私が長野に引っ越してから数年になりますが、その間、「だから長野は発展しないんだ!」と感じた経験をいくつもして来ました。
ここでは、そんな思いを抱いた経験をいくつかあげてみます。
背景
他の記事にも色々と書いていますが、東京で生まれ育ち、その後しばらく埼玉に住んでいた私にとって、長野に移り住んだことはとても大きなことでした。
不慣れな地での生活はもちろんのこと、首都圏では当たり前だったことが長野では当たり前でないことも多く、戸惑いや衝撃などを覚えることも数多くありました。
そんな色々な体験をしていく中で、「長野が発展しない理由はこれだ」と思えるいくつもの場面に遭遇して来ました。
小学校の学区
まず最初にそのように思ったのは、引っ越してしばらくしてからのこと、小学校の通学区域に関することでした。
数百メートル先に最寄りの小学校(以下、小学校A)があり、当然そこが子供が通学する小学校だと思っていました。
ところが、2km以上も離れた場所にある小学校(以下、小学校B)が通学対象となることを知り、「あり得ない…」と、違和感を覚えたので、ちょっと学区について調べてみました。
すると、我が家より小学校Aから少し遠方にある区域は小学校Aが通学対象であることが分かり、何でこんな状況になっているのか、ますます不可解になりました。
確かに長野市は、農地や宅地が入り組んでいて、山間部に近い地域や広い農地がある地域では、結果として学区が広くなります。また、そういう性質上、学区の編成が難しい面があり複雑になるのは事実でしょう。
とは言え、さすがにここまで距離に差があり、登下校の距離が考慮されていないような状態は納得することができませんでした。
そこで、学校を管理している市の担当部署に問合せをしてみました。問い合わせた内容は以下のような内容でした。
「私の住む地域では、数百m程にある小学校Aではなく、2km以上も離れた場所にある小学校Bが通学対象になっています。」
「小さい児童が徒歩で通うことを考えた場合、小学校Aにするのが普通ではないですか?」
「昨今、登下校中に児童が巻き込まれるような事件が後を絶ちませんが、児童の安全を考えても、保護者の生活圏に近い小学校Aにするのが当然だと思います。そのように学区を改善することは考えないのでしょうか?」
そして、この問いに対する答えは、誤魔化し論法を繰り返す、某総理大臣のごとくで、
「そう言われましても、学区と言うのは地域性というものがありまして、簡単には変えられないのです」
という内容でした。
私が衝撃に思ったのは、その回答の内容そのものよりも、むしろ、その話し方、口調から伝わってくる印象でした。
いわゆる、やる気のなさ、後ろ向きな姿勢、他人事に捉える姿などなどです。(まるで、使えない上司みたい…)
化石化した頭ではこのようになるのかと、唖然としましたが、これが現実なのかとも思いました。
「簡単には変えられない」ではなく「子供の安全を考えてどうすべきか」ではないのか。
腐りきった政治屋の姿に似ているものを感じながら「これじゃあ長野は変わらない。良くならない。」初めてそのように思った瞬間でした。
大型ショッピングセンターがない
そして次に感じたのは、長野市内には大型ショッピングセンターの類がないことに関してです。(これは長野県というより長野市に関してですね)
長野に引っ越して来る前は、休日ともなると家族でどこかの大型ショッピングセンターへ足を運んで、一日中そこで過ごしていることがよくありました。
その種のショッピングセンターは、単にショッピングをするだけではなく、食事をしたり付随した施設で色々なことができるので、好んで出かけていました。
しかし、長野市にはそういった大型ショッピングセンターといわれるものは存在しないので、以前のような休日の過ごし方ができません。
ショッピングセンターそのものはあることはあるのですが、どれも小型で、中にはショッピングセンターを名乗っていいのかと疑いたくなるようなものもあります。(ただのスーパーマーケットの近くに何軒かの店舗があるだけとか…)
従って、どうしてもショッピングなどを楽しみたい時は、少し離れた上田市のアリオへ足を運んだり、数十キロも離れた松本市のイオンモールへ行ったりもします。
実際に、松本のイオンモールへ行くと、松本ナンバーに混じって多くの長野ナンバーの車両が駐車場に無数停まっています。それだけ長野市方面から多くの客が来ているってことですね。
上田のアリオなんかでは、長野市内に住む色々な知り合いとばったり会うことも頻繁にあるくらいです。みんな、わざわざ長野市から上田市などへ足を運ぶんですね。(ガソリン代返せ!!)
そんな姿を見て、「何で長野市には大型のショッピングセンターの類がないのだろう…」とそんな疑問が拭えずにいたある日のことです。
以前、篠ノ井地域(長野市の南部)に大型ショッピングセンターの建設計画があったことを新聞で見て知りました。その建設計画は、業界の大手企業が企画していたものですが、結局、市の反対にあって実現に到らなかったとのことでした。
何でだろう…。「誘致すれば、市の活性化も図れるし、周辺からの来客も見込めるのに…。」そんな思いが湧いて、理解に苦しむ思いをしました。(もはや病気では…とも思える)
そして昨年(2019年)、須坂市西部に大型商業施設、いわゆる大きなショッピングセンターの構想があることがマスコミの発表で明らかになりました。
もちろんこれはまだ構想の段階なので、決定した訳ではありませんから、今後、現実に向けての動向を見守る必要はあります。
但し、須坂市は、こういった商業施設には前向きな姿勢があるので、構想から現実化するのも十分あり得る話だと思っています。
この商業施設の構想では、あのコストコも出店計画に入っているとの話ですが、本来、コストコが考える立地条件は大都市圏、つまり人口を多く抱える地域がターゲットですから、須坂市よりも長野市を候補地とするのが、本来は自然な流れです。
「どうして須坂市なのか?」
そう考える中に頭に浮かんだことは、以前とん挫した篠ノ井地区の建設計画の事例でした。
そして、長野市が商業施設の立地に対してとても消極的、いやむしろ反対する姿勢すら持っていることを思い出しました。
その後、長野市出身の方に話を聞く機会がありましたが、やはり長野市は商業施設の建設の類にはとても消極的で、背景には農業や農地を守ろうとする姿勢が強いことがあるとのことでした。
その話を聞いて思ったことは、どうして
「商業施設の建設」=「農地を守れない」
という公式に捕われるのかという疑問でした。
確かに、農業は大切な産業のひとつですし、長野においては特に重要です。
しかし、商業施設の建設促進と農業の保護が矛盾することだと、短絡的に考えるところが問題です。
大型商業施設のある上田市や松本市も農地は広大ですし、今回、大型商業施設の構想を掲げた須坂市も広い農地が広がっています。
これらの市は、長野市よりも都市開発と言う意味では変わらないか、むしろ遅れているとも言えるでしょう。
それにも関わらず長野市は恐ろしいほど商業施設の建設には消極的なのです。
大きなショッピングセンターが市内に無いことを嘆く市民が多くいることや、実際に、松本市や上田市まで足を運ぶ市民も少なくない現実をどうして見ないのか不思議でなりません。
なにかに固執しているのか、農業団体に洗脳されているのか・・・。
石器時代に生きるような姿を見て、「だから長野市は発展しないのだ!」と嘆くような思いが湧いて来ました。
夜間の道路が暗い
そして、次に同じような思いをしたのは、道路が暗い、外灯が無い、少ないということに関連してです。
夜間、長野市内を移動していると、外灯が無かったり、少なかったりして辺りが良く見えずに危険だと感じることが多くあります。
自動車を運転していると、歩行者や自転車が見えずらくて、少し怖い思いをすることもあります。
反対に、徒歩で歩いている場合や、自転車で走行している場合は、自動車の運転手からきちんと見えるだろうかと不安になることもあります。
これは、小さい路地などはもちろんのこと、比較的広い幹線と言える道路などでも感じることで、「もっと明るくしないと危ないではないか!」と今でも日々感じています。
これは下記の記事にも書きましたが、そんな危ない状況が多々あることから、私の知り合いが改善を求めて関係者へ要望を出したことがありました。
ところが、「農業団体の強い反対があってできない」との回答があったそうです。
これは、どういうことかと言うと、農作物の類は夜間の外灯などの光の影響で、その成長が妨げられるため、農家の多い長野では反対が強く、外灯の増設などは容易ではないのです。
この話を聞いたとき、長野のその姿勢に前向きさを全く感じず、「だから長野は発展しないのだ!」という思いをより強くしました。
確かに、農作物に対して外灯などの光が影響するという研究結果は出ています。
しかし、その対策として、光の周波数(色)を影響の小さいものにしたり、設置する光の向きを考慮したり、設置する地域を制限したり、照明時間を規制したり、色々な方法が採られているのです。
また、影響のない農作物もあれば、影響の少ない品種などもあり、工夫しだいでは色々な可能性があります。
そうしたことを考慮せず、夜間の安全の重要性も直視せずに、安易に「農業団体の強い反対があるから」という理由で前向きに取り組もうとしない姿勢に、「長野に未来は無い!」という思いを抱いたのです。
「反対があるからできない」ではなく、「反対があるから良い方法を模索する」ではないでしょうか。
岩石の様に硬い頭。どうにかならないものでしょうか。
古いものにしがみつく
そして私が更に思うところは、古いものにしがみついている姿勢です。
具体的に言えば、それは長野市の発展をやみくもに善光寺に頼っている姿に表れています。
何かと言えば、善光寺を看板にして観光客を呼び寄せようとしたり、市の発展を善光寺に絡めた取り組みで成そうとしたりする姿が目に付きます。
それは、何か歴史のあるものだからとか、文化的に価値があるからとか考えているのでしょうが、どこか固執するものを感じます。
そして何よりも実態を知らなすぎます。むしろ、知っていてそうしているのでしょうから、情けなくなりますね。
私が実態というのは、善光寺付近で夜の飲食店を経営する人の話です。
その人は長年、善光寺付近でお酒を提供するお店を営んで来ていることもあり、地元のことをとてもよく知っている人です。
その人が言うには、「善光寺の坊主などは、毎晩のように夜の町に繰り出して酒浸りの生活をしていることで有名」だそうです。
全ての坊主がそうという訳ではないそうですが、その種の坊主はけっこう多くいるそうで、そういった破戒僧とも言うべき輩は、高級外車を乗り回し、けっこう派手な生活をしているとのことです。
外から見れば、袈裟や衣をまとって貴げな姿に見えても、実態はこんな輩が巣食っているってことですね。
そしてその人の話で印象的だったのは「そんな実態も知らずに、観光で善光寺を訪れる人が多くいる。何も知らずに気の毒なことだ。」と漏らしていたことです。
この話を耳にした時、「外からは分かりにくいが、やはりそうか。」との思いが湧いて来ました。
これじゃあまるで一種の詐欺ではないかとの思いも感じました。嘘ばかりついて国民を騙しているどこかの総理大臣にも似ているな…とも。(騙される側もオメデタイが)
そんな実態がありながら、長野市などは善光寺を観光客を呼び寄せる看板にしているのです。長野市の職員などはその実態を知らないハズは無いと思うのですが…。
所詮は、腐敗したものに取り入ろうとする長野市側も腐敗していると言わざるを得ないですね。
まとめ
以上、長野が発展しないと感じた経験を書きつらねて来ました。
これらを総じて言えば、
- 古いものに固執し、とらわれすぎている
- 前を見ないで後ろばかりを見ている
- 課題に取り組まず、目をそむけようとしている
- 当たり障りの無いような保身的な行動をとっている
- 発展を妨げていることを直視しない
こんなところではないでしょうか。
これがもし民間企業なら20年前にとっくに倒産していますね。
今は令和の時代です。江戸時代ではありませんよ!平成なら許せます。昭和でもまだ我慢します。さすがに江戸時代では…。
これだけ極端だと、「市や県の職員は、農業団体から金品など供与されてんじゃない?」
な~んて疑いを持たれたも仕方がないんじゃないかとも思います。
長野の発展のためにも、何とかして欲しいものだと願うばかりです。