近年、Iターン(アイターン)に魅力を感じて、地方へ移り住む人が増えていると言われています。
しかし、実際にその地で暮すことと、旅などで訪れることとでは、大きな違いがあります。
東京で生まれ育った私が、長野に移り住んで日々感じることをもとに、Iターンを考えている人に役立つ情報をまとめました。
目次
Iターンとは
「そもそもIターンとは何?」と思う人も多いと思います。
ぜんぜんターンしてないじゃん!
その通りです。ぜんぜんターンしていませんから、不思議に思うのも当たり前ですね。
実は、Iターンをしようと考えている人は、まずこの名前の由来を知るべきなんです。
と言うのも、Iターンの意義を考える上でとても重要だからです。
Iターンとは、Uターンという言葉が生まれて、そこから更に派生してJターンという言葉が生まれ、さらにまた派生して生まれた言葉です。
これらの言葉は、いずれも人口の大きな移動・流れを意味していますが、時代の変化と共にその流れも変わり、その変化の過程で次々と生まれてきた言葉です。
戦後から高度経済成長期にかけて、日本の多くの人は都市部へ仕事を求めて移住しました。その結果、東京や大阪は日本の二大都市として大きく成長しました。
そして、退職してから生まれ故郷に戻って余生を過ごす人や、都会の生活に馴染めずに出身地に戻って暮らす人などが多く現れ、そういう人の流れをUターンと呼称するようになりました。故郷にUターンして戻るという意味からです。
また、都市部に人口が集中した結果、都市部の地価が高騰したため、マイホームを求めて郊外に移住する人が増えて行きました。この人口の流れを指してJターンと呼びます。
Jターンは、あくまで通勤圏内を移住対象としたため、生まれ故郷への帰路の途中に移住するのが通例で、途中まで戻る状態を表現しているJの文字を用いた名称が使われるようになりました。
東京を中心とした神奈川、千葉、埼玉などで人口が増加したのがこの表れです。
その後、時代と共に価値観も変化し、都市部に住む人の中から、自然に恵まれた地方での暮らしを望む人が出てきました。
そうした一方向へ移動する人の流れを、従来の「ターン」という名称を利用してIターンと呼ぶようになりました。
以上を整理すると、下記のようになります。
①都市部に魅力を感じて多くの人が移り住んだ
②移住した都市部から故郷・実家へ戻る流れが生じた・・・Uターン
③移住した都市部から郊外へ移動する流れが起きた・・・Jターン
④都市部に住んでいたが地方に魅力を感じて移り住む人が出てきた・・・Iターン
Iターンの流れ
これら人の流れを大観すれば、
都会に魅力を感じて人が集まって来たが、地方に住むことの価値を再認識して見直す流れが起きてきた
と言えます。
そしてそのIターンの流れの中に、過疎化や農業人口の不足など、地方が抱える諸問題を解決しようとして、自治体などが支援する動きを始めました。
また、地方に拠点を持つ企業などが、人材確保のためにIターン求人の動きを活発化させ、実際に就職する動きも出てきました。
更に、Iターンをテーマにしたドラマなども影響して、Iターンを考える人も増えて来たとも言われています。
中には、長年勤めた会社を辞めてまで移住する人も出て来ています。
こうした動きは、Iターンにそれなりの魅力があるからだと言えるでしょう。
新型コロナの影響
さて今回、新型コロナウィルスの影響で、密を避けたり、在宅勤務が推進されたりして、今までにない新しい生活様式に変わり始めました。
そして、
「密が多い都市部はよくない」
「在宅勤務ならどこに住んでも同じだ」
という考え方が広がり、都市部に住むことの価値に疑問を持つ人が増え、これを機にIターンを本気で考える人も増えてきました。
最近行われたあるアンケートによれば、Iターン先として人気ランクの一位に選ばれたのが北海道、二位に選ばれたのが長野県でした。
二位に選ばれた長野県に住む私としては、「なるほど」と思う反面、正直
「訪れるのと住むのとは違うけどな」
とも感じました。
ちなみにアメリカでは、ニューヨークに住んでいた人が、新型コロナウィルスを機に在宅勤務が可能になったことから、1000km以上も離れた場所に引っ越して、そこに家を構えたという話もあります。
これは海外の事例ですが、新型コロナウィルスがキッカケで、Iターンをする人、考える人が増えて来ていることの1つの表れです。
人の流れに見る価値
さて、今この記事を読んでいる人は、Iターンを考えている人、興味を持っている人、魅力を感じている人などでしょう。
場合によっては本当に移住したいと考えている人もいるでしょう。
いずれの人であっても、まず、過去からの人の流れを冷静に見つめて、Iターンの意義を再考するところから始めることが大切ではないでしょうか。
先ず、そもそも昭和の時代に多くの人が都市部に移り住んだのは、都市部に魅力があったからです。
Iターンは魅力のある都市部から離れることを意味しますので、「都市部」を離れることの意味を改めて考えるべきです。
次に、Uターンという現象は、都会の生活に馴染めなかったとか、都市部の生活に疲れたなどの理由もありますが、実家へ戻りたい、やっぱり生まれ育った故郷がいい、住み慣れたところが一番、などの理由も大きな要因でした。
Iターンは、
生まれ育った故郷を離れる、
住み慣れた土地との差異が生まれる、
実家から距離が遠くなる、
ことを意味しますから、これらについてもよくよく考えたいものです。
更に、Jターンですが、これは主に都市部の住宅事情に起因していましたが、故郷までは戻らずに都市部近郊に残ったということは、都市部にある魅力を捨て切れなかったことの表れです。
Iターンは都市部から離れた遠方に移住することを意味しますから、これもよく頭に入れて検討したいところです。
以上のように過去の人の流れを端的にまとめると、
- 都市部には魅力があること
- 生まれ育った場所がよいこと
の2点が分かります。
Iターンは、都市部から離れることと、生まれ育った地から離れることの2つを意味しますから、よくよく慎重に検討すべきなのです。
長野に移住までの背景
前置きはこれくらいにして、私が長野に移住してから感じてきた諸々の体験をお話ししましょう。実感して来たことなので、あなたにとって大いに参考になるハズです。
具体的な体験を記す前に、まず背景から説明しておきます。
背景が分かった方が、私の思うところをしっかり感じとって貰えますからね。
私は東京生まれの東京育ちで、小学校、中学校、高等学校、大学へと進みましたが、いずれも都内の学校でした。
就職も都内の大手企業で、30代でさいたま市に移り住み、そこから都内へ通勤していました。
従って、都市部での生活が当たり前で、意識するしないに関わらず、都市部での生活に自然と慣れていました。
その一方で、今住んでいる長野については、当初からの印象はとても良く、魅力のある地域だとも感じていました。
というのも母の実家が長野県中野市にあり、子供の頃は頻繁に泊まりに行くことがありましたが、川や山などの自然に恵まれ、都会には無い環境でいろんな楽しく遊んだよい思い出がたくさんあったからです。
降りそそぐかのように見える星空がとてもきれいであったのは、特に強く印象に残っています。
そういう小さい頃の思い出に加え、中学の林間学校では八ヶ岳を間近に望む地に滞在して、やはり自然に囲まれた場所で過ごした経験はよき思いでであり、その時の印象も強く脳裏に焼き付いていました。
更に、高校時代にはバスケットボール部の合宿で、更埴市に一週間ほど泊まり込みましたが、民宿の方の家庭的な雰囲気が忘れられませんでした。
また、高校で開催されたスキー教室では、志賀高原に赴いて初めてスキーをしましたが、それを機に、高校・大学時代にはスキーに没頭して、長野県内にある数々のスキー場に何度も足を運ぶようになりました。
その後、社会人になってからはスキーには行かなくなりましたが、こうした数々の経験を通して、長野県は常に私の頭で魅力のある地域でした。
山々が連なり空気がきれいで自然に満ち溢れている。
農産物が豊かでおいしい作物がたくさん収穫できる。
温泉がたくさんあり、足を延ばせば色々な温泉に行ける。
ウィンタースポーツの環境が整っている。
いざとなれば東京からもアクセスは悪くない。
まさに、色々な魅力を感じていたのが信州・長野だったのでした。
急きょ転勤に
そして、40代半ばのある日のこと。勤務地が東京から長野に変わることが決定しました。
転勤については事前に伝えられていたので準備期間はありました。
従って、心の準備の時間もありました。
とは言え、初めて転勤のことを耳にした時の思いは少し複雑で、
「長野なら魅力的な場所で悪くない」
という期待があると同時に、
「実際に住んでみると不便な点が多いのでは」
という不安も感じていました。
また、長年、生まれ育った首都圏を離れることは、どこか寂しい思いも湧き、一種の葛藤のような感じでした。
期待と不安。
理想と現実。
そんな思いが頭を巡る中、遂に移転となりました。
魅力がたくさんある
長野での生活が始まり、少し落ち着いた頃、色々な周辺地域に足を運ぶようになりました。
自然に囲まれ、緑が豊富で、空気もきれいでおいしく、魅力いっぱいの長野。
そんな期待に胸を膨らませた生活を、実際に満たしてくれるものが沢山ありました。
ちょっと足を延ばすだけで、近くにはたくさん温泉があり、色々な温泉に行きました。
身近に温泉がいくつもあって、いつでも直ぐに足を延ばせるのは本当に楽園のようでした。
都市部では難しいことですから、なおさらです。
食べ歩きもしましたが、信州そばはどこの店にいってもおいしく、また、身近で購入できる取れたての農産物は新鮮でとても味わいがあり、更に、地元の名物と言われるものは、食べ歩いていて満足いくものばかりでした。
特に、地元でとれる、りんご、ぶどう、桃などは味も一級でありながら値段が破格の場合も多く、信州はまさにフルーツ王国と言えるほど、恵まれていることを強く感じました。
そして、ちょっと足を延ばせば、有名な観光地にも直ぐに着き、山や湖、川など、自然豊かな環境は、都市部にはない、心を癒してくれる場所となりました。
冬場になって、初めてスキー場に行った時は
「こんな近くにあるのなら、滑りたい時にいつでも来られる」
と驚きました。
そんなスタートを切った長野での生活は、当初の期待を満足してくれる魅力ある地であることは確かでした。
新鮮さがなくなって来る
そして、そんな生活を1年、2年、3年と続けて行くと、初めて訪れた時の新鮮さは徐々に薄れ、新しい環境も、それが当たり前のような気持ちに変わって行きました。
都会では簡単に行けなかった温泉、スキー場、観光地などは、当初は
「こんな場所にいつでも来られるなんて、恵まれている!」
と感じていました。
ところが、長野の生活に慣れてきたことで、そんな思いも
「いつでも来れるじゃないか…」
という感覚になって行ったのです。
長野に移転して来る前は、都市部に無いようなものに憧れや期待を持っていたんですね。
諺で「隣りの芝は青く見える」ってありますが、移転前は少しそれに近いものがあったと思います。
有名な言葉に「手に入れたいものは、いざ手に入ると、その思いがさめる」とありますが、移転後はこれに似ています。
いつでも温泉に行ける、身近に名産品がある、好きな時にスキーができる。
首都圏では手に入らないからこそ憧れる。
でも、いざ住んでみると飽きが生じる。
こんな感じです。
物価の違いに驚くことも多い
さて、長野で日々の生活を送る中、物価の違いに驚かされることが何度もありました。
これについては、Iターンに限らず、引っ越しをすれば少なからず関係する問題でもあります。
私が長野に来てから最初に驚いたのは水道料金の差でした。引越し前と比べるとどう考えても高い。
そこで実際に調べてまとめた記事が下記ですが、実際に高くなっていました。
関連記事長野市の水道料金はなぜ高いのか?
同じ様に、ガス代も高い、そしてガソリン代も高いと言うことも分かり、地域によって結構違うものだと強く感じました。
電気代は他とは異なり、全国的にほぼ均一料金であることも分かりました。
そして、一般の販売商品にも特徴のある料金差が表れていました。
ひとことで言えば、農産物などは地元の利があって安く、加工食品をはじめ量産される一般商品は高い傾向があります。
農産物が安いのは、輸送コストがないことや、中間マージンの小さいことによります。
新鮮でおいしいのも大きなメリットです。
一方、一般の商品は、主に流通量による価格差です。
販売店や流通業者は、都市部では薄利多売で済むので安くできますが、地方はそうはいきません。
端的に言えば、地方も都市部も、それぞれの特長が表れた物価になるってことです。
でも、総じて言えば、都市部の方がやはり安いです。住宅事情は別ですが…。
便利さは断然に都市部がいい
そして、もう1つ忘れてはいけないことは、都市部の方が断然、便利であることです。
これは、私が長野で生活するなかで強く感じることです。
例えば、海外に行く場合、国際空港から飛行機に乗るのが一般的ですが、長野からだと空港に出るだけで苦労します。
羽田でも成田でも、空港に行くだけで交通費、時間、体力を使いますから、それだけ不便を感じます。
長い旅だと、なおさら余計なお金や時間、体力は使いたくありません。その点、都市部はとても恵まれていると痛感します。
海外の玄関は所詮、大都市近郊なんですね。
たとえ国内旅行でも、北海道や沖縄などに行こうとすれば、いったん羽田に出るなどしなければいけませんからとても不便です。
便によっては、プラス1泊が必要になりますから、時間もお金ももったいない限りです。
また、コンサートなどに行こうとすると、長野では開催されないなんてザラです。
そんな時、大きな都市へ足を運ばなければいけませんが、そのために移動するのもたいへん苦労します。
スポーツ観戦や各種イベントなどもこれと同じですね。
わざわざ遠方の開催地まで移動しなければいけないんです。とても不便さを感じます。
新型コロナの影響で、今後ますますネットライブやネット中継などが普及して行くことでしょう。
しかし、ネットの場合は臨場感にも欠けますし、迫力がないですよね。
リアルを求めて移動する機会は、決して無くなりはしません。
更に、親族の家を訪ねるのにも遠くて不便を感じています。もともと出身が東京ですから、親族の多くは首都圏なんです。友人もそうですね。
Iターンの場合、親族や友人が住むのも都市部近郊が多いですから、私と同じような思いをする人も多いハズです。
そして、大病を患った場合、適切な病院があまりなく、限られます。
場合によっては遠方まで通院する必要が出てくる場合もあるでしょう。
都市部は医療のレベルが高く設備も整っていますが、地方では自ずと限界があるんです。
今後、ネットを利用した遠隔医療は進歩して行くでしょうが、遠隔で出来ることには限度があります。
直接の診療、診察、措置、手術が必要になれば本当に不便です。
医療面では、実は直接困ったことはまだありませんが、気持ちの面でとても不安なのですね。
また、子供の進学でも不自由を感じます。
我が家の場合は、まだ子供が小さいので、どちらかと言えばこれからの話なのですが、今後、進学して行くと、進路の選択幅が小さいという制限にぶつかります。
これは、単に学習塾をひとつ選ぶだけでも、選択幅が狭い姿にも表れています。
都市部の方がなにかと充実していて、選択できる余地が広いんですね。
そして、こんなこともありました。あることについて調査していて、ネット上を調べるだけでは情報が不足で、近隣の図書館やちょっと遠方の図書館に足を運んでみました。
しかし、欲しい情報が不足していて、本格的に調べたいと感じ、国立国会図書館のサイトを見に行ったことがありました。
ところが、ネットで閲覧できる情報には限りがあり、
「東京近郊なら直接、国立国会図書館に行けるのになぁ」
と思い、長野の不便さを改めて痛感しました。
このように、都市部は便利さが圧倒的に優れています。便利だから人が集まっているとも言えましょう。
ネットを利用する仕組みは、今後ますます普及して行くでしょうが、ネットでは限界があることは現実には多くあるのです。
都市部が中心
さて、便利さでは都市部がとても優れているという話をしてきました。
これは、見方を変えれば、都市部が中心に動いているということです。
これが現実なんです。
国会は東京にあります。
各省庁もその中心は東京です。
皇居も東京です。
そして、経済、文化、学術、・・・あらゆる分野が東京などの都市部が中心というのが現実です。
東京ディズニーランドは東京に隣接しています。人が多く来るからです。
商業施設も東京から広がって行きます。
「国内第一号店が新宿にオープン」
なんて話はよく耳にしますが、
「国内第一号店が長野にオープン」
なんて話はほとんど耳にしません。
もし、あったら「何ごとか?!」と思ってしまいます。
ありとあらゆる施設は大都市圏が中心なんです。これが現実です。
商業施設も多くは首都圏、オリジナリティの高い店は首都圏だけです。
このブログで紹介した、かき氷、ロブスター、アイス、などなどはみな都市部にしかない店です。
コンサートや演劇、スポーツなども、その開催地は都市部が中心です。
地方でもネットで観ることはできますが、直接観ることはできません。
ファッションなんかも都市部が中心で、最先端の商品は都市部の店舗にしかない場合も少なくありません。
品数豊富なのも都市部の店舗だけです。地方の店舗は取扱が少ないです。
(街中を歩いている人が着ている服もぜんぜん違います!)
実際の商品を直接見てみたい。そう思ってもリアル店舗がなければできません!
このように、都市部は便利で、全ての中心です。
でも、
「長野は首都圏からあまり離れていないから、いざとなれば上京するのは難しくない。」
そう考える人も多いと思います。
しかし、実際は移動には相応の時間やお金を費やしますし、日帰りが厳しいケースも多くあるのです。(実感!)
一泊すればその分だけ余計な負担が掛かりますから、他の遠方の地域よりは便利という面はありますが、不便なことに変わりはありません。
メリット・デメリットをしっかり認識
とは言え、都市部にも地方にも、それぞれメリット・デメリットがあります。
そのメリット・デメリットも、人によって感じ方が違ってきます。
従って、自分にとってどんなメリット・デメリットが重要であるかをよくよく考えみることが大切です。
そして、それを考える上で、
- 都市部に住み慣れたことで見えにくくなっている都市部のメリット
- 実際に住んでいないから実感を持てない地方のデメリット
の2点を、しっかりと掘り下げて検討してみることです。
上記の私の経験は、これらを考える上で大きなヒントになることでしょう。
こんな点をよく検討しよう
さて、以上のように、私が長野に来てから感じていることをあげてきました。
人によって価値観は違いますから、実際にIターンをして感じることは違うハズです。
しかし、感覚の違いはあっても、検討上でのポイントは同じハズです。
そのポイントを改めてまとめると以下の3点でしょう。
(1)住むのと訪れるのは違う
(2)人間は慣れる生き物
(3)故郷はあくまで都市部
以下、それぞれを細かく説明します。
(1)住むのと訪れるのは違う
まず、言えることは、
「実際に住むことと、一時的に訪れることは違う」
ということです。
例えば長野の場合、山々に囲まれ自然が豊かで、食もうまく、温泉などもたくさんあります。
ウィンタースポーツに適した場所でもあります。
そんな魅力にひかれて観光で訪れる人も多いと思います。
その数々の魅力によって、Iターンの候補地とすることが多いのでしょうが、「隣の芝は青く見える」です。
都市部に無いものが豊富に揃っているから余計に魅力を感じるのです。
しかし、魅力を感じた人のほとんどは、観光などで一時的に訪れたことがキッカケになっているハズです。
住むのと訪れるのとでは、一時的であるか、恒久的であるかの大きな違いがあります。
旅行などで満喫した思いが、実際よりも魅力を大きく感じさせている面があるかも知れません。
温泉でもスキーでも、休日などにたまに訪れるからこそ、より充実するハズです。
住むのは恒久的。訪れるのは一時的。
Iターンは、恒久的ですから、
「実際に住んでみたらどうだろう」
と、よくよく思慮することが大切です。
浮かれた気持ちだけで先を急いでも良い答えは出ません。
都市部には都市部の、地方には地方のメリット・デメリットがそれぞれあります。
恒久的に住むことを思い浮かべ、それぞれのメリット・デメリットをじっくりと比較しながら考えましょう。
また、地方の企業や自治体が、Iターンを支援するための動きがありますが、これは企業が人材を確保する目的であったり、自治体が過疎化を防止する意図であったりします。
そういった目的や意図をきちんと理解し、且つ、補助金や支援などは一時的なのが通例ですから、長期的な視野で考えることも大切でしょう。
(2)人間は慣れる生き物
人間は、良くも悪くも慣れる生き物です。
この性質は、Iターンにおいても大きく影響します。
同じ慣れでも、その影響の表れ方、捉え方には下記の3つがあるかと思います。
①慣れて見えなくなる
②慣れて順応する
③慣れて感覚が鈍る
では、それぞれを詳しく説明します。
①慣れて見えなくなる
まず、人間は慣れてしまうことで、物事が見えなくなる一面を持っています。
都市部の生活に慣れてしまうと、都市部の生活の便利さに鈍感になります。
例えば、公共交通機関の利用に慣れていると、地方に移住した時、運行本数の少なさや終電の早さに驚かされることでしょう。
分かっていたハズのことが、従来の生活に慣れてしまったことで、気付きにくくなるのです。
都市部で当たり前に便利であったことが、地方へ移住して当たり前でなくなることはたくさんあります。
慣れてしまって便利が当たり前になっていることがないか、しっかり見つめ直すことが大事です。
そして、この慣れは、便利さだけではなく、あらゆる生活面にも表れます。
風土や習慣、生活リズムなどなど、知らないうちに当たり前になり、慣れてしまっていることで分からなくなっていることは多くあるハズです。
今までの都市部での生活スタイルなど、あらゆることが移住先で変わるかどうか、よーく思案することが大切ですね。
②慣れて順応する
次に、人間は慣れることで順応する一面を持っています。
長年、都市部に住み慣れた人は、意識無意識を問わず、自然と都市部の生活に順応しています。
生まれ故郷が一番。住み慣れたところは天国。
そんな言葉もよく耳にするところです。
生まれ育った土地には、知らないうちに自然と順応しているものです。
意識しなくても身体に染みついているようなものですね。
かつてUターンが流行った時、生まれ故郷に戻る人が多くいましたが、これはその典型でしょう。
生まれた地に戻る習性を持つ動物はけっこういますが、これと関係あるかも知れません。
そして、この慣れて順応することは、逆の見方もできます。
例えば、当初、地方のデメリットと思っていたことも、だんだん順応して、苦にならなくなることもあります。
私の場合、移住当初は公共交通機関が発達していないことにとても不自由を感じていました。
しかし、自動車での移動に慣れてきたことで、不自由さは感じなくなりました。
③慣れて感覚が鈍る
最後に、人間は慣れることで感覚が鈍くなる特性があります。
移り住む際に感じていた地方でのメリットも、時間が経過すれば魅力を感じなくなってきます。
私の例をあげれば、引っ越してきた当初は、いつでも簡単に温泉などに行けるなんて凄いと感じていました。
都市部にはない魅力の一つだったからです。
でも、日常的に温泉に行けば、それに慣れて来て、当たり前にもなって行きます。
すると、当初抱いていた魅力も、それほど大きな魅力には感じられなくなって来るんですね。
(3)故郷はあくまで都市部
さて、Iターンをする人はもともとは都市部に住んでいた人ですから、故郷はあくまで都市部です。
Uターンの場合は故郷へ戻ることになりますが、Iターンは逆に故郷から離れることになります。
Jターンの場合は故郷に近づくことになりますが、Iターンは故郷から遠ざかることを意味します。
つまりIターンの場合、故郷から離れ、遠ざかるという点で、UターンやJターンなどとはその趣が全く違うのです。
かつて、Uターンという人の流れが起きたのも、
「やっぱり生まれ故郷が一番いい」
と感じた人が多くいたからです。
もしIターンで地方に移り住んだ場合、これと同じように
「やっぱり生まれ育った都市部の方がいいな」
などと感じることがあるかも知れません。よくよく思慮すべきでしょう。
また、生まれ故郷は愛着や思い出、慣れ親しんだ風土などがあるだけでなく、親族や友人もその地域に多く住んでいるものです。
親族・友人を訪問する場合や、帰省する機会などは少なからずありますから、Iターンをすれば距離が遠くなって不便になります。(大型連休などの帰省時に、上り下りが反対で混雑しない点はメリットですが…)
このように、故郷はあくまで都市部であることを、しっかり頭に入れて考えることが大切です。
まとめ
以上、長野に移り住んだ経験をもとに、Iターンを考える場合の要点を述べて来ました。
最終的にIターンをするかどうかを決定するのは当事者であるあなたですが、その判断材料は、より客観的かつ現実的であるべきです。でなければ、良い判断ができないからですね。
私が実際に体験し、感じてきたことは、Iターンを検討しようとしている読者にとって、大きな参考になるのではないかと思います。
少なくても、生の声だからこそ、少しでも現実的な感覚を持って貰えたのではないでしょうか。
今やインターネットが発達し、色々なことがローカル・リモートで出来る時代です。
しかし、ネットワークによって実現されるものは、全てではありません。
また、ネットワークには自ずと限界があり、現実の世界は実際に生活をしている空間にあります。
最後に、繰り返し私が大事だと思う要点をまとめると、
- 住むのと訪れるのとでは大きく異なる。
- 良くも悪くも人間は生活に慣れる。
- 故郷には切り離せない要素が強くある。
というところです。
何に重点を置き、どのような基準で判断するのか。
この記事に記したことを参考に、Iターンの是非をじっくり、よーく考えてみて下さい。