経済が低迷する中、伸びている企業や元気な会社、成長している分野もありますが、日本の企業の多くが経営難とも言うべき状態に陥っていることでしょう。
私が勤務している会社も決して例外ではなく、成長に陰りを感じます。
私がそのように感じるのは、「なんだこの会社は!」と失望や驚き、嘆きの思いを何度も抱いてきた経験からです。
ここでは、そのような思いを抱いたいくつもの経験をあげてみます。あなたの会社にも、こんな一面はないでしょうか。
目次
交通費を支給しない
まず初めに、「交通費を支給しない」体験ですが、これはハッキリ言って
「あり得ない!」
という衝撃的なものでした。通勤費の実費を支給しないのです。
ことの経緯としては、私が長野に赴任した直後のこと、当面の通勤方法を自転車通勤にしていました。
その理由には、
勤務先は電車の利用ができない場所にあること
バスの路線はあまり近くを通っていないこと
自家用車は妻が使うこと
歩くにしては距離があること
などがあり、それらを考慮して、とりあえず自転車で通勤することにしていた訳です。
そして、最初の冬を迎えたある日のこと。その日は稀に見る降雪で、路面は20~30cmほどの雪が降り積もり、さすがに自転車の運転は無理がある状態になりました。
「仕方がない。停留所から距離はあるが、そこからは歩くことにして、路線バスを利用しよう」
そう判断した私は、普段は乗らない路線バスを利用して出勤しました。
そして、その通勤費用(バス料金)を請求しようとして担当部署に問い合わせたところ、
「自転車通勤で申請登録されているので、交通費は支給できません」
とのことでした。
ドンキで頭を殴られるような衝撃でした。
「降雪で自転車も徒歩もままならず、止むを得ずバス通勤したんですよ。それでもダメなのですか?」
との私の問いに、
「決まりですからダメです。自転車通勤者に交通費を支給する制度や仕組みはありません」
との回答でした。
バス料金は往復でも数百円。わずかな金額と言えばそうです。
しかし、問題は金額ではありません。
通勤に不可欠と言える通勤費の実費すら支給しようとしない会社の姿勢が問題なのです。(通勤費の実費を支給しない決まりって一体何なんだ…)
どんな企業でも、アルバイトやパートでさえも通勤費の実費は支給しています。
正社員に対して、通勤費の実費を支給しないのです。新幹線通勤している訳ではないですよ。あり得ません。
経費削減を過度に推進するあまり、必要なところまで削ってしまうとは、この会社に未来はないと痛切に感じた体験でした。
ちなみに私の会社、従業員数が4桁に及ぶ、いわゆる「大手」です。でも、やっていることは個人事業者以下ですね。
経営者は、恥ずかしくないのでしょうか。私が経営者なら恥ずかしい限りですね。恥を知らなくなる(某首相みたい…)ともう終わりです。
寒冷地手当の制度が歪む
そして、また不可解な状況を目の当たりにしたのが寒冷地手当の制度です。
一般的には長野市は寒冷地に該当します。長野市内で販売される自動車も全てが寒冷地仕様になっています。
また、長野市は一般の公務員が、寒冷地手当を支給される地域に該当しています。
しかし、私の勤務先では寒冷地手当がないのです。
単に、寒冷地手当がないだけなら、制度が導入されていないだけで済む面はあります。
しかし、問題は寒冷地手当の制度が歪んでいる点にあります。
そもそも、寒冷地手当は、全国に拠点を構える企業などが、勤務地による実質賃金の差を解消するために導入する制度で、寒冷地に勤務する人の燃料・高熱費の負担を軽減する目的で支給する手当です。
従って、全国展開している企業などでは通常取り入れている制度で、それは私の会社でも例外ではありません。
しかし、長野に勤務する社員に対してはこの手当が支給されないのです。これは、長野市が寒冷地であることや、一般の公務員が支給されている現実から考えても不可解なところです。
でも、問題は支給されないことそのものよりも、むしろ他の点にあるのです。
その問題とは2点あり、
ひとつは、関連会社で支給されていないことを支給しない根拠にしていること、
もうひとつは、長野より気候の厳しくない拠点ですら支給されていることです。
ひとつ目について言えば、その関連会社はもとより全国に拠点を構えていないので、従業員の賃金格差などを考慮する必要性がなく、寒冷地手当の制度を導入する意義がないのです。
にも関わらず、状況が全く違う関連会社を例にあげて支給しないのです。
そして2つ目は、寒冷地手当を支給している東北にある拠点は、実は長野市の気候よりも少し穏やかで、寒冷という意味ではむしろ長野の方が厳しいのです。
本来は、寒冷の度合いによって支給の有無や支給額を決めるべきところ、その地方拠点より寒冷の厳しい長野の拠点では支給されないのです。これも筋が通っていませんね。
どうしてこうなっているかといえば、寒冷地手当が支給されるその地方都市の勤務者数はとても少なく、それに比べて長野の拠点の勤務者数が圧倒的に多いからです。
少人数なら会社の経費は圧迫しないが、多人数だと経費圧迫となるってことです。
物事の筋を通さず、会社経営的な考えだけで制度を作るとは…。あきれてものが言えません。この会社に明日はないと感じました。
平等にするためには、長野の拠点でも寒冷地手当を支給するか、その地方都市の拠点の寒冷地手当を廃止するかどちらかですよー。
関連記事長野は寒冷地か?
駐車場を用意しない
これも情けなくなる話です。
長野市では自動車がなければ生活できません。正確には、まともな生活ができません。
それは、公共交通機関が発達しておらず、移動には自動車が不可欠だからです。
従って、一般の家庭では駐車場は複数台が止められる構造になっているのが当たり前です。
戸建住宅なんか販売されていますが、カーポートは最低でも2台用意されています。3台、4台分が設置されているところも普通にあります。
つまり、父親用1台、母親用1台、合計2台は最低必要という考えが定着していて、それが当たり前なのです。
逆に言えば、複数台分のカーポートを設置していないような家庭用住宅なんて、あり得ないんです。一人乗り用のファミリー向け自家用自動車なんて製造・販売しても売れないのと同じです。
複数台対応が当たり前の状況下で、私が勤務する会社の家族向けの社宅では、1台の駐車場しか割り当てられないのです。
単身者向けの社宅なら分かります。
2台駐車場が当たり前の社会環境にあって、割り当てないっていうのは、非常識ですね。こんな非常識なことが平然とできるのは従業員を大切にしていない証拠です。悲しい会社ですね。
とは言え、さすがに申請すれば2台目の駐車場は用意してくれるのですが、あくまで申請して初めて用意し、しかも有料なんですね。
実際のところ、家族寮に入居している家族のほとんどは2台の自動車を保有しているのですが、そのために追加料金を払って自動車を停めているとのことです。
これは、まともな福利厚生がない姿の表れですね。従業員から少しでも金を吸い上げようとする意図すら感じてしまいます。社会の恥ですね。
経営者が自分本位
さて、これは数年前の話です。会社が、全従業員を対象に意識調査をしたことがありました。
その結果として判明したことは、経営陣と一般従業員との意識の隔たりが非常に大きいことでした。
そしてその結果について経営陣が表明したことは、
「経営方針が組織全体に行き渡っていない、十分に浸透していない」
のひと言でした。
経営者から見れば、俯瞰した見方で企業を経営して行かなければならず、そこに必要な経営方針を打ち出し、組織を動かして行くのは当然です。従って、それがこの表明になったのは事実でしょう。
しかし、その余りにも短絡的な見方しかしていない表明を見て、経営陣に対して、大きな失望感を抱きました。私と同じような思いを抱いた人は、私が耳にしたところ非常に多くいました。
なぜ私が失望したかというと、経営方針が浸透していない面があるのは事実だとしても、その本質は別なところにあり、経営陣が全くその点を見ていない点です。
端的に言えば、経営方針通りに行かないような要因、即ち、何らかの支障が生まれる要素が現場に無数存在していて、そのことを経営陣がきちんと認識していないのです。
実際、その後どのようになったかと言えば、その経営方針は大きく崩れて方向が180度近く変わり、現場は混乱してめちゃくちゃになりました。もちろん業績も低迷です。
これは
「経営者に力が無いと、従業員は苦しむ」
という法則を、多くの社員が味わった出来事でした。
形を追って実を追わない
次に、「こんなことやっているから業績が伸びないのだ!」という典型です。
私は常に現場と接する中で業務を遂行していますので、現場のことは誰よりも熟知しているという強い自負があります。
従って、今何が問題なのか、将来に向けて何をすべきなのか、何が課題なのか、どこを変えれば効率が良くなるのかなどなど、知り抜いている自信があります。
しかし、「何かテーマを決めて成果を出すように」と上部から求められた場合、会社にとって本当にためになるようなテーマは敬遠され、実質上の成果は殆どなくても「評価を受けやすい」テーマが取り上げられます。
要は、「実を取らず、形を取る」ってことです。
本当に会社の利益・発展につながることは二の次で、上層部からよく見られる形式的なことが重視されるのです。
「選挙を有利にするためには国益を損なってもいい、国民が苦しんでもいい」みたいな、今の政治屋の姿にも似ています。
「これじゃあ、会社は良くならない訳だ」つくづくそう感じる姿です。
これは今まで何度もありました。今でも日々あります。つくづくバカげたことだと痛感します。
遊んでいる管理者が要る
これはある管理職を見ていてのことです。
自分はたいした仕事もせず、何かと下の者に作業を振り、上からの依頼があれば、体裁だけを整えるいい加減な処理をして済ませ、そのつけは他の人に回るって感じの管理職がいました。
そしてその本人は何をしているかと言えば、専らネット閲覧です。よく言えばニュースを閲覧、実際は好きな記事を読んでいるだけのような感じ。
で、あまり度を越していたので、直接本人を罵倒したこともありましたが、聞き流し。
更に上の人に話をして、上部から言ってもらいましたが、本人はお構いなし。
周りは多忙で大変なのに見向きもせず、たいした仕事もしないで遊んでいるような感じなのです。
そんな人。本来は厳重注意なり、降格処分なり、減給なり、何らかの処分をするべきです。
ところが、結局のところ、当たり障りない対応をしただけ。結果として今も従業員として残っています。
こういう社員の姿は周りに悪影響を及ぼし、組織の腐敗につながるんですよ。(組織論の基本の基本)でも、放置です。
これでは、いい会社になるわけないんです。「遊んでいる人に給料払うな!」と言いたいですが、当たり前の対応ができないこの会社。終りが見えます。
今頃デジタル時代という
そして驚いたことが、割と最近、会社の方針として打ち出された「デジタル技術を駆使して云々」ってやつです。
これはIoTやAI技術を活かして効率的な業務遂行を、という意味が込められてのことなので、時代の流れといえばそうなのですが、その表現です。
「デジタル技術」とか何とかだけならこれって30年前の話。IoTやAIですら、ちょっと遅い、今更ってところです。
この「デジタル」という表現に、時代の流れについて行っていない。非常に遅すぎるものを感じます。
安倍政権の新型コロナウィルス対策の非常事態宣言みたいなもの。遅すぎます。手遅れです。
成長している企業がとっくの昔に導入していたり注力してきたりしていることを今になって言いだしているんです。
この会社、成長しないの当たり前ですね。今は令和です。平成ではありませんよ。まして昭和の時代の話を持ち出すなんて論外です。
関連記事AI・人口知能の進歩に思う。
改革の芽を摘んでいる
そしてこれ。重症ですね。
会社曰く、
「今までと同じやり方ではいけない。変革・失敗を恐れず改革を!」
と。
掛け声は立派なのですが、実際の中身は全く正反対です。改革を進めようとする芽を摘んでいるんです。
今までと違う新しい何かを始めようとする者がいて、いざ何かの動きを取ると、異端児と見て異質扱いするんですよ。
いくら掛け声を大きくしても、そういう空気を変えなければ何も変わらないんです。
変革を恐れて無難に過ごそうとする中間管理職で溢れているんです。無難に過ごしてきちんとやっていますって成績稼ぎをするんですね。
でもその陰で、無数の改革の芽を摘み取っているんです。
そして上層部はその実態を知ってか知らぬか、何も手を入れないんです。だから改革などできない。何も変わらない。業績も伸びないってことです。
経営者としてその実態を知らないなら無知です。知っていながら自ら変えようとしないのなら、口先だけの掛け声は止めるべきです。
今の政治屋のパフォーマンスの姿とオーバーラップしますね。
人材を軽んずる
さて、その企業が従業員を、道具と見るか、人材と見るか、それによってその企業は大きく変わってきます。
ITやAI技術が進むと言っても、人が全く存在しないで業務を遂行できるわけではありません。
人がいなくて進む作業もたくさんありますが、人が全くいないで進む仕事はないのです。
人は企業が活動して行く上で、欠かせない存在で、その人材を重んじるか、軽んじるかで企業の進む方向も変わります。
もし人材を軽く見れば、人はその企業を去り、優秀な人材は減って行きます。逆に人材を重んじれば優秀な人はその企業に留まり、また集まって来ます。
成長する企業に優秀な人材は多く、成長しない企業に有能な人は少ないものです。
で、私の会社はと言うと、人を軽んずるんですね。
上記の交通費を支給しないとか、寒冷地手当が理不尽とか、福利厚生が不合理とか、これはみんな人を軽んじた結果として現れた姿です。
細かいことはここでは省略しますが、上記の姿などから、他のあらゆる面でも人を軽んずる姿勢が出ていることを察して頂けると思います。
衰退産業にこだわる
さて、では本業に対してどういう姿勢なのかと言えば、従来製品にこだわって、新規商品開発に腰が引けている点があげられます。
これをひと言で言えば、衰退産業にしがみついているってことです。ソフトバンクグループの孫社長の言葉がそのまま当てはまりますね。
どうして伸びる分野に投資をしないのか、新たに踏み込もうとしないのか、疑問だらけです。
成長している企業は伸びる分野に進出して、そこに力を注いでいます。企業が利益を創出しようとしたら当然のことです。
でも、これをやらないんです。逆に既存の儲からない商品にこだわり続けるんですね。
それでいながら、売り上げを〇〇円、利益を〇〇円って高々と掲げるんです。
脳みそが固まっているのでしょうか。思考停止とはこのことですね。
極端な言い方をすれば、30年前に製造販売していたような製品の延長なんです。成長する訳ないんですよ。
経営者は言うでしょう。
「そうはいっても、新らしい分野を広げて行くのは難しいことです」
と。
狂ってますね。難しいのは当たり前ですよ。難しいことを遂行して行くことが経営者の職務ですよ。
「難しい」と言ってやらない、やろうともしていないんです。
職務放棄とはこのことです。呆れてしまいます。やらないなら退陣すべきでしょう。
組合と癒着している
私の会社も一応、大手なのでそれなりの組合組織があります。
組合という組織は従業員を代表して会社と交渉する立場にありますから、そこにはそれなりに発言力があります。
従って、会社はそれなりに組合の意向を汲まなければならない一面があります。また、組合は経営上でも言うべきことは言う立場にもあります。
しかし最近の組合は惰性という感じで、なかば会社と癒着関係にあります。
会社と一線を画してこそ健全な交渉ができますし、会社に対して物を言えることになります。
しかし、癒着している以上、その役割を損ねる面があり、会社の活性化が阻害される結果につながっています。
こんな腐った一面を持っていて成長する道理はありません。
若者がすぐやめる
魅力ある企業は人が集まり、魅力のない企業は人が去る。
これは当たり前のことですが、入社して何年も経たない若い人たちが多く辞めて行く姿がとても目に付きます。
これは会社に魅力がない証拠です。
私がここ10年ほどの中で、新入社員と研修の一環で接する機会が何回もあり、十余人の新人と直接接してきました。しかし、その後、その中の二人を除く全員が退職して行きました。
確かに昔と違い、終身雇用や年功序列などは古いスタイルで、以前に比べると転職なんかは割と気軽に行う時代です。また、若い人は簡単に仕事を辞めてしまうという現実もあります。
しかし、この退職者の数値は異常としか思えません。
少なくても、この会社に本当に魅力があれば、ここまでの人は辞めていないハズです。
残ることに価値を感じない魅力ない会社。そう捉える以外にはありません。
貢献している人を評価しない
これ、当たり前のことができていないのです。
会社に貢献している人には給料を弾む。そうでもない人にはそれなりの給料。本来これが当たり前です。
ところが先の例でも、遊んでいる管理職にはけっこうな賃金を支給していても、まじめにコツコツ働いている人の賃金は少ないんです。
そして、専門技術を持った人や高度な能力を有する人にも優遇する姿はありません。
米国などでは技術のしっかりしたエンジニアなどには多くの給与を支給するのが当たり前です。
国内でもNECなどは、能力があれば新卒者でも年収1000万円が可能と表明しています。
本当に会社に貢献している人を評価して優遇する。そんな当たり前のことができないんですよ。この会社は。
この会社。まだ昭和時代なんです。未来はありません。
人を見抜けない
これは人材を見抜く力がないことを意味します。組織全体に言えることです。
大して会社に貢献していない、要領だけが良い人を重んじたり、大きな能力を持っている人がいながら、その能力を活かせるような動きを取らなかったりします。
これは人を見る力が欠如していることによりますが、社内、全体的にその傾向を感じます。
「何でこんな人が課長なの。これで部長?」
こんな疑問を抱くような場面に多く遭遇します。
能力の無い人が組織を掌握すると、その組織はめちゃくちゃになります。組織は生き物ですから。
でも、色々な部署でそんな姿を目にするんですね。管理職なのに、そんなことも知らないの、できないの、と。
耳を疑いたくなることすらけっこうあります。
適材適所という言葉がありますが、これは人材に対しても言えることです。
この会社は、人材に関して適材適所ではなく、不適在随所なんです。不適当な人材が至る所にいる。
要は、人材を見抜けない姿が社内の至る所に見受けられるのです。
これは人材にしか人材は見抜けない、人材にしか人材が見えないことの表れです。
つまるところ経営者が人材でないから、適切な人材抜擢が行われないんです。
Yesマンを重視する
これも情けないですね。上記の人を見抜けないとも関係ありますが、Yesマンが重視されるんです。
Yesマンが幹部になる姿も多く見られます。(Yesマン、将来はAIに淘汰されるでしょうが…)
Yesマンって企業にとっては都合がいい面はありますが、ある意味、これは能力がないことの表れです。端的に言えば「Yesマン=不要な社員」です。
上司の言われた通りだけに従っていれば、上にとっては都合が良いですけど、下とは歪みが生じます。
総合的に見れば、組織運営で支障が生まれ、業務上で歪みが生ずるんです。
Yesマンは無難なことしかできないって面がありますが、そこからは衰退しか生まれません。
想像してみた下さい。Yesマンだらけの職場を。発展して行くと思いますか?思わないですよね。むしろ恐怖にも似た感覚を覚えませんか?
Yesマンが大きな顔をしている会社。たとえ現在の安穏はあっても輝かしい未来はありません。ある訳ありません。
長期的な戦略・投資がない(目先に走る)
これ、これ。これです。目先だけ見て、長期的な戦略がないんです。だから投資もできないんです。
一見すると戦略があるようにも見えるんですが、実を伴っていないんです。
戦略ではなく、単なる希望的な見込みなんです。大きな勘違いですね。
「この分野を成長させて3年後には売り上げを〇円にする。」
というような口先だけ。
これを希望的な見込みって言うんですよ。戦略ではありません。
戦略とは長期的な計画ですが、希望を描くこととは違います。
計画を成すための実効的な行動を伴わなければ所詮は願望なんです。
方針掲げて戦略を示すだけでは何も成就しません。
実行することです。実行。そしてそのために具体的に投資するんです。
株主の顔色を窺って目先に走って、表面的な経営良好を演じる。
何か下らぬ政治屋に似ていますが、それではいけません。
まとめ
以上、私が勤める会社が成長しないと感じたことを列挙して来ました。
あなたが務める会社と比較してみて如何だったでしょうか。
「まだまだ、私の会社よりもましな方だ。」
「大手企業でもそんなものなのか。」
「そんなヒドイとは思っていなかった。」
色々な感想があるかと思います。
記載した内容は、単に私が感じていることだけだと受け取られるかも知れませんが、それはそのまま実態・事実でもあります。
そしてこれらは、低迷する企業の特長がそのまま表れた姿でもありますから、企業の将来性を見るひとつのモデルケースとも言えると思います。
あなたの職場がどうであるかを推し量るための、ひとつの参考にして頂ければと思います。
長い文章、読んで下さりありがとうございました。