言葉の重さが何に依るかは政治屋の姿を見ればよく分かる。

7月の選挙戦でもそうでしたが、政治屋の演説や主張などを見聞きしていると、いつも「こいつら凝りもせず、また嘘を並べている」との感を抱きます。

嘘と言うと語弊があるかも知れませんが、結局のところ、発言の多くは、ロから出まかせ、大げさな表現、誤魔化した言い方、キレイごと、脆弁の類で、私には「選挙に勝利するための道具としての表現」(端的に言えばウソ)としか思えませんでした。

政治屋の発言は言葉が軽いと感じる。政治屋の姿を見ると言葉の重さを考えやすい。

そして、強く感じたことは、政治屋の言葉には全く重みがなく、空中に浮いているかのような軽さでした。

言葉の軽さの代表

また、同時に思ったことは、「政治屋の姿を見れば、どうして言葉に重みが無いのかがよく分かる」ということです。つまり、政治屋こそが言葉の軽い人種の代表と言えるからです。

従って、言葉の重さや発言の重みがあるのはどういう場合かを知りたければ、政治屋の言葉や発言が軽くなっている要因の裏返しを見れば分かりやすいと考えられます。

政治屋の発言がどうして軽いのかを考えると、自ずと、どういう言葉や発言が重くなるのかが見えてくると感じたのです。

ここでは、以前私が「発言する言葉の軽さ・重さは何の違いにより生じるのか?」と言う記事で書いた内容を、政治屋の姿と照らし合わせることで、言葉の重さがどういう点で生じて来るのかを追って行きます。

重みの生じる点

以前書いた「発言する言葉の軽さ・重さは何の違いにより生じるのか?」と言う記事で、言葉に重みが生じるかどうかの要素として、下記の5点をあげました。

(1)立場による
(2)体験・実績の有無
(3)他人事かどうか
(4)責任を負っているか
(5)自ら行動するか

これらを簡単に説明すれば、(1)は発言者の立場が影響すること、(2)は理論理屈だけではなく体験や実績が伴うかどうか、(3)は他人事と捉えずに発言しているか、(4)は言葉に責任を持って発言しているか、(5)は自ら行動しているか、です。

では、これらの要素を政治屋の姿に当てはめて見て行きましょう。

立場による

まず初めに、立場による発言の重さの違いですが、これは政治屋が嘘をつく姿を見れば分かりやすいです。今や、政治屋は嘘をつくのが当たり前の時代ですが、地方議員が嘘をつくよりも国会議員が嘘をつく方が影響力は大きいです。

また、単なる国会議員が嘘をつくよりも、閣僚が嘘をつく方が、影響力が大きいですし、一閣僚が嘘をつくよりも、総理大臣が嘘をつくほうが影響力は大きいです。

つまり高い立場にある人ほど、その言葉や発言の影響は大きく、たとえ嘘では無くても、問題発言なるものをすれば、上の立場にある人ほど非難を浴びます。

立場にある人が発言すれば、言葉は重みを持つわけですが、その言葉が嘘であったり、問題発言であったりすれば、立場の分だけ、その責任や非難も大きくなると言えるわけです。

政治屋が政治家と呼ばれていた時代は、議員をしているだけで「先生」などと呼ばれて重んじられていましたから、議員の発言は、当時はとても重いものでした。

しかし、今や議員をしていても軽蔑されることもあるくらいですから、議員の発言もかつてと比べると、かなり軽いものに変わってしまいました

日本のトップの立場であれば、発言力も影響力も大きいものですが、あそこまで嘘に嘘を重ねては、言葉がとても軽く感じるようになるのも当然です。嘘ばかりついていると信じてもらえなくなるのですね。

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立場による威厳が、その人の発言や言葉の重さに影響を与えることがよく分かります。

体験・実績の有無

次に、体験・実績の有無による言葉の重さについてです。政権与党は、野党と比較して「今までの実績を見て下さい」と言います。

しかし、景気は回復傾向などと言っていた実態が統計的な誤魔化しで、景気を回復した実績などありませんでした。

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また、「野党は何もできなかった」などと批判をしていますが、実際に与党が何をやったかと言えば、ただのバラマキです。

結果としてここまで大きな国家の借金を作っただけですし、大量借金の上に何を成しとげたとしてもそれは架空の実績ですね。

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このようにきちんとした実績がない上での発言ですから、言葉が軽くなるのも無理はありません。

実績がないところで、実績を誇張しても、説得力もなければ言葉の重さも全くないことがよく分かります。

他人事かどうか

さて、他人事かとうかは、政治屋の姿にそのまま表れていますから分かりやすいですね。

政治屋は公約をしたり、政策を打ち出したりしますが、そうした発言はあくまで、選挙に勝つための手段として口にしているだけです。

公言する政策などは選挙のための手段ですから、所詮は他人事となって当然です。

国民の生活を考え、真に国民の幸福を願って発言しているのではない、他人事である姿は随所に見られます

例えば、昨年の出来事でしたが、西日本に豪雨が降り続き、大規模な被害が出て、多くの死者・犠牲者が出たことがありました。その時、首相は被害の状況を見て、「時間との勝負だ」と言い、豪雨の続く地域への支援を指示しました。

しかしこれは、豪雨となって大被害が出るだろうということが分かった時点での指示では無く、大被害が実際に出始めてからの指示で、大被害が予測される段階では、何と、若手の党員が集まる会合に出席して、党内の基盤固めに躍起になっていました。

国民の生命を守ることに対して他人事に思っているからこそ、自身の支持基盤を固めることの方を優先するのですね。

そういう他人事である姿勢は言葉に思いがこもりませんから、国民から見ても軽薄で言葉が軽いと感じます。

他人事のように思って発言するのか、自身のことと捉えて発言するのかで、言葉の重みが違ってくることがよく分かりますね。

責任を負っているか

次は、責任を負っているかどうかですが、これも分かりやすいですね。今の政治屋は自分の発言に責任を持ちません。発言した以上は責任を持つという姿勢が著しく欠如しています。

責任を伴わないで発言する訳ですから、自ずと言葉が軽くなるのもうなずけます。

例えば何かの発言をしても、状況が変わって都合が悪くなると、その発言に責任を持たない姿はよく見かけます。

発言の原理が、選挙に勝つためなので、選挙に不利となるような状況変化があると、その発言に対する責任はいともたやすく放棄してしまいます。

国家財政の黒字化は国際的な公約でしたが、景気が悪い昨今に増税をすると国民の反感を買って支持を得られなくなりますから、国際公約を先送りにしています。これは典型的な例です。

政治屋の言葉が、宙に浮いてしまうほど軽いのも深く領けるところです。責任を持たない人の発言は軽くなること、よく分かります。

仕事上でも責任を持って行動するひとは説得力を持ちますから、仕事もうまく進むようになるものですね。

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自ら行動するか

最後に、自ら行動するかですが、これも政治屋の行動の姿勢を見るとよく分かります。政治屋の行動を大別すると、下の者に指示をするだけで自らは行動しない場合と、自分自身が自ら行動を起こす場合の2通りがあります。

政治屋と言えども、身体がいくつもあれば全てにおいて自ら行動を起こせますが、現実は限られた時間で起こせる行動には限界がありますから、重要と思われる件についてのみ、自ら行動を起こすことになるでしょう。

政治屋は、国民のためになる重要なことを中心に行動を起こすのではなく、党利党略のためになることを基準に行動を起こしているわけですから、いくら国民のためになることを口にしても説得力がない、言葉が軽くなります。

近年、日本には自然災害が相次ぎ、各地で多くの被害が続いていますが、災害が起きた時、政治屋は積極的に被災地を訪問しようとはしません。そのような自ら行動を伴わない状況で、被災地を気遣う言葉を発しても、言葉は宙に浮いてしまいます。

また、仮に被災地を訪れたとしても、ハッキリ言えば、アピールするためのパフォーマンスとして訪れているだけに過ぎませんから、形だけの訪問の姿に接すれば、どこか言葉に軽さがにじみ出てしまうことに誰でも気付きます。

こうした政治屋の姿勢、姿を見れば、行動を伴うかどうかが発言の重みに大きく作用することがよく分かります。

以上、政治屋の言葉・発言が軽いことを切り口として、言葉の重さ、発言の重さを見てきました。具体的な事例に照らし合わせて行くと、本当によく分かり、面白いものです。

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