれに向かって目標や目的を持っているかの違いがあります。

慣れの排除こそ大切

では、日々の生活をつまらなそうにしている人は、一生懸命になることがないのか、打ち込むことがないのでしょうか。決してそうとばかりは言えません。

むしろ、日々の生活において、何かしらに力を注いでいるものですし、何か打ち込んでいるものは持っている人の方が多いでしょう。何もなかったら廃人と同じです。

ここで、「忙しい毎日の生活の中で、打ち込めるものに時間を割く時間なんてない!」と言う人もいるかと思います。しかし、それは「打ち込めるものが普段の生活の中には無い」と感じているだけです。

忙しい毎日の仕事や家事、育児などの中に隠れている、打ち込むことができる小さなものは必ずあるハズで、それを見出して行くことが大切です!

では、充実感を味わえる人と、そうでもない人の差はどこで生じるのでしょう。そこには、どれだけ一生懸命になっているのか、どれほど真剣に打ち込んでいるのかの違いはもちろんあります。

しかし、ここで忘れてはいけないのは、一生懸命に励むことや、1つのことに打ち込むことで得られるひとつひとつの前進に対して、小さな価値を見いだせるかどうかの違いです。

日々小さな価値を見いだせれば、それは、そのまま充実することにつながります。そして、そうした小さな価値は、生活に慣れてしまって新鮮さを失い、惰性になってしまっていると見えなくなってしまうのです。

言い方を換えれば、慣れることなく惰性に流されなければ、小さな価値を日々感じ、そこに小さな喜びと充実感を味わうことができます

まさに、慣れを排除することこそ、平凡な日々の生活を充実させて楽しんでいく根本のカギなのです。

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