NHKの放送受信料のあり方につしては、様々なところで議論されていますが、受信料に対して不満を持っている人の中には、テレビがあるというだけで受信料が無条件に課せられることに対して、疑問を抱く人も多いのではないでしょうか。
そこで、もしNHKの放送だけ受信できないテレビがあったらどうなるのか、ちょっと考えてみることにしました。
技術的には可能
まず、NHKだけ受信できないようなテレビは技術的に実現可能かどうかですが、結論だけ言えば可能です。
少し厳密な話をすると、NHKだけ受信できないような受信機を実現するのは技術的には困難ですが、NHKだけ受像できない受像機を実現するのは比較的容易であると言えます。
要は、受信機は実現困難、受像機は実現可能ということですが、一般にテレビは受像機のことを指しますので、技術的に可能と言えるのです。
放送などで電波を受ける場合、民放などの番組も全て一緒に含んだ情報としてまとめて受けるため、NHKだけを排除して受けると言うことはできません。従って、単なる受信機として見た場合は実現困難です。
しかし、いったん受信した信号からNHKという特定の放送番組だけを除外する仕組みにしてしまうことは可能ですから、映像にする受像機、すなわちテレビとして見た場合は実現可能になります。
受信といえば広義には電波を受けることを指しますが、狭義には実際に映像や音声というサービスを受けられる状態にすることを指します。
従って、NHKの放送サービスを受けられなくすると言う意味で、「NHKの放送を受信できない状態にする」ことは可能といえるわけです。
販売されたらどうか
では、実際にこのようなテレビが開発されて、一般に広く販売されるようになったらどうなるでしょうか。恐らく、通常のテレビと販売価格に大差がない、或いはむしろ安いのであれば、購入する人はそれなりにいるのではないでしょうか。
そしてもし、「この種のテレビのみを設置した場合は、放送受信料を支払う必要がない」ことが明確となった場合、購入する人はかなり多くなるのではないでしょうか。
世の中には、「テレビを見ているけどNHKは全く見ない」という人もいるでしょうし、「NHKは無くても全く困らない」という人もいることでしょう。また、「NHKはあった方がよいが、無いことで放送受信料を支払わなくて済むのなら、なくても構わない」という人もいることでしょう。
このような人々はそれなりの数にのぼるでしょうから、そうした人達の多くは、受信料を支払わなくて済むことが明確で、NHKの放送を受信できないテレビがあれば、購入するようになることでしょう。
さて、NHKを受信できないテレビのみを設置している人に対して、もしNHKが受信料を請求するような訴訟を起こしたとしたら、どのようなことになるでしょう。
放送法第64条には
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第百二十六条第一項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。
とありますから、NHKの放送を受信できない設備を設置した人は、NHKとの契約義務は発生しないことになります。
もし放送法の法律を言葉だけ拡大解釈して、電波そのものは受けられるとした場合、NHKとの契約義務や受信料の支払義務が生じそうな感じもします。
しかし、現実にはNHKが提供する放送サービスを受けられない人に対して、その対価を求めることは理屈に合いませんので、実際に裁判で争われたとしても、NHKとの契約や、放送受信料の支払いを命じる判決にはなることは恐らくないでしょう。
もし争われるとすれば、「放送の受信を目的としない受信設備」の放送が、協会(NHK)の放送を意味するかどうか、そのように解釈できるかどうかでしょうが、放送法のこの条文の主体は、普通に読み取れば協会ですから、NHK側が勝訴する可能性は低いと言えます。
現実的にはどうか
では実際にNHKの放送を受信できないテレビが製造、販売されることは果たしてあり得るでしょうか。答えは、恐らくノーでしょう。その理由は、製造業者いわゆるメーカが実際には作らないからです。
技術的には作れるハズなのに、なぜ作らないのかといえば、そこには、コストの問題とモラルの問題があるからです。
コストの問題というのは、そのような一部の放送だけを受像しないような機器は、新たに設計開発しなければできませんから、その設計費用を回収することができるかどうかという問題があります。
広く普及しているテレビは、通常、専用の集積回路で実現して量産されますので、コストを抑えることができますが、一部の放送だけを受像しないような機器は、そのような機能を備えた専用の集積回路を新たに開発するか、或いは一部の放送だけを除外するような回路を追加で組み込む必要があり、いずれの場合もある程度のコストが掛かることは避けられないところです。
従って、それ相応の需要が見込めないと成り立たないことになるのですが、本当に売れるかどうかが分からないというリスクを負ってまで、開発する価値があるのか、ということになるのです。
また、モラルの問題とは、公共放送の役割を担っているNHKを除外するということが、やっていいこととして認められるかという問題があります。
NHKの場合は、他の民法とは異なり、公的な立場というものがあり、また、他の放送事業者とは異なる役割というものがあります。従って、それをもし除外しようとする行動を取れば、モラル上、倫理上、問題になるわけです。
もし仮に、そんなモラルは無視してNHKの放送を受信できないテレビを製造、販売するメーカが出て来たとすると、そのメーカへの風当たり、世間の批判は避けられず、ともすればそれがメーカの存続問題にすらなり兼ねません。(個人的には、挑戦するメーカが出てきて欲しいとも思いますが…)
つまり、モラルを無視することはメーカとしては、高いリスクを負うことになりますから、売れるからという理由があったとしても、なかなか製造、販売するということはしないでしょう。
以上、「NHKの放送を受信できないテレビがあったらどうなるか」について、ちょっと考えてみましたが、結論として言えることは、「技術的には可能でありながら、現実には至らない理由は、公共放送としての役割がある」からです。
そういう意味では「スクランブルを掛けたらどうか」という議論がされた時に、実現に到らなかった理由に近いものがあります。
要約すれば、公共放送を見られなくするのはモラルに反するということになるわけですが、このことについては、理解しやすいのではないでしょうか。
しかし、公的な放送を提供する立場でありながら、逆にその立場を利用して、職員の平均年収が1200万円にも及ぶという高収入を得ているNHKの姿勢こそ、むしろモラル違反だと感じてしまうのは私だけでしょうか。