1980年代にひとつのブームを引き起こしたサッカーアニメのキャプテン翼。
そして1990年代に流行ったバスケットアニメのスラムダンク。
いずれもそれぞれのスポーツの普及や競技人口の増加に寄与したことで有名ですが、サッカーのプロ発足やバスケットのプロ発足に向けて、どのようにつながっていたのかを、簡単に見てみることにしました。
目次
ブーム前の時代
1970年代といえば、サッカーもバスケットもそれほど普及しているスポーツではありませんでした。
どちらかというと、当時は野球が一番人気があり、その頃には既にプロ野球も盛んで、大衆に広く浸透していました。
その時代は、今でも語り継がれる王や長嶋などの野球界の伝説のようなヒーローが誕生し、テレビでも「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」、「ドカベン」など様々な野球アニメも人気を得ていました。
そんな時代でしたので、サッカーもバスケットも共に、野球の陰に隠れた、どちらかというとあまり目立たない球技で、それこそプロリーグができるなど、想像もつかない時代でした。
そんな中、サッカーにおいてはキャプテン翼が、バスケットにおいてはスラムダンクが、それぞれの牽引役となって両者のスポーツ競技人口の増加をもたらし、いずれもその後のプロリーグ誕生につながっていったのです。
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キャプテン翼とサッカーブーム
キャプテン翼のブームは
さて、まずサッカーブームのきっかけになったといわれるキャプテン翼ですが、この漫画が週刊少年ジャンプに連載されるようになったのが1981年で、その後1988年まで連載が続きました。
その後、1994年~1997年に第2弾(週刊少年ジャンプ)が、2001年~2004年に第3弾(週刊ヤングジャンプ)が掲載されて、一連のブームとなりました。
一方、アニメの方は一作目が1983年から、二作目が1994年から、三作目が2001年からというように、漫画に合わせるような形で放送されました。
そして、これら漫画やアニメは多くの若者で大人気となり、今もなお多くのファンがいるといわれています。
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サッカー人口の変化
では、キャプテン翼の人気が、その後のサッカーの競技人口の変化に、どのように影響して行ったかを見たいと思います。
サッカー競技人口の正確な数値をつかむのは難しいので、その傾向を示している、日本サッカー協会(JFA)が公表している、サッカー選手登録数の推移を見てみることにします。
1979年から現在に至るまでのサッカー選手登録数の推移をグラフにしてみると下記のようになります。
グラフを見て分かるように、キャプテン翼の連載が始まる前年1980年の登録数はおよそ30万人余でした。
しかし、第1弾の連載が終了する1988年には約67万人にもなっていて、実に2倍近くも登録数が増加していることが分かります。
キャプテン翼が影響
これを見ると、世の中でよくいわれている、キャプテン翼がサッカー競技人口の増加に寄与したということがよく分かります。
そして、Jリーグが誕生したのが1991年、実際にリーグ戦が開始されたのが1993年ですから、サッカー競技人口がいっきに倍になってから数年経過して、機が熟した時にプロサッカーが誕生したといえるでしょう。
つまり、キャプテン翼を見て育った多くの中高生が、ちょうど二十代、すなわち社会人になる年代を迎えた頃が、プロサッカー誕生の時期だったということです。
その後、Jリーグによるサッカーブームと、キャプテン翼の二作目、三作目の影響の相乗効果もあったのでしょう。
サッカー選手登録数は更に増加して、現在では90万人以上となっています。
グラフの推移を見ると、キャプテン翼の二作目が開始した1994年直後には大きな増加傾向があります。
また、三作目(2001年)が始まった頃は、減少傾向にあったサッカー人口が再び増加に転じています。
これらからも、キャプテン翼の第2作、第3作も人気増加への影響が大きくあったと言えるでしょう。
このように、近年のサッカー人口の増加は、キャプテン翼という1つの漫画・アニメから大きな流れが始まったと言えます。
本当に凄いことだと感じます。
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スラムダンクとバスケットブーム
スラムダンクのブームは
次に、バスケットブームのきっかけとなったといわれるスラムダンクを見てみましょう。
この漫画の連載(週刊少年ジャンプ)は1990年~1996年の間でした。そして、アニメが放映されたのは1993年~1996年です。
キャプテン翼とは違って一作目で終了して続編などはないのですが、それでも今もなおファンの間には根強い人気のようです。
では、スラムダンクの人気が、その後のバスケット競技人口の変化にどのように影響して行ったのかを見たいと思います。
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バスケ人口の変化
バスケット競技人口の正確な数値をつかむのは難しいので、その傾向を示している、日本バスケットボール協会が公表している、競技者登録数の推移を見てみることにします。
1980年から現在に至るまでの、バスケットボール競技者登録数の推移をグラフにしてみると下記のようになります。
グラフを見て分かるように、スラムダンクの掲載が始まった1990年に約80万人であった登録数は、連載の終了直後(1996年)に約100万人になっています。
このことから、この漫画の影響があったことは無視できないでしょう。
この頃は、既に少子化が進んでいた時代ですから、もし増加要因が何もなければ競技人口は徐々に減少するのが自然だと考えられます。(1973年が第二次ベビーブームのピークで、これ以降は減少に転じている)
そのような少子化が背景にありながらも、スラムダンクの掲載や放送時期に合致して20万人もの競技人口が増えていると考えると、それはとても凄いことだと感じます。
減少はあるもののスラムダンクが影響している
ここで特筆すべき点は、サッカーとは傾向が異なり、漫画の連載期間やアニメの放送期間が終了したら、競技者登録数が減少していることです。
これは、スラムダンクはキャプテン翼と比べて連載期間や放送期間が短かったこと、キャプテン翼は漫画・アニメ共に第2作、第3作という続編があるのに対して、スラムダンクは続編がなくて、短期間のブームで終わっていることが影響しているといえるでしょう。
一方、逆の見方をすれば、スラムダンクが終了した直後にバスケットボール人口が減少に転じていることは、スラムダンクの影響がとても大きかったからこそと言えます。
バスケットのプロリーグが誕生したのは2005年ですが、その年はすでにスラムダンクの放送開始時よりも、競技者登録数が20万人近くも少ない60万人位です。
2005年が、スラムダンクを見て育った多くの中高生が、ちょうど二十代、すなわち社会人になる年代を迎えた時期であることを考えると、競技者登録数の減少があったとはいえ、スラムダンクがプロバスケ誕生に寄与したことは間違いないでしょう。
見方を変えれば、スラムダンクによりプロバスケ誕生のタイミングが作られたともいえるのではないでしょうか。
結論としていえることは、スラムダンクという1つの漫画・アニメからプロバスケット誕生の流れが生まれたということで、これも凄いことだと思います。
また、スラムダンク以降に多くのバスケット漫画が登場していることを見ても、スラムダンクが大きな牽引役であったことが分かります。
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アニメがプロ発足に影響を与えた大きな逸話
さて、キャプテン翼とスラムダンクという、2つのスポーツ漫画・アニメがその後のプロスポーツ誕生につながっていった軌跡を追ってみましたが、改めて見てみると、凄い時代の流れだったことを痛感します。
もし、これらの人気漫画・アニメがなかったら、もしかしたら現在あるプロスポーツリーグは存在していなかったかも知れません。
漫画・アニメの国である日本だからこそ生まれた、1つの逸話ともいえるかも知れません。