中国語の「看」は日本語の「看」とニュアンスが違う。

日本語にも中国語にも「看」と言う漢字は存在し、どちらも「見る」ことを表します。

日本語で、見ることを表す漢字には、「見る」「観る」「視る」「看る」などがあり、広義には全て「見る」の意味になります。

しかし、実際は意味合いが微妙に異なりますので、使い分けるのが一般的です。

中国語の「看」は日本語の「看」とニュアンスが違う

中国語の「」は日本語の「看」とは異なり、どちらかと言うと日本語の「見」の方に近い感じです。

以下、日本語と中国語の「看」の違いを説明します。

日本語の「看」

日本語の「看」の場合、何かしら見る対象を伴って、単なる「見る」ことを表す意味として使うこともあります。例えば、看板は「見る」意味を持つ熟語の1つです。

しかし、どちらかと言うと、取り扱う、世話をする、みまもる、みはりをするという趣が強く、「○○を看る」と言えば、そういった意味で使われます。

看を用いる熟語には、看護、看病、看守などがありますが、これらはいずれも世話をするや、みまもる、みはるなどの意味に相当します。

また、看取(察知すること)、看過(見逃すこと)、看視(注意して見ること)など、特定の言い回しで使われることもあり、ここでも「見」とは少し違う趣があります。

「看」の語源としては、「手+目」から作られ、手をかざしてよくみることを意味し、目で対象をみる場合に用います。

中国語の「看」

では、中国語の場合はどうでしょう。

確かに、日本語と同じように、見守り、番をする、或いは、取り扱う、世話をすると言った意味もあります。(この場合、通常は看(kān)と発音)

しかし、中国語の場合、「」は日本語の「見」に相当、即ち、見ることを表す最も一般的な言葉として用います。(この場合、通常は看(kàn)と発音)

従って、中国語で「」と言う漢字が出てきた場合、それを「見」に置き換えてみると意味が通ることが多くあります。

例えば、

テレビを見るのは、看电子(kàndiànshì)と言いますし、
映画を見るのは、看电影(kàndiànyǐng)と言いますし、
本を見る(読む)のは、看本书(kànběnshū)と言いますし、
試合を見るは、看比赛(kànbǐsài)と言います。

つまり、「看」は、見ることを表すごくごく一般的な表現と言えます。

上記の例はあくまでごく一部で、見ることを表現する一般的な言い回しには、全て看を用いるのです。

なお、中国語の「」には「見る」意味とはちょっとかけ離れたような特殊な意味を持つ表現がいくつもありますが、ここでは説明は省略します。

覚えておきたい看を使う表現

さて、看には「見る」意味がありますから、「看」を使った見ることに関連する熟語や表現はたくさんあります。

以下、特に覚えておきたいものをいくつか挙げておきます。

看到(kàndào)

看到は文字通り、「看(み)るに到(いた)る」ことを表し、目に映る、視界に入る、目に入るというニュアンスの意味です。

日本語にはピッタリ合う訳語はありませんが、見えてくる、見当たる、見届ける、見える、見かける、などの言葉に訳されます。

例えば、从这里可以看到富士山(cóngzhèlǐkěyǐkàndàofùshìshān)と言えば、「ここから富士山が見えます」と言う意味になります。

看见(kànjiàn)

看见は日本の漢字では看見ですから、看(み)ると見るが合わさった熟語です。

前述の看到と似たような意味を持ちますので、看到と同じように使われることもあります。

日本語では、見える、見かける、目に留まる、目に入るなどの言葉に訳されます。

例えば、你看见老王了吗?(nǐkànjiànlǎowánglema)と言えば、「王さんを見かけましたか?」と言う意味になります。

否定形は、看不见(kānbujiàn)となり、見えない、見当たらない、と言った意味になります。

また、可能を表すを用いて看得见(kāndejiàn)と言えば、看不见とは反対の「見える」と言う意味を持つ慣用的な表現になりますので、ぜひ覚えておきたいところです。

看看(kànkan・kānkān)

これは、他の動詞と同様に動詞を2回繰り返して看看(kànkan)と言えば、「ちょっと~してみる」という表現として、「ちょっと見てみる」という意味になります。

看一看(kànyikan)看一下(kànyixià)などの表現をしても、これと同様の意味になります。

しかし、これ以外にも看看(kānkān)と発音する別な意味があり、みるみるうちに、今にも、ほとんど、やがてなどと訳されます。

見る意味を持つ看看(kànkan)とは違った言葉ですから、注意したいものです。

看起来(kànqǐlai)・看来(kànlái)

看起来看来も共に推量を表し、見たところ…だ、…かも知れない、見るところでは…だ、どうも…のようだ、…かも知れない等の意味になります。

例えば、看起来好像不好吃,其实很好吃(kànqǐlaihǎoxiàngbùhǎochī qíshíhěnhǎochī)と言えば、「見たところまずそうだが、実は美味しい」と言う意味になります。

看起来看来に置き換えても同じです。

看起来看来も慣用的な言葉で、とても頻繁に使いますからしっかり覚えておきたいものです。

ちなみに、看来に否定の”“を付けて看不来(kànbulái)とすると、「見ても分からない」と言う意味を持つ、看来とは無関係の言葉になります。

看不过(kànbuguò)

看不过は、日本の漢字では”過”に相当しますので、これは文字通り「看(み)て過ごせず」、つまり「見過ごせない」と言うニュアンスの意味になります。

実際の訳としては、見過ごせない、見かねる、見ていられない、などの表現が使われます。

なお、上記の”“の代わりに可能の意味を持つ”“を用いて看得过(kàndeguò)と表現すると、「看(み)て過ごせる」、つまり「見過ごせる」の意味になります。

また、そこから転じて、見られる、見るに値するのような意味を持つ言葉として使われます。

看不起(kànbuqǐ)

看不起には、見下げる、バカにする、軽視する、見くびる、軽蔑する、侮る、などの意味があります。

~不起」は、経済的、肉体的、精神的な理由などで出来ないこと、耐えられないこと、或いは動作の対象がある基準に満たないこと・値しないことを意味します。

看不起は、看るに値しないというニュアンスから見くびる、見下すという意味になっています。

なお、瞧不起(qiáobuqǐ)看不起と同じく軽蔑する、見下げるなどの意味を持ち、同様の使い方をします。

また、看不起は「経済的な理由で(映画などを)見られない」と言う別な意味もありますので覚えておきましょう。

看得起(kàndeqǐ)

看得起には、重視する、重く見る、尊敬する、眼中におく、などの意味があります。

これは上述の看不起の反対語に相当します。

~得起」は、経済的、肉体的、精神的に出来ること、耐えられること、或いは動作の対象がある基準を満たすこと・値することを意味し、「~不起」と反対の意味を持ちます。

看得起は、看るに値するというニュアンスから、重視する、重く見るという意味になっています。

瞧得起(qiáodeqǐ)看得起と同じ意味で使われます。

中国語の「见(見)」は?

さて、看が「見る」の意味を持つのであれば、「(見)」(jiàn)という漢字はどうなのかが気になります。

中国語の「」ですが、これにももちろん「見る」の意味があります。

しかし、どちらかと言うと「」は「看」よりも文語的で、「」は書き言葉で使われ、「看」は話し言葉で使われる傾向があります。

また、見る対象がハッキリしている「看」と比べると、「」は目に入るとか、目に触れるというニュアンスが強いです。

そして、具体的な用法としては、「」はどちらかと言うと、人と会うなどの「会う」の意味で使われることが多いです。

さよならの挨拶「再见」(zàijiàn)にも「」が使われますが、これは「会う」の意味で使用する典型的な言い回しですね。

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