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三字経を全文掲載~中国語、ピンイン、書き下し文、読み方、意味など詳細解説

大人にとってもためになる三字経ですが、全文をきちんと解説したサイトは今までありませんでした。

そこで、本サイトでは三字経の全文を掲げ、詳細が分かるような内容でまとめました。

三字経とは

三字経とは、中国の古典で初学の子供向けの書物です。

中国では、昔から子供を教育する時の学習書の1つとして使われて来ました。

内容は、儒教的な視点で書かれ、人倫や道徳、一般常識、歴史など幅広い分野を含み、勉強に励むべき趣旨でまとめられています。

三字経と呼ばれる理由は、三字(3つの漢字)の句だけを組み合わせて文を構成しているためです。

1つの文は、通常、4つの句から成りますが、文によっては6~10の句で構成されることもあります。

各文中において、偶数個目の句の最後の漢字が韻をふんでいます。

十二文字の場合、

○○○、○○◎。○○○、○○◎。

の中の、「◎」の位置の漢字が韻をふみます。

三字経の冒頭文を例に挙げると、

人之初(rén zhī chū)、性本(xìng běn shàn)。
性相近(xìng xiāng jìn)、习相(xí xiāng yuǎn)。

の中の、善(shàn)远(yuǎn)は共に「an]の音を持ち、韻をふんでることが分かります。

掲載されている文の数は、書物によって差があり70~80くらいです。

数に差があるのは、三字経が派生しながら普及したためで、文を構成する句の組み合わせが違う場合や、文そのものが異なる場合、文の有無に差がある場合などがあります。

また、歴史を表現した文については、後世に少しずつ加筆されて来た経緯もあるため、書物による違いが大きく、100近くの文を含む三字経もあります。

三字経は、南宋末の学者である王応麟(おうおうりん、1223年~1296年)の撰と言われています。

王応麟は、浙江省の人で、字(あざな)を伯厚(はくこう)と言います。

著作がとても多く、深寧集、漢書芸文志考証、困学紀聞、玉海、小学紺珠などが有名です。

ただし、王応麟が撰んだとする根拠は不確実で、宋末の区適子が撰んだなどの諸説があります。

また、後世になって修成された書物や、近年に著わされた増訂版などもあり、三字経と言われる書は多くあります。

なお、広義には三字で構成する形式をまねて著した書物を指しても三字経と呼ぶことがあります。

この記事の内容

この記事では、最もベーシックな三字経を掲載したいと考え、現代の中国で販売されている児童向けの出版物の中から最適な書籍を選び、その内容をベースに書きました。

本来のニュアンスを損なわないために、原文である中国語を記し、韻を味わえるようピンインも付加しました。

また、中国の漢字(簡体字)に対応する日本の漢字がすぐ分かるように日本語も記しました。

更に、書き下し文を併記し、直訳に近い形で意味を示し、原文を解釈しやすくするための語句補足も加えました。

まとめとして、文の趣旨や意図が理解できるように解説も書きました。

全体の構成としては、三字経の全文をその内容に従って分類して六部構成とし、各部に表題を付けました。

また、文ごとにも内容に合わせて表題を付け、要旨を分かりやすく表現しています。

但し、歴史に関しては、原文では単に史実を伝える内容となっていますが、歴史から学べる要点を考えて、当方で表題にその要点を反映させました。

なお、基本的に原文以外は、当方の著作物となりますので無断転載は厳禁ですが、リンクについては特に許可なく貼って頂いて構いません。

掲載している一覧

第一部 学ぶことはなぜ大切なのか
 01.習慣の違いが大きな差を生む
 02.教育しなければ人生の道を踏み外す
 03.学問には厳格な姿勢も必要
 04.理にかなった優れた教育方法も重要
 05.養育だけでなく教育も、優しさだけでなく厳しさも
 06.若いうちに学び磨いてこそ立派な人に
 07.まず学ぶべきは礼儀や孝行
 08.目上へ敬意を払うことも大切
 09.先ずは道徳を身に付け、次に数学と読み書きを
第二部 基本的なことを身に付けよう
 10.身近な環境、世界を把握せよ
 11.人間関係のあり方の基本は3つ
 12.四季と四方を意識せよ
 13.五行は万物を見つめる洞察力の基本
 14.五常は人が守るべき基本の道徳
 15.主要の食糧は穀物
 16.共存する家畜の歴史や意義を知れ
 17.感情を弁え、感情に流されるな
 18.音楽は人間の生活を豊かにする
 19.祖先への敬意と子孫の継承
 20.家庭内の人の関係のあるべき姿
 21.社会での人間関係のあり方
第三部 学ぶべきことには順序がある
 22.初学者への教育は明瞭に
 23.学問には最初に学ぶべきものがある
 24.道徳や人としてのあり方を身に付けよ
 25.小さな基本的が大きな目標につながる
 26.学問は基礎ができてから応用へ
 27.詳しく調べ深く考えることが重要
 28.政論や政治理念も習得せよ
 29.礼儀や典礼を知り、詩からも歴史を学べ
 30.史実から知識を得て善悪を区別せよ
 31.解説書も大いに活用せよ
 32.基礎や応用を習得したら専門分野も学べ
第四部 史実から多くを学べ
 33.歴史書から国の興亡を学べ
 34.有能な君主が国家を繁栄させる
 35.民を思う善政が統治者の人徳を生む
 36.堕落して暴政を行えば国を亡ぼす
 37.長い統治も悪政となれば国は亡びる
 38.仁政は国家を永続させる
 39.堕落、衰微すると権威も統治力も低下する
 40.道義が廃れると世は乱れる
 41.無理で急な体制変化は混乱を招く
 42.縁戚が王位を奪うのは世の常
 43.経済が混乱すれば世は乱れる
 44.三国時代から多くを学べ
 45.南北朝時代の動乱の原因を見よ
 46.天下を治めても暴政になればすぐ亡びる
 47.正義こそが新たな国を生む
 48.時代について行かねば衰退する
 49.五代からは国の興亡盛衰の因を多く学べる
 50.侵略性の高い隣国があると国は動乱する
 51.統治者が複数だと国は穏やかにならない
 52.王位継承の争いは大国をも亡ぼす
 53.統治には経済力も必要
 54.過酷な徴税は民生を破壊し亡国を招く
 55.臣下が力を持ちすぎると国は乱れる
 56.民衆を思う心が世を平定できる
 57.全ての歴史は歴史書から学べる
 58.歴史は事実の見極めと本質の理解が大事
第五部 勉学に励むあるべき姿勢
 59.書物は、声を出してよく思索しながら読むべし
 60.若輩からも習い、職についても学び続ける
 61.学問の習得は、強い意志や姿勢こそ重要
 62.学ぶのには苦労を惜しまず、また工夫もせよ
 63.学習環境や時間のなさを言い訳にするな
 64.若いころから学ばねば必ず後悔
 65.老いても学問の志を強く持て、若ければなおさら
 66.小さいうちにしっかり学べば立派になれる
 67.女性にも才能ある者がたくさんいる
 68.男子たる者、勉学に強く励め
 69.幼少から学べば若輩でも活躍できる
第六部 学ぶからこそ未来が開ける
 70.学ぶことこそ人の役割を果たすこと
 71.自らの価値を実現するために学問に励め
 72.社会で活躍できるかは若いうちの勉強による
 73.名声を得れば回りを幸せにできる
 74.子には知識という財産を残せ
 75.学問に精進すれば成果に結びつく

三字経の具体的な文

第一部 学ぶことはなぜ大切なのか

●01.習慣の違いが大きな差を生む
【中国語】
人之初,性本善。性相近,习相远。
【ピンイン(発音)】
人之初(rén zhī chū)
性本善(xìng běn shàn)
性相近(xìng xiāng jìn)
习相远(xí xiāng yuǎn)

【日本語】
人之初、性本善。性相近、習相遠。
【書き下し文(読み方)】
人(ひと)之(の)初(はじめ)
性(せい)本(もと)善(ぜん)
性(せい)相(あひ)近(ちか)し
習(なら)ひ相(あひ)遠(とほ)し
【意味(翻訳)】
人はもともと生まれながらにして本性は善であり、みんな大差はないものであるが、習慣の違いによって隔たりが遠く大きくなってしまう。
【語句補足】
<本>もともと、本来、元来
<性>それ自体がもつ性質、天賦の気質、もちまえのたち、特質
<相近>大差がない、そう違わない、差が小さい、非常に近い
(習)>習慣、ならわし(は習の簡体字)
相远(相遠)>差が大きくなる、大きな相違となる(は遠の簡体字)

【解説(内容)】

人の初め、つまり生まれた時においては、天賦の気質・本性はもともと善良であり、人と比べても大きな差は無くみんな同じようなものだと述べています。しかし、生活環境や受ける教育の違いによって気質の良し悪しの差が大きくなって行くので、幼いころから優れた環境でしっかりとした教育を受けて学び、きちんとした習慣を持つことが重要であると示しています。教育によって差が生まれるので、しっかり勉強することが大切と言えます。ちなみに、「性本善」は、儒教の根本の教えである性善説を意味しています。

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●02.教育しなければ人生の道を踏み外す
【中国語】
苟不教,性乃迁。教之道,贵以专。
【ピンイン(発音)】
苟不教(gǒu bú jiào)
性乃迁(xìng nǎi qiān)
教之道(jiào zhī dào)
贵以专(guì yǐ zhuān)

【日本語】
苟不教、性乃遷。教之道、貴以専。
【書き下し文(読み方)】
苟(いやし)くも教(をし)へずんば
性(せい)乃(すなは)ち遷(うつ)る
教(をし)へ之(の)道(みち)は
専(もっぱ)らを以(もっ)て貴(たふと)ぶ
【意味(翻訳)】
幼い頃から教育をしなければ、生まれながらの善なる本性も悪い方へ移り変わってしまうので、教育に専念することが重要である。
【語句補足】
<苟>もし~ならば
(遷)>変化する、ここでは悪く変わるの意(は遷の簡体字)
<道>方法、教之道は教えの道、即ち教育や指導などの意となる
(専)>専念する(は専の簡体字)
(貴)>貴重な、大切な(は貴の簡体字)

【解説(内容)】

人は生まれながらに善良ですが、教育をきちんとしなければ、せっかくの良き本性も悪い方へ変化してしまうので、小さいころから一貫してしっかりと教育に専念することが最も大切だと、教育や指導の重要さを説いています。教育しなければ人は悪い方向へ向かい、人生の道を踏み外してしまうので、しっかり教育せよとの戒めと言えます。この文は、前述の「人之初,性本善…」とつながりがあることから、2つの文を合わせて1つの文と解釈する場合もあります。

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●03.学問には厳格な姿勢も必要
【中国語】
昔孟母,择邻处。子不学,断机杼。
【ピンイン(発音)】
昔孟母(xī mèng mǔ)
择邻处(zé lín chǔ)
子不学(zǐ bù xué)
断机杼(duàn jī zhù)

【日本語】
昔孟母、択鄰処。子不学、断機杼。
【書き下し文(読み方)】
昔(むかし)孟母(もうぼ)
鄰(となり)を択(えら)びて処(を)き
子(こ)学(まな)ばざれば
機杼(きちょ)を断(た)つ
【意味(翻訳)】
昔、孟子の母親は学問の良い環境を求めて居住地を選んだが、子供が学ぼうとしないと機織りを壊すことで子供を戒めた。
【語句補足】
<孟母>孟子の母親。
(択)>選ぶ(は択の簡体字)
(鄰)>隣近所、隣り合せ、隣(は鄰の簡体字)
(処)>居住する(は処の簡体字)
<杼>機(はた)を織る時に緯(よこいと)を通わせる道具。布を織る時に使う織機の杼(ひ)
(機)>ここでは機織りの機械のこと(は機の簡体字)

【解説(内容)】

戦国時代、孟子の母親は子供が学問をするために良い環境を求めて3度引っ越しました。ある時、孟子が学ぶことを怠ったとき、孟子の母親は機織りを壊して見せ、学問を学ばなくなることは織物を途中で断ってしまうようなものだと戒めました。孟子が歴史上の大人物に成長できたのも、母親の学問に対する厳格な姿勢があったからです。この文は、子供の教育に対する厳格さと、学問を継続することの大切さを説いています。

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●04.理にかなった優れた教育方法も重要
【中国語】
窦燕山,有义方。教五子,名俱扬。
【ピンイン(発音)】
窦燕山(dòu yān shān)
有义方(yǒu yì fāng)
教五子(jiào wǔ zǐ)
名俱扬(míng jù yáng)

【日本語】
竇燕山、有義方。教五子、名倶揚。
【書き下し文(読み方)】
竇燕山(とうえんざん)
義方(ぎほう)有(あ)り
五子(ごし)を教(をし)へ
名(な)を倶(とも)に揚(あ)ぐ
【意味(翻訳)】
竇燕山の竇禹鈞は、優れた教育法を持ち、五人の子に学問を手ほどきした結果、五人の子は全て成功をおさめて大いに名声をあげた。
【語句補足】
<竇()燕山)>五代の時代の竇禹鈞(窦禹钓)という者で、窦燕山の近くに住んでいたことから人々は彼を窦燕山と呼称していた(は竇の簡体字)
<義()方)>子を教育する良い方法(は義の簡体字)
<倶・俱>すべて、みな
<揚()>(名声を)あげる(は揚の簡体字)

【解説(内容)】

中国の五代の時節に、竇燕山の近くに住んでいた竇禹鈞は、偉大な人でとても優れた教育法を有していました。彼は5人の子に対して、筋の通った厳格な教育をしたことで、5人の子は全て優秀な人物となり、その名を大いにあげました。しっかりとした教育を行うこと、とりわけ道理に立脚した厳格な教育をすることの大切さを説いています。ただ学ぶのではなく、理にかなった優れた教育方法に基くことも重要と言えます。

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●05.養育だけでなく教育も、優しさだけでなく厳しさも
【中国語】
养不教,父之过。教不严,师之惰。
【ピンイン(発音)】
养不教(yǎng bú jiào)
父之过(fù zhī guò)
教不严(jiào bù yán)
师之惰(shī zhī duò)

【日本語】
養不教、父之過。教不厳、師之惰。
【書き下し文(読み方)】
養(やしな)ひて教(をし)へざるは
父(ちち)之(の)過(あやま)ちなり
教(をし)へて厳(げん)ならざるは
師(し)之(の)惰(おこたり)なり
【意味(翻訳)】
単に養うだけで教育をしなければそれは父親の過失であり、教育をしても厳格さがなければ教師の怠慢である。
【語句補足】
(養)>養う(は養の簡体字)
(過)>過失、過ち、失策(は過の簡体字)
(厳)>厳格(は厳の簡体字)
(師)>教師(は師の簡体字)
<惰>怠惰、怠慢、無責任

【解説(内容)】

子供に衣食住を与えて物理的に養うだけで、しっかりと教育しないのは父親の過失であり親としての責任を果たしているとは言えません。また、ただ教育しているだけで、厳しさを持たないのは教師として怠慢なことであり職務を全うしているとは言えません。親は子供に対してしっかりと教育することが大切であり、また、教師は甘やかすことなく厳しさを持つことが重要であることを説いています。親が子供を教育してこそ立派に成長でき、また、教える側が厳しい教育をしてこそ子供の将来のためになることの教訓と言えます。

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●06.若いうちに学び磨いてこそ立派な人に
【中国語】
子不学,非所宜。幼不学,老何为。
玉不琢,不成器。人不学,不知义。

【ピンイン(発音)】
子不学(zǐ bù xué)
非所宜(fēi suǒ yí)
幼不学(yòu bù xué)
老何为(lǎo hé wéi)
玉不琢(yù bù zhuó)
不成器(bù chéng qì)
人不学(rén bù xué)
不知义(bù zhī yì)

【日本語】
子不学、非所宜。幼不学、老何為。
玉不琢、不成器。人不学、不知義。
【書き下し文(読み方)】
子(こ)学(まな)ばざれば
宜(よろ)しき所(ところ)に非(あら)ず
幼(よう)にして学(まな)ばざれば
老(を)いて何(なに)をか為(な)さん
玉(たま)琢(みが)かざれば
器(き)を成(な)さず
人(ひと)学(まな)ばざれば
義(ぎ)を知(し)らず
【意味(翻訳)】
子供が学ばないのは良いことではない。幼いうちに学ばないで、老いてから何を為そうか。
玉は磨かなければ立派な器にはならない。人もきちんと学ばなければ道義を弁えた立派な人にはなれない。
【語句補足】
<宜>当然の、かくあるべき、適切な
<何>何をか(疑問・反問の用法)
(為)>なす(は為の簡体字)
<琢>磨いてピカピカにする(器の加工法)
(義)>礼儀や道徳(は義の簡体字)

【解説(内容)】

前半(12字)は、若い頃にしっかり学ばなければ、年老いてからいいことがないという、若いうちから学ぶことの大切さを説いています。後半(12字)は、玉は磨き削らなければ立派な器にならないのと同じく、人もしっかりと学ばなければ礼儀や道徳をも弁えた立派な人間になれないという、自らしっかり研鑽することの大切さを説いています。「人も修養せねばものにならない」と言うことを表す「玉不琢、不成器」(玉は彫り磨かねば器にならない)と言う諺(ことわざ)がありますが、これと同じです。前半では若いうちから学ぶことの大事を、後半ではしっかり研鑽することの大事をそれぞれ説いていて、前後半で繋がりがある文と言えます。このことから24字を一つと捉えて解釈するのが一般的ですが、前半と後半を分けて考える場合もあります。

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●07.まず学ぶべきは礼儀や孝行
【中国語】
为人子,方少时。亲师友,习礼仪。
香九龄,能温席。孝于亲,所当执。

【ピンイン(発音)】
为人子(wéi rén zǐ)
方少时(fāng shào shí)
亲师友(qīn shī yǒu)
习礼仪(xí lǐ yí )
香九龄(xiāng jiǔ líng)
能温席(néng wēn xí)
孝于亲(xiào yú qīn)
所当执(suǒ dāng zhí)

【日本語】
為人子、方少時。親師友、習礼儀。
香九齢、能温席。孝於親、所当執。
【書き下し文(読み方)】
人(ひと)の子(こ)と為(な)りては
少(わか)き時(とき)に方(あた)り
師(し)友(ゆう)に親(した)しみ
礼儀(れいぎ)を習(なら)へ
香(こう)は九齢(きゅうれい)にして
能(よ)く席(せき)を温(あたた)む
親(おや)に孝(こう)あるは
当(まさ)に執(と)るべき所(ところ)なり
【意味(翻訳)】
人の子となったら若い時に当たり、先生や友人と親しくして礼儀を学ぶべきである。
後漢の黄香は九歳の時に親の席を温めていたが、これと同じように親に孝を尽くすべきである。
【語句補足】
(為)>なる(为は為の簡体字)
<方>ちょうど~の時にあたって
<少(時)>わかい時(は時の簡体字)
(親)>親密にする、親しくする、親(おや)(は親の簡体字)
(師)>師匠、先生(は師の簡体字)
(習)>学ぶ、学習する(は習の簡体字)
<礼(儀)>礼儀、マナー(は儀の簡体字)
<香>後漢中期の政治家「黄香」(こうこう、人名)のこと
<九(齢)>九歳(は齢の簡体字)
(於)>~に対して(は於の簡体字)
(執)>とる(は執の簡体字)

【解説(内容)】

前半(12字)は、人として生まれたならば、若いうちから師や朋友と親しくして、礼儀作法やマナー、人との付き合い方をしっかり身に付けるべきであるという教訓です。若いうちから経験を通してしっかりと礼儀を身に付けることの大切さを説いています。後半(12字)は、孝の厚きことで有名な後漢の黄香は、わずか9歳でありながら親の寝床を身で温める孝行を知り実践していましたが、親に対する孝は、まさにこのようにあるべきだと親孝行の大切さの例を挙げています。このように、前半では礼儀の大切を、後半では孝行の大切を説き、人倫のあるべき基本的な姿を示していますが、前半と後半を分けた書物もあります。

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●08.目上へ敬意を払うことも大切
【中国語】
融四岁,能让梨。弟于长,宜先知。
【ピンイン(発音)】
融四岁(róng sì suì)
能让梨(néng ràng lí)
弟于长(tì yú zhǎng)
宜先知(yí xiān zhī)

【日本語】
融四歳、能讓梨。弟於長、宜先知。
【書き下し文(読み方)】
融(ゆう)は四歳(しさい)にして
能(よ)く梨(なし)を讓(ゆず)る
長(ちょう)に弟(てい)あるは
宜(よろ)しく先(ま)ず知(し)るべし
【意味(翻訳)】
後漢の孔融は四歳のとき、兄に梨を譲った。このような兄(年長者)への敬意は、誰もが幼い頃から知っておくべきことである
【語句補足】
<融>後漢末期の政治家「孔融(こうゆう)」のこと
(歳)>年齢を数える歳(はの簡体字)
(讓・譲)>譲る(は譲(讓)の簡体字)
(於)>~に(は於の簡体字)
(長)>年長者のこと、ここでは兄(は長の簡体字)

【解説(内容)】

後漢の孔融は4歳のとき、兄弟で梨を食べたことがありましたが、自身は小さい梨を食べて大きな梨を兄に譲り与えました。これは、孔融が目上の者を敬うことを弁えていたからこそです。このように、子供の頃から年長者には敬意を払うべきことを説いた言葉です。また、広い意味では、兄弟を大切にすることや、他人を敬えば却って自分も敬われることの意も含まれていると言えます。

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●09.先ずは道徳を身に付け、次に数学と読み書きを
【中国語】
首孝弟,次见闻。知某数,识某文。
一而十,十而百。百而千,千而万。

【ピンイン(発音)】
首孝弟(shǒu xiào tì)
次见闻(cì jiàn wén)
知某数(zhī mǒu shù)
识某文(shí mǒu wén)
一而十(yī ér shí)
十而百(shí ér bǎi)
百而千(bǎi ér qiān)
千而万(qiān ér wàn)

【日本語】
首孝弟、次見聞。知某数、識某文。
一而十、十而百。百而千、千而万。
【書き下し文(読み方)】
孝弟(かうてい)を首(はじめ)とし
見聞(けんぶん)を次(つぎ)とす
某(それがし)の数(すう)を知(し)り
某(それがし)の文(ぶん)を識(し)る
一(いち)にして十(じゅう)とし
十(じゅう)にして百(ひゃく)とし
百(ひゃく)にして千(せん)とし
千(せん)にして万(まん)とす
【意味(翻訳)】
まず、親や兄姉を敬うことを第一とし、見聞を深めることを第二とす。いささかでも数学の知識を身に付け、いささかでも文学を読み学ぶ。一は十になり、十は百になり、百は千になり、千は万になる。
【語句補足】
<孝弟>(=孝悌)父母に孝行で兄を尊敬して従順であること
见闻(見聞)>見たり聞いたりして経験や知識を広めること(见闻は見聞の簡体字)
<某>いささか
(識)>知識を身に付けること(は識の簡体字)

【解説(内容)】

先ず何よりも人として、父母に対して孝行を尽くし、兄姉を敬って従順であることが大切であると説いています。そして、その次に大切なこととして、見聞によって経験や知識、見識を身に付けて深めることを説いています。これは、知識を深めるより、まず道徳を身に付けることを優先すべきと言えます。そして知識を深める場合、具体的には、あらゆる分野の基本となる数学を学ぶことや、学問の下地となる読み書きを学ぶことが大切だと説いています。数字は、一から始まりますが、それが十個で十となり、十が十個で百となり、百が十個で千となり、千が十個で万となり、これが終わることなく続いて行きます。これは、十進法の算術を例えに挙げ、最初は簡単な数字から始まるが算術も奥が深いこと、また、その奥深い学問も簡単な基礎から学び始めることが大切であることを示しています。

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第二部 基本的なことを身に付けよう

●10.身近な環境、世界を把握せよ
【中国語】
三才者,天地人。三光者,日月星。
【ピンイン(発音)】
三才者(sān cái zhě)
天地人(tiān dì rén)
三光者(sān guāng zhě)
日月星(rì yuè xīng )

【日本語】
三才者、天地人。三光者、日月星。
【書き下し文(読み方)】
三才(さんさい)とは
天(てん)地(ち)人(じん)なり
三光(さんこう)とは
日(にち)月(がつ)星(せい)なり
【意味(翻訳)】
三才とは天地人のことを指し、三光とは日月星のことを指す。
【語句補足】
<三才>世界を形成する3要素である天と地と人のこと
<三光>太陽と月と星のこと

【解説(内容)】

古代の中国の宇宙観では、天と地と人が世界や生命を形成する三大要素とされていました。同様に、光を発する主要な物体として太陽と月と星があるとされていました。天地人の「天」と言えば、気象の現象である、雨や風、雷の他に、空に輝く星々があります。また、「地」と言えば、山や川、湖などの自然があるだけでなく、植物、魚類、虫類、獣類などの生物が住んでいます。そして、天と地に挟まれた空間に霊長類としての「人」が住んでいます。このように、世界は天地人の三大要素で構成されていますが、これら人間を取り巻く身近な環境、基本的な世界をしっかり把握し理解してこそ、自然界の中で共生して行けることを説いています。三光についても同じ主旨で、ここでは基本的な知識をしっかり持っておくことの必要性を述べています。

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●11.人間関係のあり方の基本は3つ
【中国語】
三纲者,君臣义。父子亲,夫妇顺。
【ピンイン(発音)】
三纲者(sān gāng zhě)
君臣义(jūn chén yì)
父子亲(fù zǐ qīn)
夫妇顺(fū fù shùn)

【日本語】
三綱者、君臣義。父子親、夫婦順。
【書き下し文(読み方)】
三綱(さんこう)とは
君臣(くんしん)の義(ぎ)
父子(ふし)の親(しん)
夫婦(ふうふ)の順(じゅん)なり
【意味(翻訳)】
三綱とは、君主と臣下の間の義、父と子の間の親、夫と妻の間の順のことである。
【語句補足】
<三(綱)>儒教で、君臣、父子、夫婦のあるべき道を説いた行動規範のこと(は綱の簡体字)
(義)>筋が通ること(は義の簡体字)
(親)>親密である、親しい(は親の簡体字)
<夫(婦)>夫婦(は婦の簡体字)
(順)>同じ方向に向かうこと(は順の簡体字)

【解説(内容)】

三綱とは、儒教で3つの人間関係のあり方を説いた言葉で、君主と臣下の関係(君臣)、親と子の関係(父子)、夫と妻の関係(夫婦)における守るべき行動規範がそれぞれ「義」「親」「順」の3語で示されています。君主と臣下の間は「義」であるべきとは、君臣共に行動や言動が正しく、筋を通すことが大切だと言う意味です。臣下は君主に対して忠誠を守り、君主は臣下に礼を持って労う姿が重要と言えます。親子の関係を表す「親」は、お互いに愛情を持って親密であることが大切と言う意味です。父母は深い慈愛を持って子供を育み、子供は親からの愛情を感じて孝行を尽くすことが重要と言えます。夫婦間の「順」は、逆らわず同じ方向に向かい、和やかであることが大切だと言う意味です。夫も妻もお互いを尊重し、親しみ愛し合って仲睦まじく暮らすことが重要と言えます。

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●12.四季と四方を意識せよ
【中国語】
曰春夏,曰秋冬。此四时,运不穷。
曰南北,曰西东。此四方,应乎中。

【ピンイン(発音)】
曰春夏(yuē chūn xià)
曰秋冬(yuē qiū dōng)
此四时(cǐ sì shí)
运不穷(yùn bù qióng)
曰南北(yuē nán běi)
曰西东(yuē xī dōng)
此四方(cǐ sì fāng)
应乎中(yìng hū zhōng)

【日本語】
曰春夏、曰秋冬。此四時、運不窮。
曰南北、曰西東。此四方、応乎中。
【書き下し文(読み方)】
曰(い)はく春(しゅん)夏(か)
曰(い)はく秋(しゅう)冬(とう)
此(こ)の四時(しじ)は
運(めぐ)りて窮(きゅう)せず
曰(い)はく南(なん)北(ぼく)
曰(い)はく西(せい)東(とう)
此(こ)の四方(しほう)は
中(ちゅう)に応(おう)ず
【意味(翻訳)】
春夏秋冬を四季と言い、季節はめぐり停まることなく変化する。
東西南北を四方と言い、基点に応じた方位で方向を指し示す。
【語句補足】
<曰>~に言及する
<四(時)>四季(は時の簡体字)
(運)>循環、めぐる(は運の簡体字)
(窮)>停まること、停止(は窮の簡体字)
<西(東)>東西、東と西のこと(は東の簡体字)
(応)>対応する、相応する(は応の簡体字)

【解説(内容)】

春夏秋冬のことを四季と言います。これら4つの季節は、春から夏へ移り秋を経て冬に到り、その後、冬は春に戻ます。このように季節はめぐり循環し、永遠に止まることなく変化して行きます。また、東西南北のことを四方と言い、方向によって位置を指し示します。これら4つの方位は基準となる位置(中心)を定めた上で、対応する方向をそれぞれの方位で示します。前半の十二字は時節の概念について、後半の十二字は二次元の位置について述べています。これらは、我々が実際に生活している時間と空間について、そらの基礎を説明した文です。

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●13.五行は万物を見つめる洞察力の基本
【中国語】
曰水火,木金土。此五行,本乎数。
【ピンイン(発音)】
曰水火(yuē shuǐ huǒ)
木金土(mù jīn tǔ)
此五行(cǐ wǔ xíng)
本乎数(běn hū shù)

【日本語】
曰水火、木金土、此五行、本乎数。
【書き下し文(読み方)】
曰(い)はく水(すい)火(か)
木(もく)金(きん)土(ど)
此(こ)の五行(ごぎょう)は
数(すう)を本(もと)とす
【意味(翻訳)】
水火木金土を五行と言い、これらは天の定めに基づいている。
【語句補足】
<曰>~に言及する
<五行>水、火、木、金、土の五種の物質
<本>根源、根本、源
<数>回り合わせ、運命

【解説(内容)】

五行は、水、火、木、金、土のことを指します。これら五種の物質は、古代中国における世界観・宇宙観で、万物を構成する五つの根源の要素とされています。ここで使われている「数」は、回り合わせ(運命)を意味する言葉で、万物を構成する五大要素の根源であるとされています。科学が発達した今日から見れば、これらの概念は現実と異なる面はあります。しかし、五行を単なる物質として捉えるのではなく、五種の相互の関係を見つめながら物質の生成、変化、消滅を考えると、さまざまな自然界の現象を説明できるその奥の深さに気付くはずです。これは、物事を考察する上で大きな助けとなります。

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●14.五常は人が守るべき基本の道徳
【中国語】
曰仁义,礼智信。此五常,不容紊。
【ピンイン(発音)】
曰仁义(yuē rén yì)
礼智信(lǐ zhì xìn)
此五常(cǐ wǔ cháng)
不容紊(bù róng wěn)

【日本語】
曰仁義、礼智信。此五常、不容紊。
【書き下し文(読み方)】
曰(い)はく仁(じん)義(ぎ)
礼(れい)智(ち)信(しん)
此(こ)の五常(ごじょう)は
容(まさ)に紊(みだ)すべからず
【意味(翻訳)】
仁義礼智信を五常と言い、乱してはいけない
【語句補足】
<仁>いつくしみ、思いやり、慈愛
(義)>正しい道、道義(は義の簡体字)
<礼>規範、礼儀、礼節
<智>智慧(知恵)、道理をすっかり理解する能力
<信>欺かず誠実、まこと、信用
<五常>儒教の教えで、人が守るべき五つの道(仁、義、礼、智、信)
<紊>みだす

【解説(内容)】

儒教が説いている仁、義、礼、智、信の五常は、人が守るべき基本です。全ての人がこれを守れば、社会秩序は保たれ良き治安や平和に繋がりますので、誰もが遵守することに努め、乱さないことが大切です。儒教の教えは、長い歴史の中で中国だけでなく日本の倫理観や価値観、道徳観に多大な影響を与えて来ましたが、今日の規範としても大きな意味を持っています。儒教では、五常の中の1つ目の「仁」が最も重要とされ、続く「義」、「礼」も兼ね備えてこそ「智」「信」が意味をなすと説いています。仁を分かりやすく言えば、慈愛や慈しみ、情けなどを含む人に対する思いやりのことですが、この人を思う心が根底にあることが最も重要と言っています。その上で、物事の正しい道をとる行動(義)や、礼儀や礼節を重んじる姿勢(礼)が人格の基礎となり、「智」と「信」が加わることで、人として一人前と言えます。つまり、仁・儀・礼に基かなければ、智も信もむなしく、時には害をもたらすこともあります。

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●15.主要の食糧は穀物
【中国語】
稻粱菽,麦黍稷。此六谷,人所食。
【ピンイン(発音)】
稻粱菽(dào liáng shū)
麦黍稷(mài shǔ jì)
此六谷(cǐ liù gǔ)
人所食(rén suǒ shí)

【日本語】
稲粱菽、麦黍稷。此六穀、人所食。
【書き下し文(読み方)】
稲(とう)粱(りゃう)菽(しゅく)
麦(ばく)黍(しょ)稷(しょく)
此(こ)の六穀(ろくこく)は
人(ひと)の食(くら)ふ所(ところ)なり
【意味(翻訳)】
イネ、アワ、マメ、ムギ、モチキビ、ウルチキビは六穀と言い、人が食べるものである。
【語句補足】
(稲)>イネ(は稲の簡体字)
<粱>アワ
<菽>豆類の総称
<黍>モチキビ
<稷>ウルチキビ
<谷(穀)>穀物

【解説(内容)】

イネ、アワ、マメ、ムギ、モチキビ、ウルチキビは六穀と呼ばれ、我々の日常の食生活において主要の食糧になっています。まだ、狩猟による食事が中心であった古代中国の人は、狩りによって動物が減り続ければ、いずれは捕獲できなくなることを心配していました。そこで、野生動物に代わる食料を見つけ出したいと考えていましたが、植物の種子に味がよいものがあることを発見すると、いくつもの植物の種子の味を試し、その中から栽培しやすいものを選んで行き、結果的に六穀が定まったと言われています。現代では、イネ(米)が主流とはなりましたが、他の五穀も主要な食糧として今も利用され続けていることから、人類の農業や栽培の発達の歴史において六穀の発見がいかに大きなことであったかが分かります。

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●16.共存する家畜の歴史や意義を知れ
【中国語】
马牛羊,鸡犬豕。此六畜,人所饲。
【ピンイン(発音)】
马牛羊(mǎ niú yáng)
鸡犬豕(jī quǎn shǐ)
此六畜(cǐ liù chù)
人所饲(rén suǒ sì)

【日本語】
馬牛羊、鷄犬豕。此六畜、人所飼。
【書き下し文(読み方)】
馬(ば)牛(ぎゅう)羊(やう)
鷄(けい)犬(けん)豕(し)
此(こ)の六畜(ろくちく)は
人(ひと)の飼(やしな)ふ所(ところ)なり
【意味(翻訳)】
馬、牛、羊、鶏、犬、豚の六畜は、人が飼育するものである。
【語句補足】
(馬)>ウマ(は馬の簡体字)
(鷄・鶏)>ニワトリ(は鶏(鷄)の簡体字)
<豕>豚、ブタ
(飼)>育てる、飼育する(は飼の簡体字)

【解説(内容)】

馬、牛、羊、鶏、犬、豚を六畜と言い、人が飼育するところですが、これらは元々は全て野生の動物でした。まだ、道具を使って狩猟によって動物を食料としていた時代、狩りが上手く行かないことが続くと、人間が飢えてしまう問題がありました。そこで、人々は捕獲した野生動物を閉じ込めて、必要な時に屠殺することを覚えました。そこから、動物を飼育することを学び、家畜・畜産が発達して行きましたが、その過程の中で、馬を交通手段として利用したり、牛に畑を耕す作業を手伝わせたり、羊の革を衣類に使用したり、鷄の卵を食料に用いたり、犬に家の番をさせたり等、食肉としてだけでなく色々な用途に持ちるようになりました。今日では、人間生活に欠かせない存在になった家畜や畜産ですが、それは長い歴史のなかで人類の知恵によって発達してきたことであり、また動物の貴重な生命を食としていることを忘れてはいけないとの教えでもあると言えます。

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●17.感情を弁え、感情に流されるな
【中国語】
曰喜怒,曰哀惧。爱恶欲,七情具。
【ピンイン(発音)】
曰喜怒(yuē xǐ nù)
曰哀惧(yuē āi jù)
爱恶欲(ài wù yù)
七情具(qī qíng jù)

【日本語】
曰喜怒、曰哀懼。愛惡欲、七情具。
【書き下し文(読み方)】
曰(い)はく喜(き)怒(ど)
曰(い)はく哀(あい)懼(く)
愛(あい)惡(を)欲(よく)
七情(しちじゃう)具(そな)はる
【意味(翻訳)】
人には、喜・怒・哀・懼(恐れ)・愛・悪・欲の七つの感情がそなわっている。
【語句補足】
(懼)>恐れる、怖がる(は懼の簡体字)
(愛)>好む、愛する(は愛の簡体字)
(惡・悪)>憎む、嫌がる(は悪(惡)の簡体字)
<欲>欲望、貪欲
<具>備えている

【解説(内容)】

人には、喜び、怒り、悲しみ、恐れ、好み、憎しみ、貪ぼりの七種の感情が備わっています。これらの感情は、全ての人が生まれながらにして持っている心の働きで、それらの感情は複雑なだけでなく、どんな人も消すことはできません。この文では、人が本質的に持つ感情を七つに分類して示しているだけですが、感情をコントロールすることの大切さも示唆しています。中国では古来より、感情に任せた行動で身を滅ぼした者の史実や、感情をうまくコントロースして成功に結び付けた例が、様々な逸話として語られていますが、それらとこの文を照らし合わせて読めば、人間の感情についてより深く理解することができるでしょう。我々が、より良い人生を歩むためには、自分の感情と向き合うと同時に、高い志を持って感情に流されずにコントロールすることが重要です。感情を意図的に隠したり無理に冷静さを装ったりするのではなく、状況に応じて柔軟に態度や行動を変えて行けるように常に修養・研磨して行くことが大切と言えます。

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●18.音楽は人間の生活を豊かにする
【中国語】
匏土革,木石金。丝与竹,乃八音。
【ピンイン(発音)】
匏土革(páo tǔ gé)
木石金(mù shí jīn)
丝与竹(sī yǔ zhú)
乃八音(nǎi bā yīn)

【日本語】
匏土革、木石金。絲与竹、乃八音。
【書き下し文(読み方)】
匏(はう)土(ど)革(かく)
木(ぼく)石(せき)金(きん)
絲(し)と竹(ちく)は
乃(すなは)ち八音(はちおん)なり
【意味(翻訳)】
匏、土、革、木、石、金、絲と竹は、八音と称し、八種の楽器のことである。
【語句補足】
<匏>瓜の一種で作った笛のような楽器
<土>土を焼いて作った楽器
<革>皮革で作った太鼓のような楽器
<木>木製の楽器
<石>石で作った楽器
<金>金属製の鐘や鉦(しょう)などの楽器
(絲・糸)>弦楽器(は絲(糸)の簡体字)
<竹>竹で作った管楽器
<八音>八種の楽器

【解説(内容)】

古代中国では、使う材料で楽器を匏、土、革、木、石、金、絲、竹の八種に分類して、八音と呼んでいました。八種の楽器が発する音色は、それぞれの特徴があり、音節や高低を変化させて、奥の深い魅力的なメロディーを生み出すことができていました。音楽は、演奏や交流などを通してあらゆる分野において生活を豊かにしてくれ、人類の文明や文化の発達にも寄与し、色々な歴史も作って来ました。様々な楽器が生み出す多種の音色は、音楽の可能性を広げてくれ、今後も人々の生活を豊かにしてくれる重要なものであることを示しています。

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●19.祖先への敬意と子孫の継承
【中国語】
高曾祖,父而身。身而子,子而孙。
自子孙,至玄曾。乃九族,人之伦。

【ピンイン(発音)】
高曾祖(gāo zēng zǔ)
父而身(fù ér shēn)
身而子(shēn ér zǐ)
子而孙(zǐ ér sūn)
自子孙(zì zǐ sūn)
至玄曾(zhì xuán zēng)
乃九族(nǎi jiǔ zú)
人之伦(rén zhī lún)

【日本語】
高曽祖、父而身。身而子、子而孫。自子孫、至玄曽。乃九族、人之倫。
【書き下し文(読み方)】
高(こう)曽(そう)祖(そ)
父(ちち)よりして身(み)
身(み)よりして子(こ)
子(こ)よりして孫(まご)
子(こ)孫(まご)自(よ)り
玄(げん)曽(そう)に至(いた)る
乃(すなは)ち九族(きうぞく)は
人(ひと)の倫(りん)なり
【意味(翻訳)】
高祖、曽祖父、祖父、父から我が身に到り、我が身から子、孫に到り、子、孫から曽孫、玄孫に到る。このような九族は、家系の繋がりを表している。
【語句補足】
<高>高祖(こうそ)、祖父の祖父のこと
<曾>曽祖父、祖父の父のこと
<祖>祖父
<身>わが身、自分のこと
<玄>玄孫(げんそん)、やしゃご、曾孫の子、孫の孫
<曾>曽孫(そうそん)、孫の子、ひまご
(倫)>人間の整理された関係(は倫の簡体字)

【解説(内容)】

自身を中心に、4代前の高祖から4代後までの玄孫に到る親族の九つの繋がりを九族と呼びます。これは、家系の繋がりの関係を表現していますが、子々孫々に受け継がれて行くことや、世代が移り変わり、生命が受け継がれて行くことも表しています。親族を表現する高祖や玄孫などの言葉が今日においても未だ残っているのは、九族が家族を表す基本とされていたからでしょう。この文は、祖先を尊重して大事にすべきことや、家系や未来を継承していくことの責任などの意味も含んでいると言えます。

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●20.家庭内の人の関係のあるべき姿
【中国語】
父子恩,夫妇从。兄则友,弟则恭。
【ピンイン(発音)】
父子恩(fù zǐ ēn)
夫妇从(fū fù cóng)
兄则友(xiōng zé yǒu)
弟则恭(dì zé gōng)

【日本語】
父子恩、夫婦從。兄則友、弟則恭。
【書き下し文(読み方)】
父子(ふし)は恩(おん)
夫婦(ふうふ)は從(じゅう)
兄(あに)は則(すなは)ち友(ゆう)
弟(おとうと)は則(すなは)ち恭(きょう)
【意味(翻訳)】
親と子は恩情を持ち、夫婦は従順で仲睦まじく、兄たる者は弟を友愛し、弟たる者は兄を親しみ敬うべきである。
【語句補足】
(婦)>妻(夫婦の婦)のこと(は婦の簡体字)
(從・従)>従順である、ここではお互いに尊重すること(は從(従)の簡体字)
<兄>本来は兄の意、ここでは兄たる者の意
(則)>当然~すべき(は則の簡体字)
<弟>本来は弟の意、ここでは弟たる者の意

【解説(内容)】

この文は、家族内の関係のあり方を教示しています。親と子は、お互いに恩情を重視し、親は子を慈しみ子は親に孝行することが大切で、夫と妻(夫婦)は、お互い尊重しあって仲睦まじく円満であることが大切で、兄や姉は年下の弟や妹に対して友愛の気持ちを持ち仲良くすべきで、弟や妹は年上の兄や姉に対して敬い慕う気持ちを持つべきだと説いています。いずれも、家族が仲良く幸せに暮らすためのポイントとして、家族内の人の関係のあるべき基本の姿を示しています。中国では、古来より「家族が円満なら、国家も治まり平和となる」と言われていますが、社会における人間関係の最小単位と言えるのが家族ですから、家族が調和して仲良く暮らせれば、社会全体の平和や幸福にも繋がることがよく分かります。

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●21.社会での人間関係のあり方
【中国語】
长幼序,友与朋。君则敬,臣则忠。此十义,人所同。
【ピンイン(発音)】
长幼序(zhǎng yòu xù)
友与朋(yǒu yǔ péng)
君则敬(jūn zé jìng)
臣则忠(chén zé zhōng)
此十义(cǐ shí yì)
人所同(rén suǒ tóng)

【日本語】
長幼序、友与朋。君則敬、臣則忠。此十義、人所同
【書き下し文(読み方)】
長幼(ちょうよう)の序(じょ)
友(とも)と朋(とも)
君(きみ)は則(すなは)ち敬(けい)し
臣(しん)は則(すなは)ち忠(ちゅう)なり
此(こ)の十義(じゅうぎ)は
人(ひと)の同(おな)じくする所(ところ)なり
【意味(翻訳)】
長幼には序があり、朋友には信義がある。君主は臣下を敬い、臣下は君主に忠を尽くすべきである。このような十義は、人として皆が守るべきところである。
【語句補足】
(長)>年長であること(は長の簡体字)
<序>次第、順序
(則)>当然~すべき(は則の簡体字)
<忠>忠誠
<十(義)>父慈、子孝、夫和、婦順、兄友、弟恭、朋義、友信、君敬、臣忠のこと(は義の簡体字)
<同>共同で遵守する

【解説(内容)】

冒頭の長幼序は、「長幼之序」という四字熟語や「長幼序あり」という成句にある通り、年長者と年少者との間には、序列や秩序、順序があることを示しています。友与朋では、朋友(友達)との間では信義を持ってお互いに信頼し合うことが大切だと説いています。また、君主は臣下を敬い尊重し、逆に、臣下は君主に忠誠を尽くすべきだと言っています。これらの前文の例を受けて、人と人との関係のあるべき姿を説いた十義は、誰しもが皆、守るべきと締めくくっています。十義は、上記のように父の慈、子の孝、夫の和、婦の順、兄の友、弟の恭、朋の義、友の信、君の敬、臣の忠のことを指しますが、これとは違った解釈をする場合や、違った捉え方をすることもあります。例えば、父の慈、子の孝、夫の義、婦の聡、兄の良、弟の悌、長の恵、幼の順、君の仁、臣の忠のような解釈もあります。いずれにしても、社会における人間関係のあるべき姿、守るべき基本的な道徳を示しています。なお、三字経の中には、「父子恩…」から始まる1つ前の文と繋げて解釈する場合もあります。

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第三部 学ぶべきことには順序がある

●22.初学者への教育は明瞭に
【中国語】
凡训蒙,须讲究。详训诂,明句读。
【ピンイン(発音)】
凡训蒙(fán xùn méng)
须讲究(xū jiǎng jiū)
详训诂(xiáng xùn gǔ)
明句读(míng jù dòu)

【日本語】
凡訓蒙、須講究。詳訓詁、明句読。
【書き下し文(読み方)】
凡(およ)そ蒙(もう)に訓(をし)ふるは
須(すべから)く講究(こうきゅう)すべし
訓詁(くんこ)を詳(つまび)かにし
句読(くとう)を明(あき)らかにす
【意味(翻訳)】
総じて、初学者を教え導くには、物事をよく調べて説き明かすべきである。また、古き言葉の字句の意義を完全に理解し、文の切れ目を明確にすべきである。
【語句補足】
<凡>およそ、すべて、総じて
(訓)>指導、教え導く(は訓の簡体字)
<蒙>啓蒙する、初心者に基本の知識を与える
(須)>~すべきである(は須の簡体字)
(講)究>研究する、考え調べる(は講の簡体字)
(詳)>欠け目なく理解する(は詳の簡体字)
训诂(訓詁)>現代の言葉で古書を解釈すること(训诂は訓詁の簡体字)
<句(読)>句読、文章の切れめとなるところ(は読の簡体字)

【解説(内容)】

学問の初心者を指導する場合は、全てをきちんと明らかにして手ほどきすべきだと説いています。教える側が、中途半端な解釈をして指導してしまえば、教えて貰う側の理解も中途半端になってしまいます。また、教えて貰う側も、1つ1つをきちんと理解してこそ学問が進むと言え、きちんと学ぶことがいかに大切であるかが分かります。書き下し文では、「蒙(もう)」を「道理にくらい学問の未熟な者」として記載していますが、そもそも原文(中国語)の「蒙」には、「初心者に基本の知識を与える」意味があります。これは、漢文を日本語に書き下すことの難しさの表れと言えます。講究とは物事を深く調べてその意味や本質を説き明かす意味で、また、訓詁とは古い言葉の字句の意義を解釈する意味ですから、”究めて完璧にすべき”との姿勢を感じます。

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●23.学問には最初に学ぶべきものがある
【中国語】
为学者,必有初。小学终,至四书。
论语者,二十篇。群弟子,记善言。

【ピンイン(発音)】
为学者(wéi xué zhě)
必有初(bì yǒu chū)
小学终(xiǎo xué zhōng)
至四书(zhì sì shū)
论语者(lún yǔ zhě)
二十篇(èr shí piān)
群弟子(qún dì zǐ)
记善言(jì shàn yán)

【日本語】
為學者、必有初。小学終、至四書。
論語者、二十篇。群弟子、記善言。
【書き下し文(読み方)】
學(がく)を為(まな)ぶ者(もの)は
必(かなら)ず初(はじ)め有(あ)り
小学(しょうがく)終(をは)り
四書(ししょ)に至(いた)る
論語(ろんご)は
二十篇(にじゅうへん)
群弟子(ぐんていし)
善言(ぜんげん)を記(しる)す
【意味(翻訳)】
学問を志す者は、必ず初歩と言うものがあり、初等教育を終えてから四書に至るのである。
論語は二十編で構成され、孔子の多くの弟子がためになる言葉を書きとどめた書である。
【語句補足】
(為)>なす、ここでは学問を学ぶ意(は為の簡体字)
(終)>終える(は終の簡体字)
<四(書)>儒学の基礎となる四部(「論語」「孟子」「中庸」「大学」)の書(は書の簡体字)
论语(論語)>論語のこと、孔子の言行記録を編集した書物(论语は論語の簡体字)
<群>数多い
(記)>書き留める、記録する(は記の簡体字)
<善言>ためになるよい言葉

【解説(内容)】

学問を志すのであれば、まず、初期の段階があることを弁えるべきと述べた後、基礎を築くために初等教育を徹底してマスターすることが大切だと説いています。そして、基礎が固まった後に、儒学の主要書物である四書(「論語」「孟子」「中庸」「大学」)を学ぶべきだと促しています。そして、四書の中でも、最も重視されている論語は、孔子の弟子や孫弟子が、偉大であった孔子の言説を記録した二十編にも及ぶ書物であることを説明して、論語が学ぶべき中心であることを示しています。実際、論語は、政治的見解、倫理観、道徳的概念、教育上の原則などの他、礼儀や音楽などについても触れられていて、多くを学べる書物となっています。この文では、儒教で重んじられる書物が挙げられていますが、学問には最初に学ぶべきものがあることを示していると解釈できます。

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●24.道徳や人としてのあり方を身に付けよ
【中国語】
孟子者,七篇止。讲道德,说仁义。
作中庸,子思笔。中不偏,庸不易。

【ピンイン(発音)】
孟子者(mèng zǐ zhě)
七篇止(qī piān zhǐ)
讲道德(jiǎng dào dé)
说仁义(shuō rén yì)
作中庸(zuò zhōng yōng)
子思笔(zǐ sī bǐ)
中不偏(zhōng bù piān)
庸不易(yōng bú yì)

【日本語】
孟子者、七篇止。講道徳、説仁義。
作中庸、子思筆。中不偏、庸不易。
【書き下し文(読み方)】
孟子(もうし)は
七篇(しちへん)に止(とど)む
道徳(どうとく)を講(こう)じ
仁義(じんぎ)を説(と)く
中庸(ちゅうよう)を作(つく)るは
子思(しし)の筆(ふで)
中(ちゅう)にして偏(かたよ)らず
庸(よう)にして易(かは)らず
【意味(翻訳)】
四書の1つ「孟子」は七篇で構成されている。道徳が講じられ、仁義が説かれている。
「中庸」は子思が筆記して作った書で、その内容は中立で偏ることがなく、常にふつうで変わることがない。
【語句補足】
<孟子>孟子の言行や思想を記録した書物
(講)>講ずる(は講の簡体字)
<道(徳)>道徳、守るべき行動規範(は徳の簡体字)
(説)>説く(は説の簡体字)
<仁(義)>仁義のこと(は義の簡体字)
<子思>孔子の孫の子思(しし)のこと、名を伋(きゅう)という
<中>中正、偏らず公正であること
<庸>ふつうである、平常である

【解説(内容)】

四書を学ぶ重要性を述べた前掲の文を受けて、四書の中の「孟子」と「中庸」について述べたのがこの文です。「孟子」は、主に人としてあるべき道徳的な教えを説き、「中庸」は公平で不変な哲学的な思想が説かれています。原文の「子思筆」については、三字経の種類によって「乃子思」と書いて「乃(すなは)ち子思(しし)」と書き下す場合があります。また、孔子の孫は、字(あざな)が子思(しし)で、名は伋(きゅう)であることから、孔伋(こうきゅう)と表現する場合があるので、「乃孔伋」と書いて「乃(すなは)ち孔伋(こうきゅう)」と書き下す場合もあります。この文では、四書の中の2つを挙げていますが、趣旨としては、道徳や人としてのあり方をしっかり身に付けよとの意と解釈できるでしょう。

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●25.小さな基本的が大きな目標につながる
【中国語】
作大学,乃曾子。自修齐,至平治。
【ピンイン(発音)】
作大学(zuò dà xué)
乃曾子(nǎi zēng zǐ)
自修齐(zì xiū qí)
至平治(zhì píng zhì)

【日本語】
作大学、乃曾子。自修斉、至平治。
【書き下し文(読み方)】
大学(だいがく)を作(つく)るは
乃(すなは)ち曾子(そうし)
修斉(しゅうせい)自(よ)り
平治(へいち)に至(いた)る
【意味(翻訳)】
儒教の四書の1つ「大学」は、すなわち孔子の弟子である曾子(そうし)が著した書物である。身を修めることや家を整えることから始まり、国を治めて天下を平定することに至るまで、様々なことが記されている。
【語句補足】
<大学>儒学の基礎となる1つの書の名称
<曾子>孔子の弟子の曾参のこと
<修(斉)>修身と斉家、身を修める(修身)ことと家を整える(斉家)こと(は斉の簡体字)
<平治>国を治めて天下を平定すること

【解説(内容)】

四書の中の「大学」について述べたのがこの文です。「大学」は、孔子の弟子である曾子(そうし)が著した書であると言われ、曾子は曾参(そうしん)とも呼ばれます。「大学」は当初、「礼記」中の一編でしたが、後年になって四書の1つとして重要な書物となりました。「大学」では、儒教の目的を三綱領にまとめ、その実践を八条目に分けて示しています。八条目とは、格物、致知、诚意(誠意)、正心、修身、齐家(斉家)、治国、平天下のことで、自身の修養から始まって世界を統治することに至るまでとても幅広く説いています。最初の二条目である”格物致知”は、「事物の原理を極めて知識を推しきわめる」と言う意味の成句にもなっていますが、学問の基本を示しています。また、欲正其心者先誠其意(其の心を正さんと欲する者は先づ其の意を誠にす)と記し、心を正すこと、心に偽りを待たない状態にすることの大切さを説いています。そして、欲斉其家者先修其身(其の家を斉へんと欲する者は先づ其の身を修む)と書いて、身を修めること、家をととのえることを示し、最後に、国を治めること、天下を平定することを説いています。このように、小さく基本的なことが、大きな目標につながることを順を追って説いているのが「大学」です。

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●26.学問は基礎ができてから応用へ

【中国語】
孝经通,四书熟。如六经,始可读。
【ピンイン(発音)】
孝经通(xiào jīng tōng)
四书熟(sì shū shú)
如六经(rú liù jīng)
始可读(shǐ kě dú)

【日本語】
孝経通、四書熟。如六経、始可読。
【書き下し文(読み方)】
孝経(こうきょう)通(つう)じ
四書(しょしょ)熟(じゅく)し
六経(りっけい)の如(ごと)きは
始(はじ)めて読(よ)む可(べ)し
【意味(翻訳)】
孝経に精通し、四書を熟知した後、はじめて六経のような深遠な書物を読むべきである。
【語句補足】
<孝(経)>孝を説く儒教の書の1つ(は経の簡体字)
<四(書)>儒学の基礎となる四部(「論語」「孟子」「中庸」「大学」)の書(は書の簡体字)
<六(経)>6つの書の総称(は経の簡体字)
<始>はじめて
(読)>読む(は読の簡体字)

【解説(内容)】

「孝経」は、18章からなる孝について書かれた書物で、人道の基本が説かれていることから、これを真っ先に学ぶべきであると教示し、更に、儒教の基礎経典である四書をしっかり学んだのち、はじめて六経のような内容の深い書物に取り組むべきと説いています。つまり、易しい学問から難しい学問、基礎分野から応用分野のように、学ぶべき順序があることを示しています。ここで挙げている六経(りっけい、りくけい)とは、儒教における「礼记」(礼記・らいき)、「春秋」(しゅんじゅう)、「尚书」(書経・しょきょう)、「诗经」(詩経・しきょう)、「周易」(易経・えききょう)、「乐经」(楽経・がくけい)の6つの経典のことです。

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●27.詳しく調べ深く考えることが重要
【中国語】
诗书易,礼春秋。号六经,当讲求。
有连山,有归藏。有周易,三易详。

【ピンイン(発音)】
诗书易(shī shū yì)
礼春秋(lǐ chūn qiū)
号六经(hào liù jīng)
当讲求(dāng jiǎng qiú)
有连山(yǒu lián shān)
有归藏(yǒu guī cáng)
有周易(yǒu zhōu yì)
三易详(sān yì xiáng)

【日本語】
詩書易、礼春秋。号六経、当講求。
有連山、有帰蔵。有周易、三易詳。
【書き下し文(読み方)】
詩書易(ししょえき)
礼春秋(らいしゅんじゅう)は
六経(りっけい)と号(がう)す
当(まさ)に講求(こうきゅう)すべし
連山(れんざん)有(あ)り
帰蔵(きぞう)有(あ)り
周易(しゅうえき)有(あ)り
三易(さんえき)詳(つまび)らかなり
【意味(翻訳)】
6つの経典「詩経」「書経」「易経」「礼記」「周礼」「春秋」を六経(りっけい)と号する。詳細を研究すべきである。
連山があり、帰蔵があり、周易がある。これらを総称して三易と呼び、宇宙万物について詳しく説かれている。
【語句補足】
<诗(詩)>儒教の経典「詩経」(しきょう)のこと(诗は詩の簡体字)
<书(書)>儒教の経典「書経」(しょきょう)のこと(书は書の簡体字)
<易>儒教の経典「易経」(えききょう)のこと
<礼>儒教の経典「礼記」(らいき)と「周礼」(しゅうらい)のこと
<春秋>儒教の経典「春秋」(しゅんじゅう)のこと
<号>~とよぶ、~という
<六(経)>6つの書の総称(は経の簡体字)
(講)求>詳細を研究する(は講の簡体字)
(連)山>「連山」(書名の1つ)(は連の簡体字)
归藏(帰蔵)>「帰蔵」(書名の1つ)(归藏は帰蔵の簡体字)
<周易>「周易」(書名の1つ)
(詳)>つまびらか(は詳の簡体字)

【解説(内容)】

六経(りっけい)は、もともと「詩経」「書経」「易経」「礼記」「楽経」「春秋」でしたが、「楽経」を亡失してしまったため、後に「周礼」と入れ替わって六経となりました。六経はいずれも、儒教経典の中で最も重要とされている書物であることから、しっかりと学び研究すべきであると説いています。また、「連山」「帰蔵」「周易」は、古代における占術の書ですが、天地や気象の変化を長期に渡って観測して得た宇宙万物の法則についても説かれていて、深い哲学的原理や自然界の法則なども含んでいるため、知識を深める上で重要だとされています。ここは、学ぶべき具体的な書物を挙げていますが、この文の趣旨としては、学ぶに当たっては詳しく調べて深く考えることが重要であることを示していると言えます。

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●28.政論や政治理念も習得せよ
【中国語】
有典谟,有训诰。有誓命,书之奥。
我周公,作周礼。著六官,存治体。

【ピンイン(発音)】
有典谟(yǒu diǎn mó)
有训诰(yǒu xùn gào)
有誓命(yǒu shì mìng)
书之奥(shū zhī ào)
我周公(wǒ zhōu gōng)
作周礼(zuò zhōu lǐ)
著六官(zhù liù guān)
存治体(cún zhì tǐ)

【日本語】
有典謨、有訓誥。有誓命、書之奥。
我周公、作周礼。著六官、存治体。
【書き下し文(読み方)】
典(てん)謨(ぼ)有(あ)り
訓(くん)誥(こう)有(あ)り
誓(せい)命(めい)有(あ)り
書(しょ)の奥(おう)なり
我(わ)が周公(しゅうこう)
周礼(しゅらい)を作(つく)り
六官(りっかん)を著(あらは)し
治体(ちたい)を存(そん)す
【意味(翻訳)】
典と謨があり、訓と誥があり、誓と命がある。これが書経の奥深く優れているところである。
我が周公は、周礼を作り、六官を設置して、国の統治体制を築いた。
【語句補足】
<典(謨)>古代における「典」と「謨」の2つの文体(は謨の簡体字)
训诰(訓誥)>古代における「訓」と「誥」の2つの文体(训诰は訓誥の簡体字)
<誓命>古代における「誓」と「命」の2つの文体
(書)>書経のこと(は書の簡体字)
<周公>周代の王族で文王の子、”我”を冠しているのは親しみを込めた表現のため
<六官>周代における6つの行政機関のこと
<著>設置する
<治体>国家を統治する

【解説(内容)】

儒教の経典のうち、「書経」と「周礼」の2書について説明しています。
前半の12字の文では、書経の具体的な内容について解説し、後半の12字の文では、周礼に触れると同時にそれが国家の統治に寄与したことを説いています。
書経は、20巻、58編からなると言われ、古くは「書」や「尚書」と呼ばれ、政論や政教が集録されています。
書経には、「典」、「謨」、「訓」、「誥」、「誓」、「命」の六つの文体があり、それぞれ下記の内容が記されています。
「典」国を統治する原則、基本理念
「謨」国家の戦略、政府の計画
「訓」君主に対する臣下の助言
「誥」君主が発布する法令
「誓」軍出兵の宣誓
「命」君主が臣下に発する命令
書経は、歴史的な資料として重要な書物で、国家統治に役立つ知識を得ることができるだけではなく、歴史を知る上でも非常に有益だと言われています。
後半に説かれている「周礼」(しゅらい)は、文王の子で、武王の弟である周公(=周公旦)が作ったと言われています。
「周礼」には、六つの行政機関(六種の職位)である六官について記述されていることから、周官とも言われています。
儒教の政治理念を制度化した内容で、官吏の数や具体的な分職について記されています。
六官には下記の6つがあり、それぞれカッコに示した漢字で表され、様々な職務について書かれています。
天官(治)…宮廷
地官(教)…教育
春官(礼)…祭祀
夏官(兵)…軍事
秋官(刑)…裁判
冬官(事)…土木、工事
周公は、六官を設置して周礼を作り、兄の武王を支えて周の統治体制の基礎を築きました。
このように、「書経」と「周礼」はともに、具体的に統治してきた内容がそのまま残された貴重な書物と言え、今日においても、学ぶことは多いと言われています。
この文は、政論や政治理念を学び習得するの大事を説いていると言えます。

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●29.礼儀や典礼を知り、詩からも歴史を学べ
【中国語】
大小戴,注礼记。述圣言,礼乐备。
曰国风,曰雅颂。号四诗,当讽咏。

【ピンイン(発音)】
大小戴(dà xiǎo dài)
注礼记(zhù lǐ jì)
述圣言(shù shèng yán)
礼乐备(lǐ yuè bèi)
曰国风(yuē guó fēng)
曰雅颂(yuē yǎ sòng)
号四诗(hào sì shī)
当讽咏(dāng fěng yǒng)

【日本語】
大小戴、注礼記。述聖言、礼楽備。
曰国風、曰雅頌。号四詩、当諷詠。
【書き下し文(読み方)】
大小戴(だいしょうたい)
礼記(らいき)を注(ちゅう)し
聖言(せいげん)を述(の)べて
礼楽(れいがく)備(そな)はる
曰(い)はく国風(こくふう)
曰(い)はく雅(が)頌(しょう)
四詩(しし)と号(ごう)し
当(まさ)に諷詠(ふうえい)すべし
【意味(翻訳)】
大戴(戴徳)と小戴(戴聖)は、礼記を解釈して聖人の言葉を書き表し、これにより礼儀や典礼の制度がほぼ完備した。
詩経は、国風と小雅、大雅、頌の4つの部立てに分けられることから四詩とも呼ぶ。大いに諷詠すべきである。
【語句補足】
<大小戴>前漢における湖南省の学者「戴徳(たいとく)」と「戴聖(たいせい)」のこと
<注>解釈する、注釈する
<礼(記)>礼記(らいき)(は記の簡体字)
<述>記述する
(聖)言>聖人の言葉(は聖の簡体字)
<礼(楽)>礼節・儀式、音楽を伴う典礼の制度(は楽の簡体字)
<国(風)>詩経の部立てのひとつで民謡について書かれている(は風の簡体字)
<雅(頌)>詩経の中の2つの部立てである雅と頌、雅は都びとの歌について頌は祖先の徳をたたえる歌について書かれている(は頌の簡体字)
<四(詩)>詩経における「国風」「小雅」「大雅」「頌」の4種の詩(は詩の簡体字)
讽咏(諷詠)>詩歌を作ったり、吟じたりすること(讽、咏は、それぞれ諷、詠の簡体字)

【解説(内容)】

前漢の二人の学者「戴徳(たいとく)」と「戴聖(たいせい)」は、それぞれ「大戴」、「小戴」とも呼ばれていたことから、二人を合わせて大小戴と表現しています。古来から、礼に関して様々な記録がされ、前漢初期には「礼の記」(131編)などがありました。戴徳はこれらの古説を整理して大戴礼(だいたいれい)85編を作り、戴徳の甥にあたる戴聖は大戴礼にならって小戴礼(しょうたいれい)49編を作りました。大戴礼は大戴礼記、小戴礼は小戴礼記とも呼ばれていますが、唐の時代からは小戴礼が正統な経書となり、今日では礼記と言えば小戴礼のことをさします。戴徳と戴聖の功績によって、礼儀や典礼の制度が確立されたと言われ、このことからも礼記はとても重要な書と言えます。
詩経は、300首にも及ぶ詩が含まれ、内容に従って4つに分類された4部で成り立っています。この4種をそれぞれ国風(こくふう)、小雅(しょうが)、大雅(たいが)、頌(しょう)と呼びますが、三字経では略して国風、雅、頌の言葉で表現しています。詩経は、国風、小雅、大雅、頌の4部で構成されるため四詩と総称され、いずれも内容が豊かで情感にも溢れ、詠みがいのある味わい深い詩です。国風は庶民の現実の生活を反映した民謡で、小雅・大雅は共に周の王室や都の生活をうたった詩、頌は祭祀で祖先の功徳をたたえた詩です。周の王室や都の生活をうたった詩のうち、小雅は主に末世の流亡をうたい、大雅は宴会や祭礼のことをうたっています。この文では、書を通して礼儀や典礼を知るだけでなく、庶民の生活が現れた詩についてもしっかり読んでいくことが大切だと説いています。

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●30.史実から知識を得て善悪を区別せよ
【中国語】
诗既亡,春秋作。寓褒贬,别善恶。
【ピンイン(発音)】
诗既亡(shī jì wáng)
春秋作(chūn qiū zuò)
寓褒贬(yù bāo biǎn)
别善恶(bié shàn è)

【日本語】
詩既亡、春秋作。寓褒貶、別善悪。
【書き下し文(読み方)】
詩(し)すでに亡(ほろ)び
春秋(しゅんじゅう)作(おこ)る
褒貶(ほうへん)を寓(ぐう)し
善悪(ぜんあく)を別(わか)つ
【意味(翻訳)】
詩が消失すると、孔子は春秋を著作し、褒貶を含み善悪を区別した。
【語句補足】
(詩)>詩(は詩の簡体字)
<亡>消失する
<寓>包含する
<褒>表彰する、称賛する、賞賛する
(貶)>批評する、批判する、指摘して責める(は貶の簡体字)
<别>区別する、見分ける(别は別の簡体字)
<善(悪)>善悪(は悪の簡体字)

【解説(内容)】

六経のうちの1つである「春秋」について説明した文です。古代においては、詩歌によって生活上の習わしやしきたりを知り、それを施政の参考にすることで秩序が保たれていました。しかし、周王朝が衰退するとともに詩歌が失われるようになり、混沌とした世の中になって行ったことから、これを憂慮した孔子は「春秋」を著しました。孔子は、「春秋」の中で賞賛や批判を含んで史実を述べて善行と悪行をはっきりと区別し、これにより天下の秩序を維持しようとしました。春秋を読めば、当時の政治や一般の人々の生活状況を理解することができるだけでなく、古人の経験から得られた様々な知識をえることができると言えます。

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●31.解説書も大いに活用せよ
【中国語】
三传者,有公羊。有左氏,有谷梁。
【ピンイン(発音)】
三传者(sān zhuàn zhě)
有公羊(yǒu gōng yáng)
有左氏(yǒu zuǒ shì)
有谷梁(yǒu gǔ liáng)

【日本語】
三伝者、有公羊。有左氏、有穀梁。
【書き下し文(読み方)】
三伝(さんでん)は
公羊(くよう)有(あ)り
左氏(さし)有(あ)り
穀梁(こくりょう)有(あ)り
【意味(翻訳)】
春秋の注釈書である三伝は、春秋公羊伝、春秋左氏伝、春秋穀梁伝である。
【語句補足】
<三传(伝)>春秋の3種の注釈書(传は伝の簡体字)
<公羊>春秋公羊伝(春秋の注釈書の1つ)
<左氏>春秋左氏伝(春秋の注釈書の1つ)
<谷梁>春秋穀梁伝(春秋の注釈書の1つ)

【解説(内容)】

「春秋」の詳細を解説した注釈書について述べた文です。中国語の谷梁(gǔ liáng)は、穀梁(gǔ liáng)と書かれることもあります。
「春秋」は、言葉は簡潔なものの意義が深く簡単に理解できないため、”伝”と呼称される春秋の注釈書がいくつか生まれました。その注釈書の主要な三部が「春秋公羊伝」「春秋左氏伝」「春秋穀梁伝」のことです。”伝”は古代における文体の1つで、注釈書に用いられていました。「春秋公羊伝」は、公羊高の著と伝えられていて11巻で構成され、「春秋左氏伝」は、左丘明の著と伝えられていて30巻で構成され、「春秋穀梁伝」は、穀梁赤の著と伝えられていて12巻で構成されています。この文は、理解を助けるためには解説書も大いに活用すべきだとの意を持っています。

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●32.基礎や応用を習得したら専門分野も学べ
【中国語】
经既明,方读子。撮其要,记其事。
五子者,有荀扬。文中子,及老庄。

【ピンイン(発音)】
经既明(jīng jì míng)
方读子(fāng dú zǐ)
撮其要(cuō qí yào)
记其事(jì qí shì)
五子者(wǔ zǐ zhě)
有荀扬(yǒu xún yáng)
文中子(wén zhōng zǐ)
及老庄(jí lǎo zhuāng)

【日本語】
経既明、方読子。撮其要、記其事。
五子者、有荀揚。文中子、及老荘。
【書き下し文(読み方)】
経(けい)既(すで)に明(あき)らかにす
方(まさ)に子(し)を読(よ)み
その要(かなめ)を撮(と)り
その事(こと)を記(しる)す
五子(ごし)は
荀揚(じゅんよう)有(あ)り
文中子(ぶんちゅうし)
及(およ)び老荘(ろうそう)
【意味(翻訳)】
六経を読み極めたら、子部を読んでその要点を選び取ってしっかりと覚えておく。
五子とは、荀子(じゅんし)、揚子(ようし)、老子(ろうし)、荘子(そうし)、文中子(ぶんちゅうし)のことである。
【語句補足】
(経)>六経(りっけい)のこと(は経の簡体字)
<既>既に
<子>子部(しぶ)のこと(書物分類法の一つ)
(読)>読む(は読の簡体字)
<撮>選び取る、選択する
<要>要点、大切な箇所
(記)>しっかり記憶する、しっかりと覚えておく(は記の簡体字)
<五子>荀子(じゅんし)、揚子(ようし)、老子(ろうし)、荘子(そうし)、文中子(ぶんちゅうし)のこと
(揚)>揚子(ようし)のこと(は揚の簡体字)
<老庄(荘)>荘子(そうし)と文中子(ぶんちゅうし)のこと

【解説(内容)】

儒教の基本経典である六経をしっかりと学んだならば、子部を読んでその要点をおさえ、しっかり覚えていくことが大切だと説いています。子部とは、中国古典の書類を四つに分類した部の1つで、四部には経(けい)、史(し)、子(し)、集(しゅう)があります。それぞれの分類の概要を示すと下記の通りです。
・経部(経典)・・・儒家の経典とそれを読むための辞書
・史部(歴史)・・・地理・歴史・政治・経済関係の本、および書目
・子部(思想・技術)・・・理学書、農業書、芸術・宗教に関する書物
・集部(散文・詩集)・・・詩集や全集
子部は、経史集に入らないすべて書類を指し、丙部とも言われます。今日で言えば、いわゆる専門書に相当し、より具体的な学問への道を示していると言えます。子部は書物の性質上、内容が複雑で難解であるため、注意深く読んで本質を理解し、重要な部分は忘れないようにしっかり覚えることが大切だと説いています。
五子とは、荀子(じゅんし)、揚子(ようし)、老子(ろうし)、荘子(そうし)、文中子(ぶんちゅうし)の五人の思想家・学者のことで、子部に分類される様々な書物を記しています。荀子は、荀卿や孫卿とも尊称され、20巻32編からなる思想書「荀子」を書しています。揚子は、揚雄(ようゆう)の尊称で、「揚子法言」や「揚子方言」などを記しています。老子は、道徳経とも呼ばれる「老子」2巻を表しています。また、荘子は、荘周(そうしゅう)のことで、33編からなる思想書「荘子」を著わしています。更に、文中子とは王通(おうとう)の諡(おくりな)で、10巻からなる対話集「文中子」(「中説」とも呼ばれる)を作っています。
この文では、学ぶ書物を具体的に挙げていますが、趣旨としては、基礎や応用を習得したら次は専門分野もしっかり学んでいくべきだと示しています。

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第四部 史実から多くを学べ

●33.歴史書から国の興亡を学べ
【中国語】
经子通,读诸史。考世系,知终始。
自羲农,至黄帝。号三皇,居上世。

【ピンイン(発音)】
经子通(jīng zǐ tōng)
读诸史(tōng dú zhū shǐ)
考世系(kǎo shì xì)
知终始(zhī zhōng shǐ)
自羲农(zì xī nóng)
至黄帝(zhì huáng dì)
号三皇(hào sān huáng)
居上世(jū shàng shì)

【日本語】
経子通、読諸史。考世系、知終始。
自羲農、至黄帝。号三皇、居上世。
【書き下し文(読み方)】
経(けい)子(し)通(つう)じて
諸史(しょし)を読(よ)み
世系(せいけい)を考(かんが)へ
終始(しゅうし)を知(し)る
羲農(ぎのう)自(よ)り
黄帝(こうてい)に至(いた)るを
三皇(さんこう)と号(ごう)す
上世(じょうせい)に居(を)る
【意味(翻訳)】
六経や子部に通じたなら、諸々の歴史書を読むべきである。帝王の系統を考え、王朝の興国と衰退の歴史を知るのである。
伏羲と神農から黄帝に至る皇帝を三皇と号する。いずれも古代に居た名のある皇帝である。
【語句補足】
(経)>六経(りっけい)のこと(は経の簡体字)
<子>子部(しぶ)のこと(書物分類法の一つ)
(諸)史>各種歴史書(は諸の簡体字)
<世系>皇帝、王様、将軍、首相など君主国の最高統治者の系統
(終)始>終始は物事の始めと終わりの意、ここでは中国の代々の王朝の興国と衰退の歴史のこと(は終の簡体字)
<羲>中国の伝説上の皇帝「伏羲」(ふくぎ)のこと、三皇の一人で伏羲(ふっき)ともいう
(農)>中国の伝説上の皇帝「神農」(しんのう)のこと、三皇の一人で炎帝(えんてい)とも呼ばれる(は農の簡体字)
<三皇>中国の伝説上の三人の皇帝「伏羲」「神農」「黄帝」(こうてい)のこと
<上世>太古の昔の時代

【解説(内容)】

前の文では、六経を学んだ後に、子部を学ぶべきと、学問の順を示していましたが、ここでは更に学問が進んで六経と子部に通じるようになったら、色々な歴史を学ぶべきだと説いています。特に、代々の王朝の流れをよく考えて、なぜ国が栄え、また衰退してしまったのかをしっかり知り、歴史的な教訓を学ぶことこそ大切だとの意です。ここで挙げている「伏羲」「神農」「黄帝」は様々な政策を行った古代の皇帝ですが、いずれも民を思う心が強く、政策にも意欲的で高い統治能力があったからこそ、三皇と崇められるようになりました。三皇がなした善政によって国が栄えたことから、学ぶことが多くあると言えるでしょう。

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●34.有能な君主が国家を繁栄させる
【中国語】
唐有虞,号二帝。相揖逊,称盛世。
【ピンイン(発音)】
唐有虞(táng yǒu yú)
号二帝(hào èr dì)
相揖逊(xiāng yī xùn)
称盛世(chēng shèng shì)

【日本語】
唐有虞、号二帝。相揖遜、称盛世。
【書き下し文(読み方)】
唐(とう)有虞(ゆうぐ)
二帝(にてい)と号(ごう)す
あひ揖遜(ゆうそん)して
盛世(せいせい)と称(しょう)す
【意味(翻訳)】
陶唐氏と有虞氏を二帝と号する。それぞれ王位を譲って、盛世と称する平和な世をおさめた。
【語句補足】
<唐>五帝の一人「陶唐氏」(とうとうし)のこと、唐堯(とうぎょう)、堯(ぎょう)
<有虞>五帝の一人「有虞氏」(ゆうぐし)のこと、重華(ちょうか)、舜(しゅん)
<相>相互に
<揖(遜)>位をゆずる(は遜の簡体字)

【解説(内容)】

この文は、前掲の歴史的な教訓を学ぶ一例として、国家が繁栄した実例を挙げていると言えます。唐(とう)は、陶唐氏(とうとうし)のことで堯(ぎょう)と言われ、有虞(ゆうぐ)は、有虞氏(ゆうぐし)のことで舜(しゅん)と言われいます。尭は、後継者に自分の息子は相応しくないと考え、有能で徳のある舜に位を譲りました。その後、位を譲られた舜は、同じように功績のあった禹(う)に位を譲りました。このように、尭も舜も、国家の繁栄を第一に考えて譲位し、結果として平和で豊かな時代を築きました。このころから、古代における理想的な君主と考えられ、「堯舜の譲位」や「尭舜の治」と呼ばれる故事などに語りつがれています。世襲は国を衰退させ、逆に有能な君主こそが国家を繁栄させることを示しています。

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●35.民を思う善政が統治者の人徳を生む
【中国語】
夏有禹,商有汤。周文王,称三王。
【ピンイン(発音)】
夏有禹(xià yǒu yǔ)
商有汤(shāng yǒu tāng)
周文王(zhōu wén wáng)
称三王(chēng sān wáng)

【日本語】
夏有禹、商有湯。周文王、称三王。
【書き下し文(読み方)】
夏(か)に禹(う)有(あ)り
商(しょう)に湯(とう)有(あ)り
周(しゅう)の文王(ぶんおう)
三王(さんおう)と称(しょう)す
【意味(翻訳)】
夏王朝には禹王がいて、商王朝には湯王がいて、周王朝には文王がいた。これらを三王と称する。
【語句補足】
<夏>中国の最古の王朝、夏王朝
<禹>夏の国を治めた聖王
<商>中国古代の王朝、殷(いん)のこと、殷商ともいう
(湯)>殷(商)の初代の王(は湯の簡体字)
<周>中国古代の王朝
<文王>周王朝の君主
<三王>夏王朝の禹(う)王、商王朝の湯(とう)王、周王朝の文(ぶん)王の三人の称

【解説(内容)】

前掲に続いて、この文でも、国家が繁栄した実例を挙げています。三人とも中国古代の王朝を建国した時の王ですが、どの王も民を思って善政を心掛けた、能力のある人徳が高い君主でした。これによって夏、商、周の王朝の世は、とても繁栄した平和な時代となり、それぞれ数百年もの長い期間、国が続いたのでした。これらの王は、後世、その徳を称えられて三王と呼ばれ、また、これらの王朝を総称して三王朝と言うようになっています。ちなみに、原文の「周文王」は、「周武王」や「周文武」と書かれる場合もあります。これは、周が事実上は武王(文王の子)によって建国されたとする見方や、文王と武王の二人によって建国されたとの観点の違いによると言えます。

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●36.堕落して暴政を行えば国を亡ぼす
【中国語】
夏传子,家天下。四百载,迁夏社。
【ピンイン(発音)】
夏传子(xià chuán zǐ)
家天下(jiā tiān xià)
四百载(sì bǎi zǎi)
迁夏社(qiān xià shè)

【日本語】
夏伝子、家天下。四百載、遷夏社。
【書き下し文(読み方)】
夏(か)は子(こ)に伝(つた)へ
天下(てんか)を家(いへ)とす
四百載(しひゃくさい)
夏(か)の社(しゃ)を遷(うつ)す
【意味(翻訳)】
夏王朝は、王位を子孫に伝えて、一族が継いでいった。四百年経ち、夏の国を移すことになった。
【語句補足】
<夏>中国の最古の王朝、夏王朝
(伝)子>子孫に伝えること、ここでは息子に王位を継がせること(は伝の簡体字)
<家天下>一族が政権を継いでいくこと
(載)>年(は載の簡体字)
(遷)>変える、改める(は遷の簡体字)
<社>古代の皇帝が土地の神や五穀の神を崇拝した場所で、後に国家の代称として使われた

【解説(内容)】

夏王朝の初代の禹王は、王位を息子に譲り、それ以来、代々と一族が統治するようになりました。それから400年が経過し、暴政を行った17代目の桀(けつ)王の時、夏王朝は殷の湯王によって滅ぼされることになり、その支配が終わりました。善政によって栄えた国でも、統治者が堕落して独裁的な支配となれば終わりを告げる史実を挙げています。歴史から学ぶことの大切さを示す一例と言えます。

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●37.長い統治も悪政となれば国は亡びる
【中国語】
汤伐夏,国号商。六百载,至纣亡。
【ピンイン(発音)】
汤伐夏(tāng fá xià)
国号商(guó hào shāng)
六百载(liù bǎi zǎi)
至纣亡(zhì zhòu wáng)

【日本語】
湯伐夏、国号商。六百載、至紂亡。
【書き下し文(読み方)】
湯(とう)は夏(か)を伐(う)ち
国(くに)を商(しょう)と号(ごう)す
六百載(ろっぴゃくさい)
紂(ちゅう)に至(いた)りて亡(ほろ)ぶ
【意味(翻訳)】
湯王は朝王朝を亡ぼし新しい国を作って商と号した。商は六百年続いたが、紂王の時代になって亡んだ。
【語句補足】
(湯)>殷(商)の初代の王(は湯の簡体字)
<伐>討伐する、征伐する、兵をあげて討つ
<夏>中国の最古の王朝、夏王朝
<商>中国古代の王朝、殷(いん)のこと、殷商ともいう
(紂)>殷の末代の君主・紂王のこと(は紂の簡体字)
(載)>年(は載の簡体字)<br

【解説(内容)】

夏王朝の暴政を見て、湯王は兵をあげて夏王朝を討伐して、新たに建国して商(殷)王朝を作りました。その後、600年もの統治が続きましたが、最後の紂王の代に至って滅びました。紂王は、残忍かつ無道で、悪政によって民を苦しめた結果、ついには国を亡ぼすまでに至ったと言われています。これも歴史的な教訓と言えるでしょう。

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●38.仁政は国家を永続させる
【中国語】
周武王,始诛纣。八百载,最长久。
【ピンイン(発音)】
周武王(zhōu wǔ wáng)
始诛纣(shǐ zhū zhòu)
八百载(bā bǎi zǎi)
最长久(zuì cháng jiǔ)

【日本語】
周武王、始誅紂。八百載、最長久。
【書き下し文(読み方)】
周(しゅう)の武王(ぶおう)
始(はじ)めて紂(ちゅう)を誅(ちゅう)す
八百載(はっぴゃくさい)
最(もっと)も長久(ちょうきゅう)なり
【意味(翻訳)】
周王朝の武王は、殷の紂王を誅殺した。その後、周は八百年続き、我が国で最も長く続いた王朝となった。
【語句補足】
(誅)>殺す(は誅の簡体字)
(紂)>紂王のこと(は紂の簡体字)
(載)>年(は載の簡体字)
<最(長)久>周は中国の歴史上最も統治期間の長い王朝という意味(は長の簡体字)

【解説(内容)】

殷王朝(商王朝)の紂王は、放埓な生活を送り、民に対しては残忍で横暴でした。それを見て周王朝の武王は、殷を亡ぼすために兵をあげて紂王を誅殺し、父の文王と共に新しい周王朝を作りました。文王、武王は礼儀に厚く徳も優れていて、その精神が代々受け継がれた結果、800年という歴史上、最も長くつついた王朝となりました。こうした歴史から、仁政によって国は栄え、暴政によって国は亡びるという教訓を学ぶことができます。

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●39.堕落、衰微すると権威も統治力も低下する
【中国語】
周辙东,王纲坠。逞干戈,尚游说。
【ピンイン(発音)】
周辙东(zhōu zhé dōng)
王纲坠(wáng gāng zhuì)
逞干戈(chěng gān gē)
尚游说(shàng yóu shuì)

【日本語】
周轍東、王綱墜。逞干戈、尚遊説。
【書き下し文(読み方)】
周(しゅう)東(ひがし)に轍(てつ)し
王綱(おうこう)墜(お)ちぬ
干戈(かんか)を逞(たくま)しくし
尚(な)ほ遊説(ゆうぜい)す
【意味(翻訳)】
周王朝は都を東の洛陽に移し、権威・統治力は落ちて行った。戦争で武力を誇示し、そのうえ遊説が盛んになった。
【語句補足】
(轍)>本来は車輪の跡や車の通った痕跡のこと、ここでは移転の意味(は轍の簡体字)
(東)>東の方角を表す、具体的には洛陽のこと(はの簡体字)
<王(綱)>王朝の法律と規律(は綱の簡体字)
(墜)>堕落する(は墜の簡体字)
<逞>見せびらかす、ひけらかす、誇示する、見せつける
<干戈>本来は武器のこと、ここでは戦争の意味
游说(遊説)>口実を利用して自分の主張を認めさせること(游说は遊説の簡体字)

【解説(内容)】

周は、第13代目の平王の時(紀元前771年)に、東遷して都を鎬京(こうけい)から洛陽(らくよう)に移しました。この頃から、王朝は衰微して統治がきかなくなり、諸侯が戦争を起こすようになって、道徳が重んじられなくなりもっぱら雄弁が盛んになって行き、ここから春秋戦国時代に入って行きました。周の歴史は、統治者が堕落、衰微すると権威が低下して統治力も落ちる例を表していると言えます。ちなみに、原文の「周辙东(轍東)」の代わりに「周道衰」と書いて、周は道徳や道義が衰えて行ったことを表現することがありますが、周王朝が衰退して行く姿を表す意味では同じです。

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●40.道義が廃れると世は乱れる
【中国語】
始春秋,终战国。五霸强,七雄出。
【ピンイン(発音)】
始春秋(shǐ chūn qiū)
终战国(zhōng zhàn guó)
五霸强(wǔ bà qiáng)
七雄出(qī xióng chū)

【日本語】
始春秋、終戦国。五霸強、七雄出。
【書き下し文(読み方)】
春秋(しゅんじゅう)に始(はじ)まり
戦国(せんごく)に終(をは)る
五霸(ごは)は強(つよ)く
七雄(しちゆう)は出(い)づる
【意味(翻訳)】
東周は春秋時代に始まり戦国時代に終わる。春秋時代には五人の強き覇者がいて、戦国時代には七つの国が抜きん出ていた。
【語句補足】
(終)>終わる(は終の簡体字)
(戦)国>戦国(は戦の簡体字)
(強)>強い(は強の簡体字)
<五霸>春秋時代における齐(斉)の桓公、宋の襄公、晋の文公、秦の穆公、楚の庄(荘)王の五人の覇者
<七雄>戦国時代における齐(斉・せい)、楚(そ)、燕(えん)、韩(韓・かん)、赵(趙・ちょう)、魏(ぎ)、秦(しん)の七強国

【解説(内容)】

都を洛陽に移した後の周を東周と言いますが、東周は大きく春秋時代と戦国時代に分けられます。春秋時代には、五覇と呼ばれる五人の強気覇者が台頭し、戦国時代には七雄と呼ばれる七つの国が抜きん出ていました。これら七つの国は互いに武力で攻撃する争いの絶えない時代でした。道義が廃れると秩序がなくなり、世も乱れてしまうという歴史的な教訓と言えます。

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●41.無理で急な体制変化は混乱を招く
【中国語】
嬴秦氏,始兼并。传二世,楚汉争。
【ピンイン(発音)】
嬴秦氏(yíng qín shì)
始兼并(shǐ jiān bìng)
传二世(chuán èr shì)
楚汉争(chǔ hàn zhēng)

【日本語】
嬴秦氏、始兼并。伝二世、楚漢争。
【書き下し文(読み方)】
嬴秦氏(えいしんし)
始(はじ)めて兼(か)ね并(あは)す
二世(にせい)に伝(つた)へ
楚(そ)漢(かん)争(あらそ)ふ
【意味(翻訳)】
始皇帝は始めて諸国を統一した。息子に皇帝を継がせたが直ぐに混沌となり、楚と漢が争う世の中になった。
【語句補足】
<嬴>始皇帝の姓(苗字)
<兼并>合併する、統一する
(伝)>ここでは継承するの意味(は伝の簡体字)
<二世>始皇帝の息子「胡亥」のこと
(漢)>前漢の初代皇帝「劉邦」(りゅうほう)のこと(は漢の簡体字)
<楚>西楚の覇王である項羽(こうう)のこと

【解説(内容)】

戦国時代の末期に、始皇帝「嬴政」が他の六か国を合併して統一し、秦王朝を樹立しました。2代目の胡亥の時代になると直ぐに世の中は乱れ始めて、西楚の覇王である項羽と後に前漢の皇帝となった劉邦が天下を争うようになりました。始皇帝は、中央集権国家の体制を整え、万里の長城を築き度量衡や貨幣の統一するなど多くの事績がありますが、急激な拡大や強圧的な政治によって民は苦しみ、結果として王朝が亡びることに繋がったと言われています。この時代からも、歴史的に学ぶ教訓が多くあります。

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●42.縁戚が王位を奪うのは世の常
【中国語】
高祖兴,汉业建。至孝平,王莽篡。
【ピンイン(発音)】
高祖兴(gāo zǔ xīng)
汉业建(hàn yè jiàn)
至孝平(zhì xiào pÍng)
王莽篡(wáng mǎng cuàn)

【日本語】
高祖興、漢業建。至孝平、王莽簒。
【書き下し文(読み方)】
高祖(こうそ)興(おこ)りて
漢(かん)業(ぎょう)建(た)つ
孝平(こうへい)に至(いた)りて
王莽(おうもう)簒(うば)ふ
【意味(翻訳)】
高祖が国を興して漢王朝を作った。その後、漢王朝は孝平皇帝の代に至ると、王莽(おうもう)が王位を奪って新たに新王朝を作った。
【語句補足】
<高祖>漢の高祖「劉邦」のこと
(興)>興す(は興の簡体字)
(漢)>漢王朝(は漢の簡体字)
(業)>王朝のなした事業を指す(は業の簡体字)
<孝平>漢の「孝平」皇帝のこと
<王莽>元帝(げんてい)の皇后(成帝の母)の甥
(簒)>王位を奪う(は簒の簡体字)

【解説(内容)】

漢の高祖である「劉邦」は、項羽を破って漢王朝を開き、漢高祖と尊称されるようになりました。漢も十五代目の孝平皇帝の時代になると、外戚にあたる王莽(おうもう)が王位を奪って新王朝を作りました。王莽は、第十代の元帝(げんてい)の皇后(=第十一代成帝(せいてい)の母)の甥にあたります。歴史上、縁戚が王位を奪うのは常ですが、これはその典型例と言えます。新王朝は長く続かず直ぐに亡びましたが、歴史上は新王朝以前を前漢、以降を後漢と呼称しています。

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●43.経済が混乱すれば世は乱れる
【中国語】
光武兴,为东汉。四百年,终于献。
【ピンイン(発音)】
光武兴(guāng wǔ xīng)
为东汉(wéi dōng hàn)
四百年(sì bǎi nián)
终于献(zhōng yú xiàn)

【日本語】
光武興、為東漢。四百年、終於献。
【書き下し文(読み方)】
光武(こうぶ)興(おこ)りて
東漢(とうかん)と為(な)す
四百年(しひゃくねん)
献(けん)に終(おは)る
【意味(翻訳)】
漢の光武帝が国を再興して後漢を作った。前漢と後漢は合わせて四百年続いたが、最期、献帝の代に至って亡んだ。
【語句補足】
<光武>漢の光武帝「劉秀」のこと
(興)>興す(は興の簡体字)
(為)>~とする(は為の簡体字)
东汉(東漢)>後漢のこと(东汉は東漢の簡体字)
(終)>国が亡ぶ(は終の簡体字)
(於)>~において(は於の簡体字)
<献>漢の末代の皇帝「献帝」のこと

【解説(内容)】

新王朝は、物価統制を徹底したため、経済が混乱して反乱を招く結果となりました。漢の光武帝「劉秀」は、新王朝になってから世の中が混乱している姿を見て挙兵を決意しました。劉秀は、長安を制圧して王莽を倒し、国名を漢に戻しました。その後、漢王朝は400年続きましたが、献帝の代に至って亡んでしまいました。新王朝が直ぐに滅んだのは、経済が混乱して世が乱れたことによりますが、このことから経済を安定させることの重要さが分かります。

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●44.三国時代から多くを学べ
【中国語】
魏蜀吴,争汉鼎。号三国,迄两晋。
【ピンイン(発音)】
魏蜀吴(wèi shǔ wú)
争汉鼎(zhēng hàn dǐng)
号三国(hào sān guó)
迄两晋(qì liǎng jìn)

【日本語】
魏蜀呉、争漢鼎。号三国、迄両晋。
【書き下し文(読み方)】
魏(ぎ)蜀(しょく)呉(ご)
漢鼎(かんてい)を争(あらそ)ふ
三国(さんごく)と号(ごう)し
両晋(りょうしん)に迄(いた)る
【意味(翻訳)】
魏蜀呉は、漢王朝の王位を争った。これらの時代を三国と呼び、その後、西晋・東晋の時代に至った。
【語句補足】
(呉)>呉の国(は呉の簡体字であり旧字)
(漢)>漢王朝(は漢の簡体字)
<鼎>もとは金属製の器のことで祭器や礼器とされたことから王位の象徴の意となった
<号>~と称する
<迄>至る
(両)>ふたつ(は両の簡体字であり旧字)

【解説(内容)】

漢王朝の末期は混沌となり、魏呉蜀の三国が天下を争う時代になりました。この時期を、三国時代と呼び、豪族の勢力の進展も著しく、争いが続く時代となりました。その後、魏が西晋にかわって天下を統一し、再興された東晋と共に晋の時代に移って行きます。争いが多く続いた三国時代からは、非常に多くのことを学べると言われています。

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●45.南北朝時代の動乱の原因を見よ
【中国語】
宋齐继,梁陈承。为南朝,都金陵。
北元魏,分东西。宇文周,与高齐。

【ピンイン(発音)】
宋齐继(sòng qí jì)
梁陈承(liáng chén chéng)
为南朝(wéi nán cháo)
都金陵(dū jīn líng)
北元魏(běi yuán wèi)
分东西(fēn dōng xī)
宇文周(yǔ wén zhōu)
与高齐(yǔ gāo qí)

【日本語】
宋斉継、梁陳承。為南朝、都金陵。
北元魏、分東西。宇文周、与高斉。
【書き下し文(読み方)】
宋(そう)斉(せい)継(つ)ぎ
梁(りょう)陳(ちん)承(う)く
南朝(なんちょう)と為(な)し
金陵(きんりょう)に都(みやこ)す
北元魏(ほくげんぎ)
東西(とうざい)に分(わ)かつ
宇文(うぶん)周(しゅう)と
高(こう)斉(せい)と
【意味(翻訳)】
宋王朝、斉王朝、梁王朝、陳王朝と続いた時代を南朝と呼び、金陵を都においていた。
北魏は、東魏と西魏の東西に分かれて、宇文覚の建国した北周と高洋の建国した北斉になった。
【語句補足】
<宋>宋(そう)王朝
(斉)>斉(せい)王朝(は斉の簡体字)
(継)>延長継続する(は継の簡体字)
<梁>梁(りょう)王朝
(陳)>陳(ちん)王朝(は陳の簡体字)
<承>受け継ぐ
(為)>~とする(は為の簡体字)
<都>都(みやこ)、首都、ここでは都を定める意
<金陵>現在の南京を指す
<元魏>北魏のこと
(東)西>東魏と西魏(は東の簡体字)
<宇文>北周の第1代皇帝である宇文覚(うぶんかく)のこと
<周>北周(ほくしゅう)王朝
<高>北斉の第1代皇帝である高洋(こうよう)のこと
(斉)>北斉(ほくせい)王朝(は斉の簡体字)

【解説(内容)】

この文では、南北朝時代について説明しています。南朝には、宋、斉、梁、陳の王朝が現れましたが、いずれの王朝もとても短期間でした。これら4つの王朝を総称して南朝と呼び、いずれも同じ場所(金陵)を都としていました。北朝には、北魏(元魏ともいう)が現れましたが、その後、東魏と西魏に分かれました。西魏の宇文泰は、子である宇文覚に帝位を譲り、宇文覚は北周朝を建て、高洋(こうよう)は孝静帝から位を譲り受けて北斉王朝を建てました。このように、南北朝時代は、南朝には宋、斉、梁、陳の四王朝が、北朝には北魏、東魏、西魏、北周、北斉の五王朝が短期間に入れ替わっていった動乱の時代でした。動乱が続いたからこそ学べることは多くあります。

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●46.天下を治めても暴政になればすぐ亡びる
【中国語】
迨至隋,一土宇。不再传,失统绪。
【ピンイン(発音)】
迨至隋(dài zhì suí)
一土宇(yì tǔ yǔ)
不再传(bú zài chuán)
失统绪(shī tǒng xù)

【日本語】
迨至隋、一土宇。不再伝、失統緒。
【書き下し文(読み方)】
隋(ずい)に至(いた)り迨(およ)び
土宇(どう)一(いつ)となる
再(ふたた)び伝(つた)はらず
統緒(とうしょ)を失(うしな)ふ
【意味(翻訳)】
隋の時代になってようやく天下が統一されたが、再び伝わることはなく帝王の家系が失われた。
【語句補足】
<迨>~になって、~に及んで
<土宇>土地家屋、ここでは天下の意
(伝)>伝わる(は伝の簡体字)
统绪(統緒)>皇室の家系(统绪は統緒の簡体字)

【解説(内容)】

争いと混乱の絶えない南北朝時代が続いていましたが、隋の初代皇帝「楊堅」(ようけん)が隋王朝を開いたことで、天下が統一されました。しかし、二代目の煬帝(ようだい)の時代になると、暴政を行うようになり隋は直ぐに滅んでしまいました。天下を治めても暴政になればすぐに亡びてしまう例えと言えます。

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●47.正義こそが新たな国を生む
【中国語】
唐高祖,起义师。除隋乱,创国基。
【ピンイン(発音)】
唐高祖(táng gāo zǔ)
起义师(qǐ yì shī)
除隋乱(chú suí luàn)
创国基(chuàng guó jī)

【日本語】
唐高祖、起義師。除隋乱、創国基。
【書き下し文(読み方)】
唐(とう)の高祖(こうそ)
義師(ぎし)を起(お)こし
隋(ずい)の乱(らん)を除(じょ)し
国基(こくき)を創(はじ)む
【意味(翻訳)】
唐の高祖である李淵(りえん)は、義兵を動員して隋の混乱を除いて平定し、国の基を創りました。
【語句補足】
<唐高祖>唐の初代皇帝である李淵(りえん)
<起>動員する、動かす
义师(義師)>正義のために戦う軍隊(义师は義師の簡体字)
<除>平定する
(創)>創る(は創の簡体字)

【解説(内容)】

隋の末期は、煬帝の悪政により乱れた世の中でしたが、唐の高祖となった李淵が正義のために戦う軍隊を結成・動員して、反乱する隋の軍を次々と破って天下を取り、唐を建国して、唐王朝の国家基盤を築きました。隋が亡び唐王朝が生まれた歴史は、腐敗した国は正義によって新たな国として生まれ変わる実例といえます。

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●48.時代について行かねば衰退する
【中国語】
二十传,三百载。梁灭之,国乃改。
【ピンイン(発音)】
二十传(èr shí chuán)
三百载(sān bǎi zǎi)
梁灭之(liáng miè zhī)
国乃改(guó nǎi gǎi)

【日本語】
二十伝、三百載。梁滅之、国乃改。
【書き下し文(読み方)】
二十(にじゅう)伝(つた)はり
三百載(さんびゃくさい)
梁(りょう)之(これ)を滅(ほろ)ぼし
国(くに)乃(すなは)ち改(あらた)まる
【意味(翻訳)】
唐王朝は、二十代に渡って伝わり三百年続いた。その後、梁が唐を滅ぼし、国名が改まった。
【語句補足】
<二十(伝)>伝える(は伝の簡体字)
(載)>年(は載の簡体字)
(滅)>滅ぼす(は滅の簡体字)
<之>ここでは唐王朝のこと
<国>国の称号、国名
<乃>そこで、それで、ここにおいて

【解説(内容)】

唐王朝は、皇帝が20代に渡って受け継がれ、約300年近く続いた国でした。唐は、色々な制度を取り入れ、国土も拡大して大きく発展することができましたが、時の流れの中で次第に衰退して行きました。途上、安史の乱など色々な問題が起きたものの、300年もの長きに渡って続いた歴史からは学ぶことが多くあります。どんなに長い政権でも、時代について行かねばいずれは衰退してしまうと言えます。

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●49.五代からは国の興亡盛衰の因を多く学べる
【中国語】
梁唐晋,及汉周。称五代,皆有由。
梁唐晋、及漢周。称五代、皆有由。

【ピンイン(発音)】
梁唐晋(liáng táng jìn)
及汉周(jí hàn zhōu)
称五代(chēng wǔ dài)
皆有由(jiē yǒu yóu)

【日本語】
梁唐晋、及漢周。称五代、皆有由。
【書き下し文(読み方)】
梁(りょう)唐(とう)晋(しん)
及(およ)び漢(かん)周(しゅう)
五代(ごだい)と称(しょう)す
皆(みな)由(よし)有(あ)り
【意味(翻訳)】
後梁、後唐、後晋、及び後漢、後周を五代と称する。これらの王朝の興亡には全て原因があった。
【語句補足】
<梁>後梁のこと
<唐>後唐のこと
<晋>後晋のこと
(漢)>後漢(東漢)のこと(は漢の簡体字)
<周>後周のこと
<皆>全て
<由>原因

【解説(内容)】

907年(天祐4年)から960年(建隆1年)までの期間に興亡した後梁、後唐、後晋、後漢、後周の王朝を五代といいます。いずれの王朝名にも「後」の漢字を付けているのは、この時代以前にも梁、唐、晋、漢、周と称する国があり、これらと区別するためです。いずれの王朝も短期間で、とても混乱した時代でしたが、それぞれの王朝の興亡や盛衰には全て原因がありましたので、これらの歴史から学ぶ要素はとても多いと言えます。

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●50.侵略性の高い隣国があると国は動乱する
【中国語】
炎宋兴,受周禅。十八传,南北混。
ピンイン(発音)】
炎宋兴(yán sòng xīng)
受周禅(shòu zhōu shàn)
十八传(shí bā chuán)
南北混(nán běi hùn)

【日本語】
炎宋興、受周禅。十八伝、南北混。
【書き下し文(読み方)】
炎宋(えんそう)興(おこ)り
周(しゅう)の禅(ゆずり)を受(う)く
十八(じゅうはち)伝(つた)はる
南北(なんぼく)混(こん)ず
【意味(翻訳)】
後周から皇帝の位を譲り受けて宋王朝が生まれた。宋王朝は南宋と北宋とを合わせて18代に渡って継続したが、争いの絶えぬ混沌とした時代であった。
【語句補足】
<炎宋>趙匡胤(赵匡胤・ちょうきょういん)が建国した宋王朝
(興)>興す(は興の簡体字)
<禅>天子が位を有徳者に譲ること
(伝)>伝わる(はの簡体字)
<混>混戦する

【解説(内容)】

後周の末期、皇帝は位を譲り宋王朝が生まれました。宋王朝は北宋と南宋の2つの時代に分かれたものの合わせて18代の皇帝まで続きました。しかし宋王朝は、北方からの侵攻が何度もあって争いが絶えず、結果的に南進を余儀なくされた混沌とした時代でした。侵略性の高い隣国があると国は動乱する例と言えます。冒頭の炎宋(そうえん)とは、伝統的な五行の学説で宋王朝が火の徳を表すことから、一般に、宋王朝を炎宋(そうえん)と呼んでいたからです。書物によっては、最初の三文字「炎宋兴(炎宋興)」を「赵宋兴(趙宋興)」と記す場合もあります。これは、建国した赵匡胤(趙匡胤)の名を用いた表現で、同じく宋王朝を表します。

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●51.統治者が複数だと国は穏やかにならない
【中国語】
辽与金,皆称帝。元灭金,绝宋世。
【ピンイン(発音)】
辽与金(liáo yǔ jīn)
皆称帝(jiē chēng dì)
元灭金(yuán miè jīn)
绝宋世(jué sòng shì)

【日本語】
遼与金、皆称帝。元滅金、絶宋世。
【書き下し文(読み方)】
遼(りょう)と金(きん)
皆(みな)帝(てい)と称(しょう)す
元(げん)は金(きん)を滅(ほろ)ぼし
宋(そう)の世(よ)絶(た)へぬ
【意味(翻訳)】
遼王朝も金王朝もみな皇帝を名乗っていた。その後、モンゴルは金を滅ぼして宋の時代は終わった。
【語句補足】
<辽(遼)>遼王朝(辽は遼の簡体字)
<金>金王朝
<元>蒙古(モンゴル)のこと
<灭(滅)>滅ぼす(灭は滅の簡体字)
<绝(絶)>絶滅、消滅(绝は絶の簡体字)

【解説(内容)】

宋の時代には、満州や華北地方に遼王朝や金王朝が併存する時期がありました。金王朝も遼王朝も独自の国家を立ててそれぞれ皇帝を名乗っていて、南下を余儀なくされた南宋王朝と共に混沌とした時代でした。統治する者が複数いると国は穏やかにならない典型例と言えます。その後、1125年に遼は金に滅ぼされ、その金も1234年に新興モンゴルの侵略によって滅ぼされ、最後、南宋王朝も1279年にモンゴルの侵入を受けて亡び、宋の時代は終わりました。

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●52.王位継承の争いは大国をも亡ぼす
【中国語】
莅中国,兼戎狄。九十年,国祚废。
【ピンイン(発音)】
莅中国(lì zhōng guó)
兼戎狄(jiān róng dí)
九十年(jiǔ shí nián)
国祚废(guó zuò fèi)

【日本語】
莅中国、兼戎狄。九十年、国祚廃。
【書き下し文(読み方)】
中国(ちゅうごく)に莅(のぞ)み
戎狄(じゅうてき)を兼(か)ぬ
九十年(きゅうじゅうねん)
国祚(こくそ)廃(はい)す
【意味(翻訳)】
元は、中国に至る地域を含み、西方から北方を合併統一した。元は九十年続いたが、帝王の位は廃れてしまった。
【語句補足】
<莅>~に臨む、~まで、~に到る
<兼>合併する、統一する
<戎>古代の西方の民族の名称
<狄>古代の北方の民族の名称
<祚>帝王の位
(廃)>廃れる(は廃の簡体字)

【解説(内容)】

元は、南宋を征服するだけでなく、満州やチベットを含む西方、北方も併合し、更に地域を拡大して東アジアをほぼ統一する史上空前の大帝国を築きました。しかし、皇位継承争いなどによって国が乱れて帝王の位は廃れてしまい、建国から90年後には明により滅ぼされてしまいました。どんなに勢力を持つ大きな国でも、王位継承の争いが起きれば国は滅んでしまう例といえます。なお、この文は、当時の日本には伝わっていなかった部分に当たりますが、中国には上記と違う表現をしている三字経がいくつもあります。例えば、莅中国を并中国(併中国)と書いて、中国中央を併合した意味を表したり、最後の国祚废返沙碛(返沙磧)と書いて元の砂漠に戻ってしまったと言う意味で表現したり、最初の六字(莅中国、兼戎狄)を舆图广(輿図広)、超前代と書いて、地図(領土の意)を拡大して前代未聞の大帝国を築いたと表現するなどです。

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●53.統治には経済力も必要
【中国語】
太祖兴,国大明。号洪武,都金陵。
【ピンイン(発音)】
太祖兴(tài zǔ xīng)
国大明(guó dà míng)
号洪武(hào hóng wǔ)
都金陵(dū jīn líng)

【日本語】
太祖興、国大明。号洪武、都金陵。
【書き下し文(読み方)】
太祖(たいそ)興(おこ)り
国(くに)大(だい)なる明(みん)
洪武(こうぶ)と号(ごう)し
金陵(きんりょう)に都(みやこ)す
【意味(翻訳)】
明の皇帝は国を興して大国・明を築いた。年号を洪武と名付け、都を金陵においた。
【語句補足】
<太祖>明の皇帝「朱元璋」のこと、洪武帝(こうぶてい)とも呼称
(興)>興す(は興の簡体字)
<明>明王朝
<洪武>明の太祖の時代の年号名
<都>都(みやこ)、首都、ここでは都を定める意
<金陵>現在の南京を指す

【解説(内容)】

明王朝を開いた朱元璋(しゅげんしょう)は、もとは貧しい農家の生まれでしたが、そこから身を起こして頭角を現し、経済力を基盤に各地の群雄をくだして行きました。その後、勢力を拡大して明王朝を立て、モンゴルを駆逐して再び漢民族王朝として中国を統一することになりました。この史実は、統治するには経済力も必要であることを物語っています。

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●54.過酷な徴税は民生を破壊し亡国を招く
【中国語】
迨成祖,迁燕京。十七世,至崇祯。
【ピンイン(発音)】
迨成祖(dài chéng zǔ)
迁燕京(qiān yān jīng)
十七世(shí qī shì)
至崇祯(zhì chóng zhēn)

【日本語】
迨成祖、遷燕京。十六世、至崇禎。
【書き下し文(読み方)】
成祖(せいそ)迨(およ)び
燕京(えんきょう)に遷(うつ)る
十七世(じゅうしちせい)
崇禎(すうてい)に至(いた)る
【意味(翻訳)】
明は、第三代皇帝「成祖」の代に至り、都を金陵(南京)から燕京(北京)に遷した。その後、明朝は十七代の崇禎(すうてい)まで続いた。
【語句補足】
<迨>(ある時まで)至る、及ぶ
<成祖>明王朝の第3代皇帝「朱棣(しゅてい)」のこと
<燕京>現在の北京
(遷)>遷す、ここでは遷都を意味する(は遷の簡体字)
<崇(禎)>明王朝の末代の皇帝(は禎の簡体字)

【解説(内容)】

明王朝は、建国時には都を南京においていましたが、第三代皇帝に至ると都を北京に遷しました。その後、明は最盛期を迎えますが、時代を経るごとに衰退して行き、十七代の崇禎の時代についに滅んでしまいました。過酷な徴税が民生を崩壊させて、暴動や反乱が拡大したことが滅んだ原因でした。ちなみに、明王朝の皇帝は十六代までと解釈する場合があり、この文の中の十七世を十六世と書く書物もあります。

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●55.臣下が力を持ちすぎると国は乱れる
【中国語】
权阉肆,寇如林。至李闯,神器焚。
【ピンイン(発音)】
权阉肆(quán yān sì)
寇如林(kòu rú lín)
至李闯(zhì lǐ chuǎng)
神器焚(shén qì fén)

【日本語】
権閹肆、寇如林。至李闖、神器焚。
【書き下し文(読み方)】
権閹(けんえん)肆(し)なり
寇(こう)林(りん)の如(ごと)し
李闖(りちん)に至(いた)り
神器(しんき)焚(や)く
【意味(翻訳)】
権閹(けんえん)が横行して、賊が林のように無数集まり、李闖(りちん)に至って政権が潰えた。
【語句補足】
权阉(権閹)>大きな権力を得た宦官(かんがん)のこと(权阉は権閹の簡体字)
<肆>大胆にも勝手気ままである
<寇>賊、侵略者
<李(闖)>明朝を滅ぼした反乱軍の首領、李自成(りじせい)、自らを闖王と称した(は闖の簡体字)
<神器>祭祀に用いる器、転じて国家政権を指す

【解説(内容)】

明王朝の末期には、官廷に仕えていた者が大きな権力を持って横行し、悪政が世の中を乱して行きました。その結果、民は苦しんで各地で暴動を起こすようになり、反乱軍の指導者として李自成(りじせい)が立ち上がると北京を攻略して、明の末代皇帝を自殺に追い込み、明王朝を滅ぼしました。この歴史は、臣下が力を持ちすぎると国は乱れる例と言えます。

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●56.民衆を思う心が世を平定できる
【中国語】
清太祖,膺景命。靖四方,克大定。
【ピンイン(発音)】
清太祖(qīng tài zǔ)
膺景命(yīng jǐng mìng)
靖四方(jìng sì fāng)
克大定(kè dà dìng)

【日本語】
清太祖、膺景命。靖四方、克大定。
【書き下し文(読み方)】
清太祖(しんたいそ)
景命(けいめい)を膺(う)け
四方(しほう)を靖(やすん)じ
克(よ)く大(おお)いに定(さだ)む
【意味(翻訳)】
清王朝の初代皇帝は、重大な責務を背負い、四方を平定して、安定した世の中にした。
【語句補足】
<清太祖>清王朝の初代皇帝アイシンギョロ・ヌルハチ
<膺>担う、背負う、引き受ける
<景命>重大な責任
<靖>平定する
<克>~し得る、~できる

【解説(内容)】

清王朝の初代皇帝ヌルハチ(努尔哈赤)は、使命感に立って、各地の混乱を鎮めて民衆が安定した生活を送れるように世の中を平定し、統一多民族国家の実現を成し遂げました。民衆を思う心が、強い使命感となって世を平定した例と言えます。ヌルハチは奴儿哈赤とも書き、姓をアイシンギョロ(爱新觉罗、愛新覚羅)、又はあいしんかくらと言います。国号を清王朝に改めたのはヌルハチの子であるホンタイジの時でしたが、清朝の基礎を樹立したのはヌルハチでした。

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●57.全ての歴史は歴史書から学べる
【中国語】
廿二史,全在兹。载治乱,知兴衰。
【ピンイン(発音)】
廿二史(niàn èr shǐ)
全在兹(quán zài zī)
载治乱(zǎi zhì luàn)
知兴衰(zhī xīng shuāi)

【日本語】
廿二史、全在茲。載治乱、知興衰。
【書き下し文(読み方)】
廿二史(にじゅうにし)
全(まった)く茲(ここ)に在(あ)り
治乱(ちらん)を載(の)せ
興衰(こうすい)を知(し)る
【意味(翻訳)】
二十二史は全てここにある。治乱の歴史を掲載していて、興隆と衰微のいわれを知ることができる。
【語句補足】
<兹>ここ、ここに
(載)>記載する、記録する(は載の簡体字)
(興)>興隆(は興の簡体字)
<衰>衰微

【解説(内容)】

中華民族の古来からの22の王朝の歴史は、全て歴史書の中に記録されています。これらの歴史書をしっかりと読み学べば、国の繁栄や衰退の原因を知ることができ、多くの教訓を得ることが可能です。二十二史とは、史記、漢書、後漢書(続漢書)、三国志、晋書、宋書、南斉書、梁書、陳書、魏書、北斉書、周書、隋書、南史、北史、唐書、新五代史、宋史、遼史、金史、元史、明史のことです。しかし現在、正史と言われる正統と認められている歴史書は、二十二史に旧唐書、旧五代史を加えた二十四史で、二十二史と表現しても実際は二十四史と解釈する場合があります。最初の三字「廿二史」を「十七史」と書く三字経もありますが、これは、宋王朝より前の時代を表現した場合です。

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●58.歴史は事実の見極めと本質の理解が大事
【中国語】
读史者,考实录。通古今,若亲目。
【ピンイン(発音)】
读史者(dú shǐ zhě)
考实录(kǎo shí lù)
通古今(tōng gǔ jīn)
若亲目(ruò qīn mù)

【日本語】
読史者、考実録。通古今、若親目。
【書き下し文(読み方)】
史(し)を読(よ)む者(もの)
実録(じつろく)を考(かんが)へ
古今(ここん)に通(つう)じ
親目(しんもく)するが若(ごと)し
【意味(翻訳)】
史書を読む者は、史実をよく調査・研究して、あたかも目の当たりにするかのように古今をしっかり理解するのである。
【語句補足】
(読)>読む(は読の簡体字)
<考>研究する、調査する
实录(実録)>事実の記録、実録(实录は実録の簡体字)
<通>よく分かる、理解する、掌握する、マスターする
(親)目>自分の目で、目の当たりに(は親の簡体字)
<若>ちょうど~のようである

【解説(内容)】

歴史書を読むに当たっては、関連する資料も併せて調査して事実を分析し、あたかもその場にいて目の前で歴史的な出来事が起きているかのように感じるくらい徹底的に理解を深めることが大切だと説いています。歴史からその本質を学び取ることが、それだけ重要だと言えます。

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第五部 勉学に励むあるべき姿勢

●59.書物は、声を出してよく思索しながら読むべし
【中国語】
口而诵,心而惟。朝于斯,夕于斯。
【ピンイン(発音)】
口而诵(kǒu ér sòng)
心而惟(xīn ér wéi)
朝于斯(zhāo yú sī)
夕于斯(xī yú sī)

【日本語】
口而誦、心而惟。朝於斯、夕於斯。
【書き下し文(読み方)】
口(くち)にして誦(しょう)し
心(こころ)にして惟(おも)ひ
朝(あさ)も斯(ここ)に於(おひ)てし
夕(ゆふ)も斯(ここ)に於(おひ)てす
【意味(翻訳)】
史書を読む時は、しっかり声を出して、深く考えながら読む。朝も夜も絶え間なく励むのである。
【語句補足】
(誦)>声を出して読む(は誦の簡体字)
<惟>深く考える、思考する、思い巡らす
(於)>~において(は於の簡体字)
<斯>ここ、ここに

【解説(内容)】

この文では、書物、特に歴史書を学ぶ場合の心得を説いています。読むに当たっては、きちんと声を出しながら読む、そして思いを巡らせながら読むことの大切さを示しています。書物を読む時に声を出すのは、黙読するよりも吸収できるからです。また、漠然と何も考えずに読んでいると、本の内容を深く理解することができません。声を出して、心の中で繰り返し考えながら読み進めることで、より多くの知識をえることができます。また、このような取り組みを、朝に夕に継続することも大切です。学習を成功させ、知識を深めるためには、辛抱強く努力を重ねることが重要です。

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●60.若輩からも習い、職についても学び続ける
【中国語】
昔仲尼,师项橐。古圣贤,尚勤学。
赵中令,读鲁论。彼既仕,学且勤。

【ピンイン(発音)】
昔仲尼(xī zhòng ní)
师项橐(shī xiàng tuó)
古圣贤(gǔ shèng xián)
尚勤学(shàng qín xué)
赵中令(zhào zhōng lìng)
读鲁论(dú lǔ lún)
彼既仕(bǐ jì shì)
学且勤(xué qiě qín)

【日本語】
昔仲尼、師項橐。古聖賢、尚勤学。
趙中令、読魯論。彼既仕、学且勤。
【書き下し文(読み方)】
昔(むかし)仲尼(ちゅうじ)は
項橐(こうたく)を師(し)とす
古(いにしへ)の聖賢(せいけん)
尚(な)ほ勤学(きんがく)す
趙中令(ちょうちゅうれい)は
魯論(ろろん)を読(よ)む
彼(かれ)すでに仕(つか)へ
学(まな)びかつ勤(つと)む
【意味(翻訳)】
むかし孔子は、神童である項橐を師とした。古の聖賢ですらこのように学問につとめ励んでいた。
北宋の趙普は、いつも論語を読み学んでいた。趙普はこの時すでに高官として仕えていたが、よく学びよく勤めていた。
【語句補足】
<仲尼>孔子のこと、孔子は名が丘(きゅう)で字(あざな)が仲尼(ちゅうじ)
(師)>~を師とする(は師の簡体字)
(項)橐>孔子が出会った神童の名(はの簡体字)
圣贤(聖賢)>聖人と賢人、知識や人格にすぐれた者(圣贤は聖賢の簡体字)
<尚>なお、さえ、すら
(趙)中令>北宋朝の功臣「趙普(ちょうふ)」のこと、趙普は宰相もつとめた(は趙の簡体字)
(読)>読む(は読の簡体字)
鲁论(魯論)>ここでは論語を指す(鲁论は魯論の簡体字)
<既>既に
<仕>役人になる、官途につく

【解説(内容)】

聖賢と言われる孔子は、自分の知識に満足することなく、若輩の子供すら師匠とするくらい学ぶことを忘れなかったと言われています。また、北宋の趙普は、役人として既に高い位で勤めていましたが、いつも論語を読んで学ぶことを止めませんでした。役人としての務めを果たす一方で、勉学もおろそかにせずしっかり励んでいましたが、それは宰相をつとめる立場になっても続けていたそうです。この文では、まだまだ学ぶことが沢山あるとの謙虚さと、忙しい中でも常に学び続けることが大切だと教えてくれています。

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●61.学問の習得は、強い意志や姿勢こそ重要
【中国語】
批蒲编,削竹简。彼无书,且知勉。
【ピンイン(発音)】
批蒲编(pī pú biān)
削竹简(xiāo zhú jiǎn)
彼无书(bǐ wú shū)
且知勉(qiě zhī miǎn)

【日本語】
批蒲編、削竹簡。彼無書、且知勉。
【書き下し文(読み方)】
蒲編(ほへん)に批(ふ)れ
竹簡(ちくかん)を削(けづ)る
彼(かれ)書(しょ)無(な)きも
かつ勉(つと)むるを知(し)る
【意味(翻訳)】
前漢の路温舒は、書を写したガマに目を通して学び、同じく前漢の公孫弘(こうそんこう)は竹簡(ちくかん)に文字を削り打ちして学んだ。彼らは、書物を持っていなかったが、学ぶことをよく知っていた。
【語句補足】
<批>めくって目を通す、調べて見る、書物を見る
<蒲(編)>ガマで作られた書(は編の簡体字)
<竹(簡)>紙の発明以前に用いられた中国古代の書写材料(は簡の簡体字)
(無)>無い(は無の簡体字)
(書)>書物(は書の簡体字)

【解説(内容)】

前漢の路温舒は、ガマ(蒲草)を用いた敷物に文字を写して、常に目を通して学んでいました。また、前漢の公孫弘(こうそんこう)は、竹簡(ちくかん)に春秋(書物)の文字を削り遷して勉強をしていました。二人とも、貧しくて本を買うお金すらありませんでしたが、しっかり勉強することの大切さを弁えていました。結果として、二人とも後に大きく出世することになりました。この文は、学習の環境や条件を言い訳にせず、学ぼうとする強い意志や姿勢を持つことが大事であることを説いています。

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●62.学ぶのには苦労を惜しまず、また工夫もせよ
【中国語】
头悬梁,锥刺股。彼不教,自勤苦。
【ピンイン(発音)】
头悬梁(tóu xuán liáng)
锥刺股(zhuī cì gǔ)
彼不教(bǐ bú jiào)
自勤苦(zì qín kǔ)

【日本語】
頭懸梁、錐刺股。彼不教、自勤苦。
【書き下し文(読み方)】
頭(こうべ)を梁(はり)に懸(か)け
錐(きり)を股(もも)に刺(さ)す
彼(かれ)教(をし)へざれど
自(みずか)ら勤苦(きんく)す
【意味(翻訳)】
孫敬は、書を学ぶ時に居眠りをしないように梁に髪を縛っていた。蘇秦は、勉強中に眠くなるとキリで自分の太ももを刺した。彼らは、誰から教えられた訳でもなく、自ら苦労に耐えながら勉学に励んでいたのである。
【語句補足】
(頭)>あたま(は頭の簡体字)
(懸)>吊り下げる、吊るす、掛ける(は懸の簡体字)
<梁>家屋のはり、うつばり
(錐)>きり(は錐の簡体字)
<股>太もも
<勤苦>苦労しながらつとめ励む。苦労に耐えて努力する。

【解説(内容)】

孫敬は、書を読み学んでいる時に、ウトウトと眠ってしまわないように、髪に縄を縛り家屋の梁に結び付けていました。また、戦国時代に名を残した蘇秦は、学んでいる時に眠気を覚ますために自らの太ももにキリを刺して、勉強を続けていました。二人とも、誰かに教えられた訳ではありませんが、学問を進めるためにはこのようなことをしてまで自らを奮い立たせていました。二人とも、毎日、遅くまで勉強していたからこそ疲れや眠気に襲われていた訳ですが、その壁を乗り越えるためには、苦労を惜しみませんでした。この文は、学問を志す姿勢のあり方を示しています。

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●63.学習環境や時間のなさを言い訳にするな
【中国語】
如囊萤,如映雪。家虽贫,学不辍。
如负薪,如挂角。身虽劳,犹苦卓。

【ピンイン(発音)】
如囊萤(rú náng yíng)
如映雪(rú yìng xuě)
家虽贫(jiā suī pín)
学不辍(xué bú chuò)
如负薪(rú fù xīn)
如挂角(rú guà jiǎo)
身虽劳(shēn suī láo)
犹苦卓(yóu kǔ zhuó)

【日本語】
如嚢蛍、如映雪。家雖貧、学不輟。
如負薪、如挂角。身雖労、猶苦卓。
【書き下し文(読み方)】
如(も)しくは蛍(ほたる)を嚢(ふくろ)にし
如(も)しくは雪(ゆき)に映(えい)ず
家(いへ)は貧(まづ)しと雖(いへど)も
学(まな)びて輟(や)めず
如(も)しくは薪(たきぎ)を負(お)ひ
如(も)しくは角(つの)に挂(か)く
身(み)は労(ろう)すと雖(いへど)も
猶(な)ほ卓(たか)きを苦(つと)む
【意味(翻訳)】
晋の車胤(しゃいん)は、袋に入れた蛍の微光で書物を読み、同じく晋の孫康(そんこう)は雪明りで本を読んで勉強していた。家は貧しく照明を灯すお金すらなかったが、学ぶことを止めなかった。
前漢の朱買臣(しゅばいしん)は、薪を背負いながら読書に励み、隋末の李密(りみつ)は、牛に乗る時に角に書物を掛けて読んでいた。身体は疲れようとも、上を目指して苦労を厭わず寸暇を惜しんで勉学に励んだ。
【語句補足】
<囊(蛍)>蛍を袋へ詰め込む、囊は元は袋の意だがここでは物を詰め込む意味(は蛍の簡体字)
(雖)>~だけれど、たとえ~でも(は雖の簡体字)
(貧)>貧しい(は貧の簡体字)
(輟)>停止する、中断する、止める(は輟の簡体字)
(負)>物を担ぐ(は負の簡体字)
<薪>たきぎ
<挂角>書物を角に掛ける、ここでの角は牛の角のこと
(労)>つかれる(は労の簡体字)
(猶)>なお(は猶の簡体字)
<卓>非凡で優秀

【解説(内容)】

「蛍雪の功」という成句や、蛍窓雪案(けいそうせつあん)という故事にもなっていますが、晋の車胤(しゃいん)は蛍の光で、同じく晋の孫康(そんこう)は雪明りで勉強していました。二人は家がとても貧乏で、部屋を灯すための油も買えない程でしたが、厳しい環境を言い訳にすることなく学ぶことを続け、出世して官吏や学者になりました。
前漢の朱買臣(しゅばいしん)は、薪を売って生計を立てていましたが、薪を背負って運ぶ時に常に読書に励んでいました。また、隋末の李密(りみつ)は、牛に乗っている際、いつも角に書物を掛けて読んでいました。二人は共に苦労をしながらも勉学に励んだ結果、歴史に名を残す優れた人物になりました。
これら四人の故事は、厳しい環境や困難な状況下でもねばり強く勉強に励むことや、限られた時間であろうと志を持ち続けて一生懸命学ぶことなど、学問を修めるための心得や姿勢などを教えてくれています。

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●64.若いころから学ばねば必ず後悔
【中国語】
苏老泉,二十七。始发愤,读书籍。
彼既老,犹悔迟。尔小生,宜早思。

【ピンイン(発音)】
苏老泉(sū lǎo quán)
二十七(èr shí qī)
始发愤(shǐ fā fèn)
读书籍(dú shū jí)
彼既老(bǐ jì lǎo)
犹悔迟(yóu huǐ chí )
尔小生(ěr xiǎo shēng)
宜早思(yí zǎo sī)

【日本語】
蘇老泉、二十七。始発憤、読書籍。
彼既老、猶悔遅。爾小生、宜早思。
【書き下し文(読み方)】
蘇老泉(そろうせん)は
二十七(にじゅうしち)に
始(はじ)めて発憤(はっぷん)し
書籍(しょせき)を読(よ)む
彼(かれ)既(すで)に老(お)いて
猶(な)ほ遅(おそ)きを悔(く)ゆ
爾(なんじ)小生(しょうせい)
宜(よろ)しく早(はや)く思(おも)ふべし
【意味(翻訳)】
北宋の蘇老泉(そろうせん)は27歳になって初めて学問を志す決心をして書物を読むようになった。彼は、既に年を取って学び始めるのが遅くなったことを悔いた。あなたたちは、若いうちにしっかり学ぶことを肝に銘ずべきである。
【語句補足】
(蘇)老泉>蘇洵(そじゅん)のこと、北宋の有名な文章家(は蘇の簡体字)
发愤(発憤)>固く決心する、気持ちを奮い起こす(发愤は発憤の簡体字)
(書)籍>本、書物(は書の簡体字)
(猶)>なお(は猶の簡体字)
(遅)>遅いこと(は遅の簡体字)
(爾)>あなたたち(は爾の簡体字)
<宜>~すべきである

【解説(内容)】

有名な文章家として名を残した北宋の蘇老泉(そろうせん)は、若い頃には遊びに夢中で学ぶことをしませんでしたが、27歳の時に試験に不合格となった失敗を機に、猛勉強をする決意をして必死に学問に励み、最後は文学の道で成功をおさめることができました。彼は、晩年の努力によって道を切り開くことができましたが、若い頃に勉強しなかったことを非常に悔やみました。若い時こそ吸収力があって学ぶための絶好の機会ですから、将来後悔しないように、若いうちからしっかり勉強するべきとの教訓を説いています。

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●65.老いても学問の志を強く持て、若ければなおさら
【中国語】
若梁灏,八十二。对大廷,魁多士。
彼既成,众称异。尔小生,宜立志。

【ピンイン(発音)】
若梁灏(ruò liáng hào)
八十二(bā shí èr)
对大廷(duì dà tíng)
魁多士(kuí duō shì)
彼既成(bǐ jì chéng)
众称异(zhòng chēng yì)
尔小生(ěr xiǎo shēng)
宜立志(yí lì zhì)

【日本語】
若梁灝、八十二。対大廷、魁多士。
彼既成、衆称異。爾小生、宜立志。
【書き下し文(読み方)】
梁灝(りょうこう)の若(ごと)きは
八十二(はちじゅうに)にして
大廷(たいてい)に対(たい)し
多士(たし)に魁(かい)たり
彼(かれ)既(すで)に成(な)り
衆(しゅう)異(あや)しみ称(しょう)す
爾(なんじ)小生(しょうせい)
宜(よろ)しく志(こころざし)を立(た)つべし
【意味(翻訳)】
宋の時代の梁灝(りょうこう)は、八十二歳で肯定の宮殿にて見事なうけ答えをして大勢の中の首席となった。彼が成功する姿を見て、大衆は驚きの中にもほめたたえた。あなたたちも、このように学問への強い志をもつべきである。
【語句補足】
<若>~の場合は、~に関しては
<梁(灝)>人名(は灝の簡体字)
(対)>応対する、うけ答える(は対の簡体字)
<大廷>皇帝の宮殿を指す
<魁>科挙の試験の第一の名、ここでは首席(トップ)の意
<多士>多くのすぐれた人物
<成>成功する
(衆)>人々、大勢の人(は衆の簡体字)
<称(異)>驚き不思議に思う、ここではほめたたえる意(は異の簡体字)
(爾)>あなたたち(は爾の簡体字)

【解説(内容)】

宋の時代、梁灝(りょうこう)は、八十二歳で科挙の試験に合格し、宮殿での皇帝からの試問に流ちょうに答え、大勢の中で断然トップの成績をおさめました。梁灝のように高齢となった者が、このように成功をおさめた姿を見て、人々は驚くと同時に学問に励んだ彼をほめたたえました。この文は、梁灝の故事をもとに、若い人はなおさら奮い立って志を持ち、学問に努力を重ねるべきだとの教訓を説いています。

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●66.小さいうちにしっかり学べば立派になれる
【中国語】
莹八岁,能咏诗。泌七岁,能赋棋。
彼颖悟,人称奇。尔幼学,当效之。

【ピンイン(発音)】
莹八岁(yíng bā suì)
能咏诗(néng yǒng shī)
泌七岁(mì qī suì)
能赋棋(néng fù qí)
彼颖悟(bǐ yǐng wù)
人称奇(rén chēng qí)
尔幼学(ěr yòu xué)
当效之(dāng xiào zhī)

【日本語】
瑩八歳、能詠詩。泌七歳、能賦棋。
彼穎悟、人称奇。爾幼学、当效之。
【書き下し文(読み方)】
瑩(えい)は八歳(はっさい)にして
能(よ)く詩(し)を詠(えい)じ
泌(ひつ)は七歳(しちさい)にして
能(よ)く棋(き)を賦(ふ)す
彼(かれ)は穎悟(えいご)にして
人(ひと)奇(き)と称(しょう)す
爾(なんじ)幼学(ようがく)
当(まさ)に之(これ)に效(なら)ふべし
【意味(翻訳)】
北斉の祖瑩は八歳で詩を詠むことができ、唐の李泌は七歳で囲碁の詩を作った。彼らはとても賢く人々はその奇才をたたえた。あなたちも、幼くして学ぶことを彼らに倣わなければいけない。
【語句補足】
(瑩)>北斉の時代の祖瑩(は瑩の簡体字)
(歳)>年齢を表す歳(は歳の簡体字)
<咏>詠む(中国語で咏と詠は同様の使い方)
(詩)>詩(は詩の簡体字)
<泌>唐の時代の李泌
(賦)棋>囲碁を内容とした詩を作る、賦は古代の文体の1つ(は賦の簡体字)
(穎)悟>才知がすぐれ悟りの早いこと、非常に賢いこと(は穎の簡体字)
(爾)>あなたたち(は爾の簡体字)
<效>まねる

【解説(内容)】

八歳で詩を詠むことができた祖瑩は、若くして朝廷に仕えて出世し、大きな業績を残したと言われています。七歳で皇帝の前で詩を作った李泌も、同じく大成しています。若いうちからしっかり学んだからこそ立派になることができた彼らを見習って、小さいうちから一生懸命に学ぶことが大切だと説いています。

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●67.女性にも才能ある者がたくさんいる
【中国語】
蔡文姬,能辨琴。谢道韫,能咏吟。
【ピンイン(発音)】
蔡文姬(cài wén jī)
能辨琴(néng biàn qín)
谢道韫(xiè dào yùn)
能咏吟(néng yǒng yín)

【日本語】
蔡文姫、能弁琴。謝道韞、能詠吟。
【書き下し文(読み方)】
蔡文姫(さいぶんき)は
能(よ)く琴(こと)を弁(べん)じ
謝道韞(しゃどうおん)は
能(よ)く詠吟(えいぎん)す
【意味(翻訳)】
後漢末期の蔡文姫(さいぶんき)は琴の音を聞き分けることができた。東晋の謝道韞(しゃどうおん)は詩を詠むことができた。
【語句補足】
<蔡文(姫)>後漢の文人・学者「蔡邕(さいよう)」の娘(は姫の簡体字)
(弁)琴>琴の音を識別する(は弁の簡体字かつ異体字)
(謝)道韫(韞)>東晋の政治家「謝安(しゃあん)」の姪(は謝の、韫は韞の簡体字)
<咏(詠)吟>詩を作る、詩を詠む(中国語で咏と詠は同様の使い方)

【解説(内容)】

蔡文姫(さいぶんき)の父、蔡邕(さいよう)は琴の名手としても有名で、よく琴を弾いていました。ある時、琴の弦が切れてしまいましたが、音色をそばで聞いていた娘は、どの弦が切れてしまったかを当てることができたそうです。また、謝道韞(しゃどうおん)はとても頭がよくて才能があり、若くしてうまく詩を詠むことができたそうです。この文では、女性にも古代から才能のある者がいた例を示しています。

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●68.男子たる者、勉学に強く励め
【中国語】
彼女子,且聪敏。尔男子,当自警。
【ピンイン(発音)】
彼女子(bǐ nǚ zǐ)
且聪敏(qiě cōng mǐn)
尔男子(ěr nán zǐ)
当自警(dāng zì jǐng)

【日本語】
彼女子、且聡敏。爾男子、当自警。
【書き下し文(読み方)】
彼(かれ)は女子(じょし)にして
かつ聡敏(そうびん)
爾(なんじ)男子(だんし)
当(まさ)に自(みずか)ら警(いまし)むべし
【意味(翻訳)】
かれらは女性であり、しかも賢くて頭の切れもよかった。あなたたち男子は自ら気を引き締めて勤勉、努力すべきである。
【語句補足】
<且>なおかつ、その上
(聡)敏>聡明鋭敏であること、明敏(は聡の簡体字)
(爾)>あなたたち(は爾の簡体字)
<警>警戒をする、用心深くする

【解説(内容)】

この文は、前の文を受けた内容になっています。蔡文姫(さいぶんき)や謝道韞(しゃどうおん)は、女性でありながら才能がありとても聡明でしたが、男子たる者は、これらの姿を見て奮い立ち、油断することなく学問に努めるべきだとの戒めを説いています。現代では、男性と女性を差別するような一面を持つ表現ですが、古代から男性中心の社会が続いて来た経緯の中で自然と生まれた文と言えます。

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●69.幼少から学べば若輩でも活躍できる
【中国語】
唐刘晏,方七岁。举神童,作正字。彼虽幼,身已仕。尔幼学,勉而致。有为者,亦若是。
【ピンイン(発音)】
唐刘晏(táng liú yàn)
方七岁(fāng qī suì)
举神童(jǔ shén tóng)
作正字(zuò zhèng zì)
彼虽幼(bǐ suī yòu)
身已仕(shēn yǐ shì)
尔幼学(ěr yòu xué)
勉而致(miǎn ér zhì)
有为者(yǒu wéi zhě)
亦若是(yì ruò shì)

【日本語】
唐劉晏、方七歳。挙神童、作正字。
彼雖幼、身已仕。爾幼学、勉而致。有為者、亦若是。
【書き下し文(読み方)】
唐(とう)の劉晏(りゅうあん)
七歳(しちさい)に方(あた)りて
神童(しんどう)に挙(あ)げられ
正字(せいじ)と作(な)る
彼(かれ)は幼(よう)と雖(いへど)も
身(み)はすでに仕(つか)ふ
爾(なんじ)幼学(ようがく)
勉(つと)めて致(いた)せ
為(な)すこと有(あ)る者(もの)
亦(ま)た是(この)若(ごと)し
【意味(翻訳)】
唐の劉晏は、ちょうど七歳のとき、神童として官職に推薦されて文字を校正する官途についた。
彼は幼かったが、すでに役人として仕えた。あなたちも幼い時から学問に力を尽くせ。 役に立つ人間になろうとするなら、かくのごとくあるべきだ。
【語句補足】
(劉)晏>唐の政治家、財務官僚として活躍した(は劉の簡体字)
<方>ちょうど
(歳)>年齢を表す歳(は歳の簡体字)
(挙)>推薦する、推挙する、公認する(は挙の簡体字)
<正字>古代の官職名の1つで文字の校正を主務としていた
(雖)>~だけれど、たとえ~でも(は雖の簡体字)
<仕>役人になる、官途につく、官職を担当する
(爾)>あなたたち(は爾の簡体字)
(為)>なす(は為の簡体字)
<若是>かくのとおり、かくのごとく

【解説(内容)】

唐の劉晏は、生まれつき才能がありましたが、その上、幼少からしっかりと学問に励んでいました。わずか七歳の時に神童として認められ、玄宗皇帝は彼を正字と呼ばれる官職名に抜擢しました。まだまだ幼い劉晏でしたが、与えられた重責を全うして、しっかりと任務を果たし、大きな成功をおさめました。彼のような立派な人物になろうとするならば、若い頃からしっかりと学問に励むことが大切だとの教訓を説いています。

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第六部 学ぶからこそ未来が開ける

●70.学ぶことこそ人の役割を果たすこと
【中国語】
犬守夜,鸡司晨。苟不学,曷为人。
【ピンイン(発音)】
犬守夜(quǎn shǒu yè)
鸡司晨(jī sī chén)
苟不学(gǒu bù xué)
曷为人(hé wéi rén)

【日本語】
犬守夜、鶏司晨。苟不学、曷為人。
【書き下し文(読み方)】
犬(いぬ)は夜(よ)を守(まも)り
鶏(にわとり)は晨(とき)を司(つかさど)る
苟(いやし)くも学(まな)ばずんば
曷(なん)ぞ人(ひと)と為(な)さん
【意味(翻訳)】
犬は夜間に家を守ってくれ、鷄は夜が明けた時を告げてくれる。いやしくも学ぶことがなければ、どうして人と言えようか。
【語句補足】
(鶏)>にわとり(は鶏の簡体字)
<司>管理する、役目としてそのことに当たる
<苟>もし、かりにも~ならば、いやしくも~ならば
<曷>なぜ~しようか、どうして~しようか
(為)>なす(は為の簡体字)

【解説(内容)】

犬は、夜に我々の家を守ってくれますし、鷄は大きな鳴き声で人々に夜が明けたことを教えてくれます。犬や鶏もそれぞれの役割を果たし、私たちの生活を助けてくれていますが、万物の霊長たる我々人間が学びもせず、ただぼんやり生きていたら、果たして人と呼ばれる資格があるだろうかと、怠ることなくしっかり学ぶことの大切さを教えてくれています。

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●71.自らの価値を実現するために学問に励め
【中国語】
蚕吐丝,蜂酿蜜。人不学,不如物。
【ピンイン(発音)】
蚕吐丝(cán tǔ sī)
蜂酿蜜(fēng niàng mì)
人不学(rén bù xué)
不如物(bù rú wù)

【日本語】
蚕吐糸、蜂醸蜜。人不学、不如物。
【書き下し文(読み方)】
蚕(かひこ)は糸(いと)を吐(は)き
蜂(はち)は蜜(みつ)を醸(かも)す
人(ひと)学(まな)ばずんば
物(もの)に如(し)かず
【意味(翻訳)】
蚕は糸をはくことができ、蜂は花から蜜を集めて蜂蜜を生み出すことができる。人が学ばないのであれば、これら小さな生き物にも劣ってしまう。
【語句補足】
(糸)>蚕がはく糸(は糸の簡体字)
(醸)>蜜蜂が花の蜜をとって密を作る(は醸の簡体字)
<物>ここでは小さな生き物を指す

【解説(内容)】

蚕は糸をはくことができ、蜂は蜜を集めて蜂蜜を生み出すことができます。これらの生き物の活動は自分の価値を実現している姿と言えますが、同時に、絹糸として人間の衣服の材料としての価値を生み、また、人間の食用のハチミツとして役だってもいます。人として生まれたなら、自らの価値を実現するために勉強に励むべきで、それでこそ社会に役立つことができます。この文では、小動物を例にあげ、人間は学ぶために生まれ、学んでこそ自らの価値を実現できると、学問に励むことの大事を教えてくれています。

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●72.社会で活躍できるかは若いうちの勉強による
【中国語】
幼而学,壮而行。上致君,下泽民。
【ピンイン(発音)】
幼而学(yòu ér xué)
壮而行(zhuàng ér xíng)
上致君(shàng zhì jūn)
下泽民(xià zé mín)

【日本語】
幼而学、壮而行。上致君、下沢民。
【書き下し文(読み方)】
幼(よう)にして学(まな)び
壮(そう)にして行(おこな)ふ
上(かみ)は君(きみ)を致(いた)し
下(しも)は民(たみ)を沢(うるほ)し
【意味(翻訳)】
幼いときにしっかり学び、壮年となったら仕事を務める。そして、上には諸侯と天子の補佐となり、下には国民を幸せにするのである。
【語句補足】
<行>行動する、勤める、仕事をする
<致君>諸侯と天子を補佐する
(沢)民>人民を幸せにする、庶民に幸福をもたらす、(沢)は恵みを与える意(は沢の簡体字)

【解説(内容)】

若い頃にどれだけ勉強するかが、大人になって活躍できるかどうかの鍵です。若い頃にしっかり学問に励めば、自身の能力を磨くことができ、統治者に対しては補佐する力を発揮し、国民に対しては豊かで幸せな暮らしを与えます。この文は、中国の長い王朝支配の中で生まれた君主制を背景とした表現ですが、社会人として活躍できるかどうか、社会に貢献できるかどうか、と言う意味で学ぶべき教訓と言えます。

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●73.名声を得れば回りを幸せにできる
【中国語】
扬名声,显父母。光于前,裕于后。
【ピンイン(発音)】
扬名声(yáng míng shēng)
显父母(xiǎn fù mǔ)
光于前(guāng yú qián)
裕于后(yù yú hòu)

【日本語】
揚名声、顕父母。光於前、裕於後。
【書き下し文(読み方)】
名声(めいせい)を揚(あ)げ
父母(ふぼ)を顕(あらは)し
前(まへ)を光(かがや)かし
後(あと)を裕(ゆたか)にす
【意味(翻訳)】
名声をあげて、父母を顕し、先祖を輝かしくして、子孫を幸せにする。
【語句補足】
(揚)>堂々と世にあらわす(は揚の簡体字)
(顕)>人の目にはっきり映るようにする(は顕の簡体字)
<光>輝かしい
(於)>~を(は於の簡体字)
<前>祖先
<裕>幸福にする、幸せにする
(後)>子孫(は後の簡体字)

【解説(内容)】

この文は、「若い時に勉学に励めば、大人になって活躍できる」ことを示した前の文と繋げて解釈できます。従って、前の文と合わせた24字を1つとする書物もありますが、ここでは12字ずつを分けています。この文では、社会で立派に活躍すれば、自身が名声を挙げるだけでなく、親も褒め称えられることを示しています。そしてそれは更に、先祖の栄光を増すことにも、子孫を幸せにつながることも説明しています。自らが努力して評価されるようになれば、それは単に個人の成功だけではなく、一族の誇りや繁栄にもつながることを示し、個々が努力することを促していると言えます。

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●74.子には知識という財産を残せ
【中国語】
人遗子,金满籝。我教子,惟一经
【ピンイン(発音)】
人遗子(rén yí zǐ)
金满籝(jīn mǎn yíng)
我教子(wǒ jiào zǐ)
惟一经(wéi yì jīng)

【日本語】
人遺子、金満籝。我教子、惟一経。
【書き下し文(読み方)】
人(ひと)は子(こ)に遺(のこ)すに
金(きん)満(み)つる籝(えい)
我(われ)は子(こ)に教(をし)ふるに
ただ一経(いっきょう)のみ
【意味(翻訳)】
人は子に金がいっぱいの籠を残すが、私が子に教えるのは三字経のみである。
【語句補足】
(遺)>残す、残しておく(は遺の簡体字)
(満)>満ちている、いっぱいである(は満の簡体字)
<籝>竹の籠
<惟>ただ~、~のみ、~ばかり
(経)>ここでは三字経を指す(は経の簡体字)

【解説(内容)】

多くの人は、我が子が可愛いから多くの財産を残そうとするものですが、この文では、それよりも人間として自ら未来を切り開く力強い人間に育つために、知識を豊かにして才能を磨かせることが大切だと説いています。つまり、知識と言う財産は、物理的な財産よりも価値があることを示しています。そのために、この三字経から多くを学び取るべきとして、三字経を締めくくる表現になっています。なお、「一経」を三字経ではなく、経書(けいしょ)などの書物と解釈する場合もあります。

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●75.学問に精進すれば成果に結びつく
【中国語】
勤有功,戏无益。戒之哉,宜勉力。
【ピンイン(発音)】
勤有功(qín yǒu gōng)
戏无益(xì wú yì)
戒之哉(jiè zhī zāi)
宜勉力(yí miǎn lì)

【日本語】
勤有功、戯無益。戒之哉、宜勉力。
【書き下し文(読み方)】
勤(つと)むれば功(こう)有(あ)り
戯(たはむ)るれば益(えき)無(な)し
これを戒(いまし)めよ
宜(よろ)しく勉力(べんりょく)すべし
【意味(翻訳)】
精を出して学べば成果に結びつくが、遊んで怠けていれば得るものはない。このことをよくよく胆に銘じ、精を出し努力するのがよい。
【語句補足】
<功>成果、実り
(戯)>遊び戯れる(は戯の簡体字)
(無)>無い(は無の簡体字)
<益>益するところ、恩恵
<戒>心掛ける、気を付ける
<勉力>精を出し努力する

【解説(内容)】

これは、三字経の一番最後の文で、真面目に学問に励むことを促しています。1つ前の文で、知識こそ財産である旨が示されていますが、それを受け、最後の教訓としてまとめています。たとえ、良い書物があったとしても、最後は本人が学ばない限り学問は進みませんので、成功するためには、遊び戯れることなく勉学に精進すべきことを強く促して文を結んでいます。三字経では、学問の基本や学ぶ順序、学ぶ姿勢など様々なことを教えてくれていますが、何よりも学問に励むことこそ大切と言えます。

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