今の政治屋こそ、小学校で習う基礎道徳を学習すべきだと強く感じる。

今の政治を見ていて、「もういい加減にして欲しい」と呆れる人もいれば、「いったい何をやっているのか」と嘆く人、「こんなことしかできないのか」と悲しみが込み上げて来る人なんかもいるかと思います。

その姿は、幼稚園児の政治ごっこを思わせるくらいの低いレベルで、国民をなめきっているのかと憤りの思いすら抱くものです。

政治屋こそ小学生の基礎道徳を学ぶべき

そんな園児ならぬ政治屋こそ、小学校で最初に習う、ごくごく基本的な道徳を学ぶべきだと強く感じるもので、ここでは、そんな小学生が習う基礎的な道徳の内容を、今の政治家に照らしあせてみることにしました。

嘘をついてはいけない

嘘をついてはいけないというのは、ごくごく初歩的な道徳ですが、これこそまさに今の政治屋に最も必要な教育でしょう。これは今の首相を見れば誰でもすぐに分かる、とても分かりやすいことですから、細かい説明は不要ですね。

着目すべき点は、嘘の体質が年を経るごとに徐々に悪化していることです。以前は嘘をつくこと自体がなかったのに対して、嘘をついてから嘘を隠すために何でもやるようになりました。

その後、嘘がバレルと国民に頭を下げて謝罪して身を引くのが当たり前になり、今となっては、嘘がバレテいても平然とシラを切って悪びれもしないまで悪化してしまいました。

いったいどこまで悪化するのかと、常軌を逸した現状を見ては、情けなくすら思うものです。

そして、嘘といえば付きまとうのは、「ごまかし」や「はぐらかし」ですが、これも今や日常茶飯事となりました。

以前は、「記憶にございません」とか「秘書がやりました」などの名言に見る通り、「ごまかし」や「はぐらかし」はいろいろありましたが、今や「膿を出し切る」などといって、他人事のように言い放てる「シラを切る」姿を見れば、もはや要精神鑑定レベルといわざるを得ないでしょう。

嘘をつくと信用を失うことになりますが、この場合、政府を信じられなくなることを意味しますので、とても重大なことです。

信じるということは、我々の生活の根底に横たわる、ごく基礎的な要素ともいえますから、この「信」を失う影響ははかり知れません。

人の物を盗まない

人の物を盗まないということも、基本的な道徳で、「盗む」といえばスリや泥棒、窃盗行為が思いつくものですが、税金泥棒というのも「物を盗む」ことに該当するでしょう。

公務員としての高額な給料をもらうだけでなく、なにかと特別な優遇まであるにも関わらず、本来の職務をきちんと果たさないことが泥棒そのものでしょう。

まして、国民の血税を簡単に浪費する姿は盗人そのもので、景気が低迷する中で「国民一人ひとりがどれほど身を削って、税金を納めているのかを認識しているのか」と疑ってしまいます。

更にあり得ないのは、国の資産を我が資産のように扱い、国有地をただ同然で払い下げる行為などは、形を変えた盗みに他ならないでしょう。

国家の資産は国民共通の財産であって、私的に売買できるようなものではありません。

弱い者いじめをしない

弱い者いじめをしないというのは、いじめを防止する目的で、教育現場でよく言われる道徳的な指導ですが、権限を持つ強い立場の政治家が、何ら力を持たない弱い立場の一般国民に様々な負担を強いる姿は、まさに弱い者をいじめている姿ではないでしょうか。

国家の上層部がそのような姿ですから、目には見えずとも国内には自ずといじめの空気・雰囲気ができるもので、見方を換えると、いじめの根絶がなかなかできないひとつの要因が、政治屋にあるといえるでしょう。

でもこれってどこか「マッチポンプ」の話に似ている気がします。

「マッチポンプ」って、放火した犯人が自ら消火活動をすることで、偽善的な自作自演の手法・行為を意味しますが、いじめの原因を作っておきながら、「いじめ対策を」などと叫ぶ姿は、まさにその姿ではないでしょうか。

人の嫌がること、自分がされて嫌なことはしない

これも小学生が初期段階で教わる道徳のひとつですね。

これを政治の世界に当てはめた場合、全ての国民が誰も嫌がらないような政策を採ることは、現実的にはもちろん不可能です。

しかし、問題なのは国民の過半数が反対していること、つまり大衆の半分が嫌がっていることでも、政権の力に任せて強引に進めてしまうことが現実にあり、これは「嫌がることをやる」姿といえるでしよう。

まして、ひどいものになると、過半数どころか国民の大半が反対していることですら、平気で押し通すことすらもあるくらいですから大きな問題です。

かりに、国民が嫌うことや反対することが、国益になる事であれば、むしろ反対を押し切ってでも押し通すべき場合もありますが、実際は国益にならないような売国奴のようなことばかりやっているのが現実で、アメリカのいいなり政策なんかはその典型です。

そのような姿になっているのは、政府の行動原理が「政権を維持すること」になっていることが原因ですが、そんな政治屋達の末期的な姿を見る時、もはや救いがたい思いが湧いてきます。

さて今回、今の政治屋という生き物の姿を、小学生の基礎的な道徳という切り口でちょっとエグッテみましたが、改めてその腐敗堕落ぶりを痛感したものです。

色々と記事を書いていて、本当に「幼稚園児の政治ごっこ」レベルだと感じましたが、所詮、幼稚園児と同レベルだから仕方がないと思うと、とても滑稽にも思えました。

あなたはどのように感じられるでしょうか。

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