長野に引っ越してきた頃、期待していたことのひとつに、夜空の星がきれいに見えることがありました。
というのも、小学生の頃、母の実家があった長野県中野市に泊まりに行く機会が何度もあって、そこでは、当時住んでいた東京では決して見ることができない、非常に数多くの星を見ることができていたからです。
空気がきれいで、街の灯りの少ない長野へ行けば、「きっと当時のようなきれいな星空を、そして天の川を眺めることができる」との期待があったのです。
期待を大きくした幼少の経験
そしてそこには、その期待を、更に大きくしていた要因が別にあったのです。
それは、小学校時代、千葉県の太平洋沿岸付近へ旅行へ行った時に見た、私の脳裏に強烈に焼き付いている無数の星々が輝く光景です。
その光景は、単に天の川がハッキリと見えるだけではなく、夜空にこれほどの星があったのか、と思うほど多くの星が夜空一面を覆っているようで、まるでそれらの星々が降り注いでくるかのような感覚を味わったものでした。
事実、1分ほど夜空を見上げていると、1つや2つの流れ星が必ず観測できるくらいで、あまりにも衝撃的な星空は、何年も経過した今日でも、決して忘れるものではありません。
1分も見上げていれば、必ず流れ星を見られるなんて、実際に見たことの無い人にとっては、信じられないような星空かも知れません。
期待外れの星空
そんな記憶があったので、長野へ行けば、あの時と同じ星空をきっと見ることができる、との期待は非常に大きかったのですが、結果は見事に裏切られたものでした。
夜空を見上げても、その光景は、小学生の頃、東京で見た夜空とあまり変わらない、むしろ少し悪いくらいなのです。
あの星空は、いったいどこへ行ってしまったのか、と残念でなりませんでした。
そして、もう少し郊外へ行って、空気の澄んでいる日ならきっと違うはずだ、見られるハズだ、との期待を持って、かつて母の実家があった地へも赴いたのですが、そこには、かつて見たような夜空はありませんでした。
とても悲しい思いが込み上げてきました。
なんで、こんなになってしまったのか…少し落胆にも似た気持ちがして、そんなにも街の灯りが多くなってしまったのか、そんなにも空気が汚染されてしまったのか、と嘆くような思いが湧いてきました。
空気が澄んでいるのは事実だが
辺りを見れば、確かに街の灯りは気になりますが、街から離れればそれなりに暗いですし、空気は明らかに東京なんかよりも澄んでいて、きれいなことを実感持てます。かつての状況と、いったい何が違うのだろうと頭から離れない状態でした。
そんなある日、同じ職場の人が、南極についてのテレビ番組を見たことを話題にしていて、「空気が本当に澄んでいる南極では、温度が氷点下であっても、吐く息の色は白くならないんだ」と話していたのです。
「えっ?そうなの」と、初めて聞く話に、ちょっとびっくりした私は、さっそく調べてみたのでした。
そもそも、吐く息が白く見えるのは、体温と外気温との温度差によって、吐く息に含まれる水蒸気が急に冷えて、水蒸気が水滴に変化して白く見えるとのことで、気温が低いほど、そして、湿度が高いほど、より白く見えるとのことでした。
そして、南極については、空気がとても澄んでいて、空気中にチリなどの不純物がほどんど存在しないので、水蒸気がチリなどにくっつくことができず、その結果、水滴になれず、白くは見えないということです。
吐く息については、今まであまり考えたこともなく、調べてみて「そうなのか」という感じでした。
実は、長野は東京より、吐く息があまり白くならないことに気づいていたのですが、改めて考えてみると、温度は長野の方が寒く、湿度は長野の方が高いので、本来ならば東京より白くなるはずなのに、逆に薄くなっているってことは、それだけ長野の方が空気が澄んでいるってことなんですね。
しかしながら、南極に比べれば全然、空気が澄んでいないってことで、やはり、これがひとつの要因ではないかと思いました。
将来に期待
それならば、空気中の不純物の影響がより小さい、標高が高い山間部へ行けば、街の光の影響が少ないことも手伝って、きっときれいな星空を見られるハズだと思い、もっと調べてみました。
すると、志賀高原あたりでは空気の澄んでいる時には見られるそうです。
今度、いずれ機会を作って絶対見に行こうと決意したところで、もし、見ることができたら、必ず記事に書きます。
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